「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

人間は停滞してはならない 2016・08・23

2016-08-23 15:55:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


    ”The purpose of our lives is to be happy.”

                         ( His Holiness the Fourteenth Dalai Lama )







フリー百科事典ウィキペディアによれば、Dalai Lama さんのことは、次のように書かれています。


    「ダライ・ラマ14世(1935年7月6日(チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマである。

     法名はテンジン・ギャツォ(チベット文字:བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་; ワイリー方式:Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。

     1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。

     4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベットの君主の座に就いていたが、

    1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインドへ亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに

    樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。

     亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面

    において指導的立場にある人物と目されている。

     また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさら

    なる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった。

     2011年には、自身の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の長から引退することになった。

     これを承けた亡命チベット人憲章改定案では『チベット国民の守護者にして保護者であり、チベット人のアイデンティティと統合の

    象徴である』と規定され、ダライ・ラマがチベットの政教両面の権威者の座に即くというダライ・ラマ5世以来の伝統を終わらせるこ

    とになった。

     世界的に著名な仏教指導者の一人であり、チベット仏教のゲルク派において最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶である。

     歴史上のダライ・ラマはゲルク派の正式な長ではなく、ゲルク派の教勢が伸長して他派との摩擦が生じた時代に事実上の最高指導者と

    なった学僧ゲンドゥンギャムツォ、そしてその転生者に認定されたスーナムギャムツォに始まる、ゲルク派の統合の象徴とされた転生系譜

    であったが、1642年以降(ダライラマ五世の時代)、モンゴルなどを含むチベット仏教圏に影響力をもつ宗教的権威とチベットを統べ

    る政治的権威とを兼ね備えた地位となった。

     一方、現在のダライ・ラマである14世は亡命後にチベット人全体の政教両面の指導者とみなされるようになったが、この事態はそれま

    でのダライ・ラマとは異なり、ある種の政治的事情が背景にあるという意見もある。

     また、本人は『自分は一介の比丘にすぎない』と語ることが多い。

     世俗的な称号としては、パリ名誉市民、名誉博士(ニューヨーク州立大学バッファロー校)などがある。」








  上の英文の意味、「私たちの人生の目的は、幸せになることなのです」からして。




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歴史は繰り返す 2016・08・22

2016-08-22 11:10:00 | Weblog



今日の「お気に入り」。


    ” The greatest mistake in the treatment of disease is that there are

       phisicians for the body and physicians for the soul,

        although the two cannnot be separated.”

                         ( Plato )






  現代社会の諸問題の多くはギリシャ、ローマの昔から存在しています。






   上のギリシャ語だかラテン語を英訳した文章の意味は、「病気の治療における最大の過ちは体を診る医者と心を診る医者が別々に存在することだ。

  体と心、両者を分けることなど出来ないのに。」、あるいは「医療の犯した最大の過ちは、身体を診る医者と心を診る医者を分けてしまったことだ。

  身体と心は分けられないのに。」といったところでしょうか。

   

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周囲の人の支えを受け入れる 2016・08・21

2016-08-21 07:50:00 | Weblog




   今日の「お気に入り」。


    ” In poverty and other misfortunes of life,

       true friends are a sure refuge.”

                         ( Aristotle )








   フリー百科事典ウィキペディアによれば、Aristotle さんのことは、次のように書かれています。


    「アリストテレス(アリストテレース、古希: Ἀριστοτέλης - Aristotélēs、羅: Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)は、

    古代ギリシアの哲学者である。

     プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば「西洋」最大の哲学者の一人とされ、その多岐にわたる自然研究の

