「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2007・05・19

2007-05-19 09:09:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「中島敦は昭和十七年『山月記』『李陵』その他がようやく認められると同時に死んだ薄命の作者である。明治四十二年生れ昭和十七年数え三十三歳で没したというから現代人である。祖父は漢学者中島撫山父も旧制中学の漢文の教師だったという。漢学一家に生れたものは何十人何百人もいるが、昭和になって漢詩文の文脈を伝えた人は中島敦一人である。

 趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都の紀昌(きしょう)という男が天下第一の弓の名人になろうと志を立て、名人飛衛(ひえい)の弟子になった。名人は弟子にまばたきしないでいることを命じた。弟子がそれに成功したことを告げると飛衛は言った。――瞬(まばた)かざるのみでは未だ射(しゃ)を授けるに足りぬ、次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、小を視ること大の如く、微(び)を視ること著(ちょ)の如くなったならば、来(きた)って我に告げるがよいと。

 右は『名人伝』の一節である。さらに『悟浄出世』をあげる。いうまでもなく『西遊記』のなかの沙悟浄のことである。

 ○一万三千の怪物の中には哲学者も少くはなかった。ただ、彼等の語彙は甚だ貧弱だったので、最もむずかしい問題が、最も無邪気な言葉を以て考えられておった。彼等は流沙河の河底にそれぞれ考える店を張り、ために、此の河底には一脈の哲学的憂愁が漂うている程である。

 前者は口語文であるが漢文そのものの趣きを伝え、後者はそれに近代味が加味されて明治の人が書かなかった新しさがある。中島敦の著作は二十編一巻を出ない。死後すでに四十余年になるのになお読むものが絶えないのは、絶えて久しい漢文脈に接して少年の読者のなかなる血が騒ぐからである。
 中島が用いる字句は昨今の高校生には見なれないものばかりである。それにもかかわらず理解は電光のように成るのである。ただ中島の衣鉢をつぐ作者はもう出ないだろう。そもそも中島があらわれたのが奇蹟だったのである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)



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2007・05・12

2007-05-12 08:40:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「明治十七年福沢諭吉は『時事新報』に『都会の花』と題した一文を寄せている。時事新報は福沢が創刊した新聞で当時の一流紙である。都会の花というのは火事のことらしい。福沢の所へ近火見舞の客人が来て、それが火事は江戸の花であるゆえんをのべる体裁になっている。客人いわく。

 火事は災難ではなく仕合せである。九尺二間の裏だなに住んで車ひきをしている男の暮しは楽でない。半鐘ひとたび鳴ってまる焼けになったところで、もともと長屋は借家で夜具は貸蒲団屋のもので、人力車は親方の、袢天は旦那の仕着せで何一つ自分のものはない。それでいて焼ければ罹災救助の金がもらえる。仕事は湧くようにある。灰かき地ならし仮普請の手伝い、そこに握りめしありかしこに酒あり、たまっていたたな賃、米屋の払いなどは火事と共に消えうせる。米屋も酒屋も物として売れざるものなし仕入れてあまるものなし、商家は火災があれば借金の返済は延ばしてもらえるのが江戸以来の商習慣で、旧債まず延ばし新債ここに成る。中以上の商家でも火事を喜ぶのはこのためで、家を抵当にとられるより火事で焼かれたほうがいい、諸君もし疑うならアンケートしてみたらどうか八百八町の多数は祝融萬々歳を唱うるや必せりと言っている。
 祝融というのは火の神転じて火事のことで、これで明治時代までは火事は都会の花であるわけがほぼわかった。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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2007・05・11

2007-05-11 07:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「いったい明治はいつまで明治だったのだろうと私は考えることがある。明治が分れば江戸は察することができる。ところが、降る雪や明治は遠くなりにけりという中村草田男の句は昭和六年の作だそうである。してみれば昭和六年でも、すでに明治は遠くなって茫としてとらえられなかったのである。
 明治は大正十二年の大震災までだと私は思っている。それまで残っていた明治はこのとき焼けうせたのである。かすかに残っていた江戸も焼けうせたのである。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊)
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2007・05・10

2007-05-10 10:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「江戸時代を私は明治大正時代より、また現代よりよく出来た時代だと思っている。戦後は『平和』が第一で、国家や国民の誇りより平和のほうをとるという説がもっぱらである。江戸時代はその平和が二百なん十年続いた時代で、こんなに長く続いた時代は世界にもないだろう。それだけでも自慢していいのに、江戸時代を暗黒時代のように言うものが多いのは奇怪である。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊所収)
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2007・05・01

2007-05-01 08:35:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「人はどれだけの土地がいるかとトルストイは問いかけた。落語では起きて半畳寝て一畳という。食う寝るところ住むところという。
 食う寝るところ住むところさえあれば、人はそんなに動かないほうがいい存在なのではないか。」

 (山本夏彦著「良心的」新潮文庫所収)
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