今日の「 お気に入り 」は 、種田山頭火 ( 1882 - 1940 ) さん の「 私を語る ― (消息に代へて) ― 」ほか 。
「 私もいつのまにやら五十歳になつた 。五十歳は孔子の所謂 、知命の年齢である 。私にはまだ天の
命は解らないけれど 、人の性は多少解つたやうな気がする 。少くとも自分の性だけは 。――
私は労れた 。歩くことにも労れたが 、それよりも行乞の矛盾を繰り返すことに労れた 。袈裟のか
げに隠れる 、嘘の経文を読む 、貰ひの技巧を弄する 、―― 応供の資格なくして供養を受ける苦脳(マヽ)
には堪へきれなくなつたのである 。
或る時は死ねない人生 、そして或る時は死なない人生 。生死去来真実人であることに間違はない 。
しかしその生死去来は仏の御命でなければならない 。
征服の世界であり 、闘争の時代である 。人間が自然を征服しようとする 。人と人とが血みどろに
なって掴み合うてゐる 。
敵か味方か 、勝つか敗けるか 、殺すか殺されるか 、 ―― 白雲は峯頭に起るも 、或は庵中閑打坐
は許されないであらう 。しかも私は 、無能無力の私は 、時代錯誤的性情の持主である私は 、巷に
立つてラツパを吹くほどの意力も持つてゐない 。私は私に籠る 。時代錯誤的生活に沈潜する 。
『 空 』の世界 、『 遊化 』の寂光土に精進するより外ないのである 。
本来の愚に帰れ 、そしてその愚を守れ 。
私は 、我がままな二つの念願を抱いてゐる 。生きてゐる間は出来るだけ感情を偽らずに生きたい 。
これが第一の念願である 。言ひかえれば 、好きなものを好きといひ 、嫌ひなものを嫌ひといひたい 。
やりたい事をやつて 、したくない事をしないやうになりたいのである 。そして第二の念願は 、死ぬ
る時は端的に死にたい 。俗にいふ『 コロリ往生 』を遂げることである 。
私は私自身が幸福であるか不幸であるかを知らないけれど 、私の我がままな二つの念願がだんだん
実現に近づきつつあることを感ぜずにはゐられない 。放ては手に満つ 、私は私の手をほどかう 。
ここに幸福な不幸人の一句がある 。 ――
このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく 」
「 春寒のをなごやのをなごが一銭持つて出てくれた 」
( 出典: 種田山頭火著 村上護 編 小崎侃・画 「 山頭火句集 」ちくま文庫 ㈱筑摩書房 刊 )
9月30日は 、ワイドFM93の日 だそうな 、だからって 、何 。