「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

新しい本は出すぎである  2005・08・31

2005-08-31 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「人生は短く本は多い。新しい本は古い本(古典)を読むのを邪魔するために出る。新しい本は出すぎである。およそ本になるほどのものは全部本になって、今は本にしてはならないものまで本にする。『自分史』を残せと自費出版をすすめる出版社があるから、どんな人でも自分史が出せる。本づくりのプロが作るから、本ものの本と区別がつかない。
 区別するのは古本屋で、自分史はもとよりベストセラーの多くは、店さきの一冊百円の箱へつっこまれて終る。古本屋の目がねにかなわない本はそれ相応の扱いをうけるからいいが、図書館は困る。
 どこまでが本でどこからが本でないかきめる権限は図書館にはない。ベストセラーはそれが売れている間は引く手あまただから、それを置かないことは許されない。したがって図書館はいずれ破裂する。」

 「ここにおいて私は突然昨今の用紙の大半が酸性紙であることを思い出した。あれは五十年もたつとぼろぼろになって消えてなくなると聞いた。一大事だと騒いでいるがなに天の配剤である。五十年もたてばみんな無になるとは何という配剤だろうと私は感嘆これを久しゅうしたのである。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)


 
 「このごろわが国でもカード・システムで本を作る人がある。観察も感想もすべてカードに書いて、それを文章にして整理しておく。メモは不可。そのカードをテーマによってぬきだして『群』にして、順序をおきかえてつなぎあわせれば、カードはすでに文章になっているのだからたちどころに一冊の本が成ると聞いたことがある。いかにも成るだろう。けれどもそれは流露しないのではないか。昨今の本が読むのに難渋するのはこのせいかと私は思うのである。」

 「新聞記事の切抜を山と積んで、取捨すれば本は出来るだろうが読むのは骨である。文章に一貫したリズムがない。およそリズムのない文章を読むほど苦痛なことはない。カードにうつすとき自分の文章にできる人のものは読めるが、他人の文をそのまま写すとこの弊が生じる。まして切抜をそっくり使うと読めなくなる。いたずらに厖大な本がアメリカに多く、アメリカに多ければ当然わが国に多く、本の大半がそれになれば自然それを読んで苦痛でない読者がふえるわけで、いま刻々にふえているのではないかと結局私は恐れるのである。」

  (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)
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人間万事色と欲 2005・08・30

2005-08-30 06:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『役人の子はにぎにぎをよくおぼえ』という三歳の童子も知る川柳がある。いくら賄賂が盛んだった江戸時代でも清廉潔白な役人はいた。いたこと現代もいるに似ている。
 盆暮の進物の差出人の名を一々改め、それが業者からのものならすぐ送り返せと家人に命じる官僚は今もいて、稀に役人のかがみだと褒められることがある。
 まじめで潔白な人は自分が特殊な例外だとは思わない。人はすべて自分のようであるべきだと思う。
 悪玉中の悪玉、賤業中の賤業新聞やテレビがその口まねをするのは奇怪なようで当然なのである。なぜ悪玉が善玉に変身できるかというと、アノニム(匿名)な存在だからである。
 新聞記事には署名がない。区々たる火事や事故の豆記事にも、ゼネコン汚職の大記事にもない。だから無謬な神のごとき存在になって、とがめることができるのである。
 自分が政界にはいったら、必ずやするだろうことを非難することができるのである。げんにいまだに政界に転身する新聞記者がいて同じことをしているではないか。
 人間万事色と欲である。どうして他人の色と欲を難じることができるのだろう。あれは全部まじめな人潔白な人の意見である。むかしに大臣は『井戸塀』だった、選挙違反だけは恩赦するな、棄権は罪だと思え、パーティ券を売って何が新党だと『天声人語』のたぐいが書けるのはアノニムだからである。いくら自分のことは棚にあげて――と言われても承知しないのはそもそも自分がいないからである。
 清廉潔白な人が他を非難するのは、潔白なのは実は残念なことだからである。プレイボーイは無数の美人と寝室を共にした、自分は石部金吉を余儀なくされた、死んでも死にきれない、醜聞にしてやらなければ立つ瀬がない。新聞の百万読者の潔白はこのたぐいで、記事の迎合はその機嫌をとるためである。
 それにしてもなが年にわたるあんまりな迎合だと私は怪しむのである。ひょっとしたらあれは私たちのなかなる潔白でありたいという願望のあらわれではないかと怪しむのである。」

  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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我々は自分で見て、考えて、言う存在ではない 2005・08・29

2005-08-29 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「自分で見て自分で考えて自分で言えと、この何十年学校は教えている。それは人間には出来ない芸当である。我々は自分で見て、考えて、言う存在ではない他人の意見を強いられて、強いられたとはつゆ知らず嬉々として同じ言葉を口走り、口走らないものをとがめる存在である何千年来そうだったし、何千年たってもそうである。」

