今日の「お気に入り」。
” If you have an apple and I have an apple and we exchange apples
then you and I will still each have one apple.
But if you have an idea and I have an idea and we exchange these ideas,
then each of us will have two ideas. ”
” The more things a man is ashamed of, the more respectable he is. "
" We don’t stop playing because we grow old; we grow old because we stop playing. "
" Life isn’t about finding yourself. Life is about creating yourself. "
" He who can, does. He who cannot, teaches. "
" If you teach a man anything, he will never learn. "
" The secret of success is to offend the greatest number of people. "
" Patriotism is your conviction that this country is superior to all other countries
because you were born in it."
( George Bernard Shaw )
参考訳
もし君と僕がりんごを交換したら、持っているりんごはやはり、ひとつずつだ。
でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは二つずつになる。
より多くのことを恥じている人ほど、より敬意に値する。
年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ。
人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。
できる者は実行する。できない者が教える ( 講釈する )。
もし人になにかを教えようとすれば、彼は何も学ばないだろう。
成功の秘訣は、多数に逆らうこと。
愛国心とは、自分が生まれたという理由で、その国が他よりも優れている
という思い込みのことである。
ついでながら、フリー百科事典 「ウィキペディア」、その他によりますと、
ジョージ・バーナード・ショーさん( George Bernard Shaw, 1856 - 1950 )は、
「 アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリストで、
ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々で
多様な功績を残した才人として知られる」とのことです。
その略歴は凡そ次のとおりです。
「 1856年7月26日、現在のアイルランドの首都ダブリンに生まれる。
父は法務省の役人をやめて穀物卸売商を営んでおり、母は地方の紳士階級の出身で
芸術を愛好する女性であった。
15歳で学校を卒業したバーナード・ショーは、ダブリンの土地仲介業者のもとで
働き始める。
20歳のときに、ロンドンで音楽教師として働き始めていた母と姉を追ってロンドン
へ移住。バーナード・ショーは母と親しい音楽評論家のゴーストライターを始める。
その後、ショーは社会主義に傾倒し、28歳のときにフェビアン協会(イギリスの
社会主義知識人による運動。労働党の基盤の団体)に入会。講演などに活躍した。
1892年、36歳のバーナード・ショーは『やもめの家』( Widowers' Houses )で
劇作家としてデビュー。
創作活動に加えて、フェビアン協会での活動による多忙のために健康を害したが、
ファビアン協会にいたシャーロット・ペイン=タウンセンド ( Charlotte Payne-Townshend )
の献身により回復し、1898年、42歳のときに結婚する。
その後も精力的に作品を書き続け、1914年にはウェスト・エンドで初めて興行的
な成功を収める。
代表作品:
『ピグマリオン』(Pygmalion)(1913年初演)
ガブリエル・パスカルによって1938年に映画化され、ショーはアカデミー脚色
賞を受賞した。また、アラン・J・ラーナーによってミュージカル化され、『マイ・
フェア・レディ』としてブロードウェーで大ヒットしたことは良く知られている。
原作、ミュージカル共に、現在も世界各地で上演されている。
『聖女ジョウン』(Saint Joan)(1923年初演)
それまで悲劇のヒロインとして描かれてきたジャンヌ・ダルクを、社会と葛藤する
一人の人間として描き、1925年にノーベル文学賞を受賞。1957年に映画化
されている(監督:オットー・プレミンジャー、脚色:グレアム・グリーン)。
1925年に「他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した」
としてバーナード・ショーはノーベル文学賞を受賞する。初めは固辞していたが、賞金を
寄付するという条件で受賞応諾。
因みに、バーナード・ショーは菜食主義者であった。85歳の時、『 私は現在85歳だ
が、これまでと同じように元気に仕事をしている。もうかなり長く生きたので、そろそろ
死のうかと思っているのだが、なかなか死ねない。ビーフステーキを食べれば、ひと思い
に死ねると思うのだが、私には動物の死体を食べるような趣味はない。私は自分が永遠に
生きるのではないかと思うと、空恐ろしい気分になる。これが菜食主義の唯一の欠点であ
る 」と語ったことがあった、という。
1943年に妻シャーロットが死去する。
1950年11月2日、ジョージ・バーナード・ショーは94年の生涯を閉じた。」