    業績から「万学の祖」とも呼ばれる。

     特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。

     イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。

     また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。

     アリストテレスは、知を愛することが人間の本性であるがゆえに、人間は「知を愛する」と考えた。

     ギリシャ語ではこれをフィロソフィア(Philosophia)と呼ぶ。

     フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。

     この言葉が「哲学」になった。

     著作集は日本語版で17巻に及ぶが、内訳は形而上学、倫理学、論理学といった哲学関係のほか、政治学、宇宙論、天体学、

    自然学(物理学)、気象学、博物誌学的なものから分析的なもの、その他、生物学、詩学、演劇学、および現在でいう心理学

    なども含まれており多岐にわたる。

     アリストテレスはこれらをすべてフィロソフィアと呼んでいた。

     アリストテレスのいう「哲学」とは知的欲求を満たす知的行為そのものと、その行為の結果全体であり、現在の学問のほとんどが

    彼の「哲学」の範疇に含まれている。

     名前の由来はギリシア語の aristos (最高の)と telos (目的)から。」






  上の英文の意味は、「人生で貧困や逆境にあるとき、頼りになるのが真の友である。」あるいは「貧しいときや

  悲惨なとき、真の友は慰めにになってくれる。」といったことでしょうか。






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抑圧された感情を解き放つ 2016・08・20

2016-08-20 15:30:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


    ” Anger is an acid that can do more harm

        to the vessel in which it is stored

         than to anything on which it is poured.”

                         ( Mark Twain )








  フリー百科事典ウィキペディアによれば、Mark Twain さんのことは、次のように書かれています。


    「マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835年11月30日 - 1910年4月21日)、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel

     Langhorne Clemens)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。

    ミズーリ州出身。

    『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、

   当時最も人気のある著名人であった。

    ウィリアム・フォークナーは、トウェインが「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記した。

    アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』において、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの

    『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べた。」






   上の英文の意味は、「『怒り』とは『酸』のようなものだ。『酸』が、注がれた相手よりも、容器そのものをひどく腐食させるように。」

  あるいは「『怒り』とは『酸』のようなものだ。ため込むと容器が傷を負う。吐き出して相手を傷つけるよりも、ずっと大きな傷を。」といったところでしょうか。

   相手も傷つきますが、売られたけんかは買うしかありますまい。

   堪忍袋の緒はきれるものです。






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行動は成功の母 2016・08・19

2016-08-19 09:50:00 | Weblog


   今日の「お気に入り」。


    ” Action is the fundamental key to all success.”

                         ( Pablo Picasso )







   フリー百科事典ウィキペディアによれば 、Pablo Picasso さんのことは 、
  次のように書かれています 。


  「 パブロ・ピカソ( Pablo Picasso [ˈpaβlo piˈkaso] , 1881年10月25日 - 1973年4月8日 )は 、
   スペインのマラガに生まれ 、フランスで制作活動をした画家 、素描家 、彫刻家 。

    ジョルジュ・ブラックとともに 、キュビスムの創始者として知られる 。

    生涯におよそ1万3500点の油絵と素描 、10万点の版画 、3万4000点の挿絵 、
   300点の彫刻と陶器を制作し 、最も多作な美術家であると『 ギネスブック 』
   に記されている 。」


  「 ピカソの洗礼名は、聖人や縁者の名前を並べた長いもので、長い名前の例と
   してよく引き合いに出される 。

    諸説あるが 、講談社が1981年に出版した『ピカソ全集』によると 、

   パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・
   マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・
   トリニダード
    ( Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios
    Crispiano de la Santísima Trinidad ) である 。

   フルネームはこの後に 、父親の第一姓 ルイス ( Ruiz ) と母親の第一姓 ピカソ
    ( Picasso ) が続く( スペインの姓は 、父親の第一姓を第一姓に 、母方の第一姓
   を第二姓にして 、機械的に個人の姓が決まる )。

    画家として活動を始めたピカソは 、はじめパブロ・ルイス・ピカソと名乗り 、
   ある時期から父方の姓のルイスを省き 、パブロ・ピカソと名乗るようになった 。」





  上の英文の意味は 、「 行動が成功の鍵( 受け身にならず 、自分で行動する )。」
  あるいは「 行動は成功の母である 。」といったところでしょうか 。









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直感に従う 2016・08・15

2016-08-15 13:50:00 | Weblog



   今日の「お気に入り」。


    ” In vital matters,

       the decision should come from the unconscious,

        from somewhere within ourselves.”