  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)


 「オリジナルなものは難解であるだからそれに迫る字句は容易な上に容易でなければならないその容易な字句で難解なものを包囲して孤立させるから、彷彿としてその難解が正体をあらわすのである世にはにせものの難解と本ものの難解があって、にせものと本ものがまじると、本ものは見えなくなるこの意味でわが国の哲学書は、一、二を除いてたいてい落第である哲学が読者を失ったのはにせの難解のせいである新聞は真の難解と無縁のようだが、それでも文芸欄にはサルトルの追悼文なんぞが出て、かいもく見当がつかないことがある。唐突だが大新聞は私を雇ってはどうか。私をデスクにすえたら、私は毎日分らないを連発するから、すこしは分りやすくなるだろう。」

  (山本夏彦著「恋に似たもの」文春文庫 所収)
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ダメの人 2005・08・28

2005-08-28 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「わが青春が暗かったのは、何も戦争のせいではない。その証拠に、いまだに暗い」

  (山本夏彦著「日常茶飯事」所収)


 「『ダメの人』というのは十七八になってから思いついた言葉であるが、早くすでに私はこの世はダメだと見ていた。

 『とかくこの世はダメとムダ』だと思っていたが、それを言うべき友もなく終日無言でむっとしていた。」

  (山本夏彦著「無想庵物語」所収)


 「世間はムダをよくないもののように言うが、そもそも私がこの世に生れたこと、私が生きていること、私が何かすること、

 またしないこと、一つとしてダメとムダでないものはない。その自覚があるものとないものがいるだけである。私の存在

 そのものがムダだというのに、どうしてそのなかの区々たるムダを争うことができよう。」

 「私は弱年のころから今にいたるまで、自信というものを持ったことがない。自信は暗愚に立脚していると思っている。

 それらしいものが生じると、私は我にもあらず常に自ら打ちくだいてきた。そしていつも薄氷をふむ気持でいる。もし

 私に何らかの取りえがあるとするならば、それはこの常に薄氷をふむつもりでいることによる。私はその気持の助長に

 つとめてきた。」

 「私はもういつ死んでもいいのである。それは覚悟なんてものではない。いっそ自然なのである。その日まで私のすること

 といえば、死ぬまでのひまつぶしである。」

 「物ごころついて以来、私のしてきたことはみな死ぬまでのひまつぶしであった。」

  (山本夏彦著「ダメの人」所収)


 「私は三男である。無口で陰鬱な少年で、昭和五年数え十六のとき自殺を試みている。東京府立五中の二年生である。

 なぜ自殺を試みたかは自分でもたしかなことは言えない。言えば我にもあらず飾るだろうから言いたくない。十八のとき

 もう一度試みてしくじった。死神にも見放されたのだろうと以後試みない。」

  (山本夏彦著「無想庵物語」所収)


 「何も私は喜んで生きているわけではない。今さら自分から死ぬわけにはいかないから、渋々この世とつきあっている。

 生きて甲斐ない世の中だ。こうしてただ死ぬのを待っていると、ころりと横になって死んだまねしてみせると、客は

 愁傷のふりをするから妙である。」

  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」所収)
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SERENDIPITY  2005・08・27

2005-08-27 06:05:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「もしそれがひとかどの作者なら、どこかいいところがあるはずである。担当者は目ざとくそれを発見して、そのつどほめれば

  作者はきっとよくなる。よくならなければもう涸渇しているのである。それなら捨てるよりほかない。それが編集者だと私は

  書いたことがあるが、近ごろほめる人が稀になった。ことに新人を発掘する人が稀になった。

   新人を見つけだして推すことはむずかしい。また恐ろしい。何しろ全く無名である。それを推すのは全責任を自分が負うこと

  である。成功すれば手がらだが、しなければあんな者を推してとその眼鏡を疑われる。

   企業の新企画も似たようなものである。かげで悪く言っておけば安全である。失敗したときは自分は先見の明があったことに

  なるし、成功しても反対の仲間が多かったのだから互にとがめない。どんな新企画にも反対するものが多いのはこんなわけである。

   けれども自分にそんなに自信をもてるものは少ない。不安である。ことにそれが知人なら私情で推すかと痛くない腹をさぐられる。

  だから仲のいい友に頼んで推させ、自分は渋々賛成するほうに回る。それほど新しい才能は見つけるのも推すのもむずかしいのである。

   だから『賞』というものがあるのである。いま五百も六百もあるという。有名なのに芥川賞直木賞がある。編集者が責任を持つこと

  からまぬかれる有難い賞である。一流の選者がいて衆議をつくしてきめてくれるから責任は選者にある。

   あとは追っかけごっこすればいいのである。才能はいらない。義理と人情はいる。それには前もって有力候補に接近しておく。

   建築のコンペも賞の一つである。この賞の選者はそのつど招集されその都度解散する。入賞作があとで欠陥ビルだったり劇場

  だったり公会堂だったりしても、そのときその選者は解散して誰もいない。

   賞というものがこんなにある一因である。」


  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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2005・08・26

2005-08-26 06:05:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は人が真実だのまごころだのと言うのをうろんだと思っている。第一、人前で言われる真実だのまごころだのは、にせものにきまっている。それは本来含羞を帯びるべきもので、白昼堂々と言ってよいものではない。それにそもそも、めったに存在しないものである。
 たとえば、社員が社長の新築祝いにまねかれて、徹頭徹尾まごころこめた祝辞が述べられようか。社長の新居は社員を搾取して成ったとは、組合員がかげで言ううわさで、まさかこれを祝いの席で言うものはあるまいから、その席の祝辞の半ばは嘘である。
 その社の部長の頓死は、課長の喜びである。課長の定年退職は次席のチャンスである。愁傷のふりをして頓死のくやみを述べれば、遺族は謹んで承るふりをする。悲しいから泣くのではない。泣きまねするから悲しくなるとは私の説ではない。名高い西洋人の説である。
 ボオマルシェいわく、婚礼はまじめの極にして道化の極なり、と。新郎新婦、宴はててのち何するものぞと思えば笑止だろうが、それは口には出さぬものだ。
 個人と個人の交際、会社と会社の交際はまずこんなものである。真実だのまごころだのというのなら、まずそれを見せてくれ。熱誠あふれる新築祝いの祝辞を述べてくれ。」

   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
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2005・08・25

2005-08-25 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「いかにいますちちはは――この歌は『故郷』という小学唱歌の一節で、つつがなしや友がき、と続く。文部省はしばしば古い唱歌を歌うことを禁じるが、まだ歌われているだろうか。友がきなんて現代っ子には分るまい、ほかに使い道もない言葉だから教えなくてもいいと文部省は言う。
 友がきは互に手をたずさえた子たちを垣にたとえた言葉である。この歌を禁じると友垣なんて床しい言葉は永遠になくなる。いかに在ます父母と聞くと涙ぐむ人がある。私たちはこういうやさしい心を失ったのである。だから懐旧の情に耐えないのである。
 みんな戦後の断絶から生じたというのは誤りである。私は大正に生れ昭和に育ったが、私の心のなかに『孝』はない。孝を滅ぼしたのは大正デモクラシーである。谷崎潤一郎は吉井勇と共に大正の初め親不孝を売物にしていたと、その『青春回顧』に書いている。」

 「孝は自然の情ではない。人間以外の哺乳類は一人前になるまでは子を世話してやまないが、一人前になったらあかの他人である。子もまた他人で孝養をつくすということは全くない。
 孝は人間だけのもので、中国人が三千年かかって教えて作りあげたモラルである。本来自然でないのだから、新憲法で孝はしないでいいときまったら完全に滅びた。いま私たちの老後の諸問題は昔はみな孝が始末していたものである。戦前は長男一人が遺産相続してその代り親の扶養の義務は長男一人が負った。今その義務は全員にあるということは、互におしつけて誰にもないということである。
 私たちは親が死んでも泣かなくなった。まして兄弟が死んでも涙一滴こぼさなくなった。私たちは禽獣に、また鬼に近いものになったから、かえらぬ昔の唱歌を聞くとふと涙ぐむのである。」

  (山本夏彦著「オーイどこ行くの」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)
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世間知らずの高枕 2005・08・24