                         ( Sigmund Freud )









   この英文の意味は、「重要な事柄を決断するときは、自分の内なる無意識の声に従うべきである」

  あるいは「大きな決断をするときは、無意識の声に従うべきである」といったことでしょうか。







   フリー百科事典ウィキペディアによれば、Sigmund Freud さんのことは、次のように書かれています。


   「ジークムント・フロイト(独: Sigmund Freud、1856年5月6日 - 1939年9月23日)は、オーストリアの精神分析学者、精神科医。

    オーストリアの白人系ユダヤ教徒アシュケナジムの家庭に生まれた。

    神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、心的外傷論研究(PTSD研究)、自由連想法、無意識研究、精神分析の創始を行い、

   さらに精神力動論を展開した。

    非常に詳細で精密な観察眼を示す症例報告を多数残した。

    それらは、現在においても次々と新しい角度から研究されている。

    フロイトの提唱した数々の理論は、のちに弟子たちによって後世の精神医学や臨床心理学などの基礎となったのみならず、20世紀以降

   の文学・芸術・人間理解に広く甚大な影響を与えた。

    弟子たちは、フロイトの考え方のどこかしらを批判した上でこれを受け継ぎ、様々な学派に分岐し、それぞれ独自の理論を展開していった。

    現代思想、特に大陸哲学、フランス現代思想の哲学者(ジャック・ラカン、ジャック・デリダ、フェリックス・ガタリなど多数)に大きな

   影響を与え、精神分析を基調とする哲学の創始者とされる。

    人間が意識していないいわゆる「無意識」を初めて扱ったフロイトの精神分析は、「無意識の哲学」として非常に重要なものであり、精神

   分析を広く援用する大陸現代思想に大きな影響を及ぼした。

    フロイトが心理学者であるか否かは「心理学」という語をどのように定義するかによるが、自身は著作の中で自分を心理学者だと述べている。

    フロイトの唱えた説は精神分析学者、精神科医に属するものとされることがあり、現代思想、哲学を解説する書物では広義の哲学者と

   されることもある。」





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医食同源 2016・08・09

2016-08-09 21:25:00 | Weblog


今日の「お気に入り」。


     Let food be thy medicine and medicine be thy food.

                         ( Hippocrates )








  フリー百科事典ウィキペディアによれば、Hippocrates さんのことは、次のように書かれています。


   「ヒポクラテス(ヒッポクラテース、古代ギリシア語: Ἱπποκράτης、英語: Hippocrates , 紀元前460年ごろ - 紀元前370年ごろ)は

  古代ギリシアの医者。

   エーゲ海に面したイオニア地方南端のコス島に生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられるが、その生涯について

  詳しいことは分かっていない。

   ヒポクラテスの名を冠した『ヒポクラテス全集』が今日まで伝わるが、その編纂はヒポクラテスの死後100年以上経ってからとされ、

  内容もヒポクラテス派(コス派)の他、ライバル関係であったクニドス派の著作や、ヒポクラテスの以後の著作も多く含まれると

  見られている。

   ヒポクラテス(或いはヒポクラテス派)の最も重要な功績のひとつに、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる

  経験科学へと発展させたことが挙げられる。

   さらに医師の倫理性と客観性について『誓い』と題した文章が全集に収められ、現在でも『ヒポクラテスの誓い』として受け継がれて

  いる


   人生は短く、術のみちは長い "ὁ βίος βραχύς, ἡ δὲ τέχνη μακρή." と言う有名な言葉もヒポクラテスのものとされており、

  これは『ars longa, vita brevis アルスロンガ、ウィータブレウィス』というラテン語訳で現代でも広く知られている。

   病気は4種類の体液の混合に変調が生じた時に起こるという四体液説を唱えた。

   また人間のおかれた環境(自然環境、政治的環境)が健康に及ぼす影響についても先駆的な著作をのこしている。

   これらヒポクラテスの功績は古代ローマの医学者ガレノスを経て後の西洋医学に大きな影響を与えたことから、ヒポクラテスは

  『医学の父』、『医聖』、『疫学の祖』などと呼ばれる。」


  「 『ヒポクラテスの誓い』(日本語訳)

    現実に医学部で使用されているものではなく直訳したものを記す。

    医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒギエイア、パナケイア、及び全ての神々よ。私自身の能力と判断に従って、この誓約を守る

   ことを誓う。

    この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。

    師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。

    著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、

    それ以外の誰にも与えない。

    自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。

    依頼されても人を殺す薬を与えない。

    同様に婦人を流産させる道具を与えない。

    生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。

    どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。

    医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。

    この誓いを守り続ける限り、私は人生と医術とを享受し、全ての人から尊敬されるであろう!

    しかし、万が一、この誓いを破る時、私はその反対の運命を賜るだろう。」

   





   冒頭の英文のおよその意味は「汝の食事を薬とし、汝の薬は食事にせよ」とか。



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