2005-08-24 06:20:00 | Weblog

  今日の「お気に入り」は 、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から 。

  「 画家も文士も 、ついこの間まで政治に関心をもたなかった 。

   芸術は風流韻事だった 。藤原定家は天下大動乱をよそに

   『 紅旗征戎はわが事にあらず 』といって 歌を詠んでいた 。

    これがわが『 敷島の道 』の伝統である 。明治になっても尾崎紅葉の

   硯友社の面々は 、政治経済を論じなかった 。論じるものを『 野暮 』

   と笑った 。自然主義の作家も男女のことは書いたが天下のことは書か

   なかった 。

    文士が国事を憂えるようになったのは 、プロレタリア文学以来である 。

   つけ焼刃である 。戦後ジャーナリズムは左翼とそのシンパに占領され

   たが政治的関心は知識人以外に及ばなかった 。この 八月二十日の紙面は

   『 ソ連保守派がクーデター 』と大見出しを掲げたが 、こんな見出しでは

   何も分らない 。保守派といえば わが国では自民党のことである 。ソ連で

   は共産党のことだとは コメントがなければ分らない 。せめて 保守派( 共

   産党 )とカッコ内に示せ 。

    突然さかのぼるが 昭和十二年十二月十三日は 南京陥落の日 である 。南京

   は当時首都である 。首都が陥落したら 日支事変は 当然終ると 国民は望み

   かつ信じていた 。昭和十二年は デパートには 今と同じく物資はあふれ 、

   ネオンは輝いていた 。このことを言うものがないから 何度でも言う 。

    進歩的文化人は 昭和六年の満州事変から敗戦までの十五年間は まっ暗だ

   ったというが 、そりゃ ひと握りの左翼は 警察に追われて まっ暗だったろ

   う 。けれども 国民全員は 共産党でも シンパでも 何でもない 。連戦連勝

   に酔って 提灯行列していた 。

    これを『 世間知らずの高枕 』という 。いつの時代でも 人は どたん場まで

   高枕なのである 。一寸さきはヤミだと知った上で 枕を高くして寝ているの

   である 。今もまたそうである 。後世は これを まっ暗だというであろう 。」


   ( 山本夏彦 著「 世間知らずの高枕 」新潮文庫 所収 )

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2005・08・23

2005-08-23 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「たとえば樋口一葉全集全十巻、鈴木三重吉全集全十なん巻、断簡零墨まで集めてはじめて全集である。一人一冊で何が全集かとむかし改造社の『日本文学全集』のたぐいを岩波書店は非難したが、私はこの説ならとらない。
 作者の全盛時代はせいぜい三年か五年である。一葉は数え二十五で啄木は二十七で死んだ。藉(か)すにあと十年をもってしたらと思うのは欲である。一葉がさらに十年生きたら、口語文の小説を書かなければならなくなる。一葉の口語文なんか私は読みたくない。作者も書きたくない。啄木が六十七十まで生きて、あの三行に分ち書きした短歌を千も万もつくったら読者はつきあいきれないだろう。
 若くして死んだ作者はそれなりに燃焼し尽くしたのである。二葉亭四迷は『浮雲』一巻を書いてそれが初めであり終りだった。菊池寛の全集は全なん十巻あるか知らないが、その真面目を知るには一巻で足りる。中島敦は最もそうで、それでいて不朽である。
 作者はその処女作を出られないという。作者としての寿命が尽きたのに、なお命ながらえている作者はたいていは知らないで、または知って、佳作といわれた自作を模しているのである。
 一人一冊のなかにその作者の神髄はある。その一冊が縁で死んだ人と友になれたらそれでいいのである。作品の選択に異論はあろうがそれはやむを得ない。なおその作者を知りたい有志は去って神田の古本屋街へ行くがいい。作者はそこの棚にひそんで貴君を待っている。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)
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パブロフの犬 2005・08・22

2005-08-22 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『羽織ごろ』という言葉をご記憶だろうか。私はおぼえている。一見紳士みたいな紋付羽織袴姿で大会社に乗りこんで、天下国家を論じて結局いくらか貰って返る――新聞記者の異名である。
 明治大正時代の新聞記者は、羽織着たごろつきだといわれた。二流三流新聞の記者はその場で、一流はあとで貰った(だろう)と、これはかげで言われた。」

 「昭和になってからは羽織ごろは死語になった。そのかわり新聞は増長して、自分を正義で潔白で無謬だと思うようになった。」

 「新聞が世をあやまるのは繰返すが自分を無謬だと思うことにある。週刊誌は『黒い報告書』のたぐいが呼物であるかぎり内心忸怩としてそんなこと思いはしない。これでいいのである。」

 「世界の共産党が瓦解した今わがマスコミはノンポリか日和見だろう。それにもかかわらず天皇制といえば反対、国旗といえばあげないというのはパブロフの犬(条件反射)である。日の丸は血にまみれているというが、どこに血にまみれない国旗があるか。その旗をひきずりおろした五、六人の生徒がいた、即位の日をお休みにしなかった小学校が一校あったと大きく報じるのは日和見のくせになぜだろう。教育である。小学校以来四十年間国家と国旗をあしざまに言う教育をうけたから、大人になってもしぜんこんな紙面をつくるようになったのである。」

   (山本夏彦著「世間知らずの高枕」新潮文庫 所収)


 昨日耳にした二十前後の若者の会話の断片です。

 「よくわかんないけど、コイズミさんカッコいいよネ。」
 「革命やんないキョーサントーなんて意味ないじゃん。」
 「シャカイトー?(多分社民党のことです)口ばっか。うざってー。」
 「オカダ、誰それ。」

 選挙なんか行きそうにないけど、案外、よく見てるのかも知れません。
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