「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2019・09・26

2019-09-26 05:25:00 | Weblog





  今日の「お気に入り」。


  「 明彦が描いてくれた地図を頼りに、房江は国鉄環状線の外回りに乗って、京橋駅で片町線に

   乗り換えた。電車が小さな工場や商店街が密集する町を東に進み、放出という駅に停まった

   とき、房江はそれが『ハナテン』と読むことを知った。『ホウシュツ』とは奇妙な駅名だな

   と思っていたのだ。

    そうか、この片町線は野崎を通るのか。夫と結婚してすぐに松坂商会の社員たちと松茸狩

   りに行ったことがある。あのとき降りたのは野崎駅だった。松茸山の手前にきれいな川が

   流れていて、笠をかぶって揃いの法被を着た船頭たちが遊覧を楽しむ客に『野崎小唄』を

   聴かせながら棹を操っていた。伸仁はまだこの世に姿も形もあらわしていなかった。

    井草正之助もいた。海老原太一もいた。河内モーターの河内善助夫婦も一緒だった。

   房江がそんなことを思いだしているうちに住道駅に着いた。」


   ( 宮本輝著 「 野の春 ― 流転の海 第九部 ― 」 新潮社刊 所収 )






   国鉄片町線の「ハナテン」や「ノザキ」という駅名や「野崎小唄」の一番の歌詞が

  頭のどこかに鮮明に刻み込まれている。幼い日々のいつどこで耳にしたのだろうか。

   「松茸狩り」の記憶はうっすらあるが、それは野崎でなく能勢だった筈。

   能勢の妙見山や宝塚の清荒神のお参りには連れていかれた記憶はあるが、

   放出や野崎や観音さま参りに連れていかれた記憶はないのだけれど・・・ 。

   近隣の大阪市東成区の深江には親戚の「深江のおばちゃん」が住んでいたから野崎まいりに連れていかれた

  ことがあるのかも知れない・・・ 。

   昭和10年(1935年)に世に出た、今中楓渓作詞、大村能章作曲、東海林太郎歌唄、

  滝野細道制作、「 野崎小唄 」の一番の歌詞は、今でもメロディを伴ってよみがえる。


   この世に姿も形もあらわしていなかった頃にはやった歌を、戦後の昭和20年代、

   幼時に周りにいた誰かが歌って聞かせてくれたに違いないのだけれど、・・・ 記憶の不思議。


   ♪♪ 野崎参りは 屋形船でまいろ

     どこを向いても 菜の花ざかり

     粋な日傘にゃ 蝶々もとまる

     呼んで見ようか 土手の人 ♪♪


   インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」には「放出」について

  次のような解説が載っている。


  「放出(はなてん)は、大阪府大阪市鶴見区と城東区にまたがる地名。」

  「難読地名・珍地名として知られる『放出』の地名の由来には2説ある。

   ひとつは、当地が古代の河内湖から淀川への放出口にあたることから、

   湖水の『はなちで』から『はなちでん』さらに『はなてん』に転訛した

   といわれる。もう一つは、三種の神器の一つ・草薙剣を剣が安置されて

   いた熱田神宮から盗み出し逃げようとした新羅の僧・道行の乗った船が

   難破して当地に漂着し、神の怒りを恐れて剣を放ったという伝説に由来

   するともいわれている(草薙剣盗難事件)。地区内の阿遅速雄(あじは

   やお)神社にある石碑がその伝承を伝えている。

   平安時代には摂津国東成郡榎並荘のうちに放出村が見られ、明治の町村

   制施行まで続いた。」  
 
  

  


 


 


 

  

  
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Long Good-bye 2019・09・22

2019-09-22 05:00:00 | Weblog





  今日の「お気に入り」。


  「 市電の座席に坐ると、熊吾は週刊誌の下のほうから目を通し始めた。アメリカのワシントンで

   行なわれた大行進の記事が目に留まった。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアという黒人

   牧師の名、ワシントン大行進という見出し、人種差別撤廃と雇用拡大を求めて米国で十万人以上

   が参加という小見出しに興味をそそられたのだ。記事ではキング師の演説にはわずかな誌面しか

   使っていなかった。熊吾は、いちばん最近の週刊誌で、その演説の骨子を読むことができた。


   ── 私には夢がある。

   ある日、ジョージアの赤土の丘の上で、以前の奴隷の息子たちと以前の奴隷所有者の息子たちが、

   兄弟愛というテーブルにともに着き得ることを。

   私には夢がある。

   ある日、不正と抑圧という熱で苦しんでいる不毛の州、ミシシッピーでさえ、自由と正義という

   オアシスに変わることを。

   私には夢がある。

   私の四人の子供たちがある日、肌の色ではなく人物の内容によって判断される国に住むことを。──


    熊吾は、この黒人指導者がまだ三十四歳であることに驚いたが、演説そのものにも深い共感を

   抱いて、何度も読み返した。」


   ( 宮本輝著 「 長流の畔 ― 流転の海 第八部 ― 」 新潮文庫 所収 )



 


 
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Long Good-bye 2019・09・21

2019-09-21 04:30:00 | Weblog





   今日の「お気に入り」。


     「 俺は、同じ失敗をこれでもかと繰り返す男だなと熊吾は思った。」


     「 梅田行きの電車を待ちながら、おとといは雨だったし、きのうもきょうも薄曇りだ、

      梅雨入りはまだのはずだがと空を見やリ、熊吾は妙に心に残りつづけている『赤毛の

      アン』の一行をもじって、それを心のなかで文章にしてみた。

       ―――松坂熊吾に同じ失敗を繰り返すなということは、性格を変えろということにな

      るだろう。―――

       熊吾は、やって来た電車に乗って座席に腰を降ろすと、同じ失敗とは、商売におけ

      る金銭への杜撰(ずさん)さや、信頼しすぎて社員まかせにしてしまうことだけでは

      なく、親分風を吹かせて身の丈以上のことを請負って、いい気持になってしまうこ

      とだと思った。それはたぶん俺にとって、たまらない快楽なのであろう、と。」


     「 人生に理不尽と苦労はつきもんじゃ 」

  
 
       ( 宮本輝著 「 満月の道 ‐ 流転の海 第七部 ‐ 」新潮文庫 所収 )



 


 
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Long Good-bye 2019・09・19

2019-09-19 03:33:00 | Weblog





   今日の「お気に入り」。


     「 筒井筒 井筒にかけしまろが丈(たけ)

          生(お)ひにけらしな 妹(いも)見ざる間に 」

     「 比(くら)べ来(こ)し 振分け髪も肩過ぎぬ

         君ならずして誰(たれ)か上(あ)ぐべき 」


     「 初めの業平から紀有常の娘への歌は、小さいころ、この井筒と比べた私の背丈

      も、いつのまにか井筒を越してしまいました。あなたと逢(あ)わないでいるうちに、

      という意味であり、娘からの返歌は、あなたと比べ合ってきた私の振分け髪も伸びて、

      もう肩を過ぎました。あなたでなくて誰がこの髪を結い上げるのでしょう、そう訳すのが

      たぶん正しいと思う、と。 」


     「 二人の子、互ひに五歳にして井筒の指出(さしい)でたるに長(たけ)をくらべて、

      これより高く成(なり)たらん時は、夫婦にならむと契(ちぎ)りけり 」
   
 
       ( 宮本輝著 「 慈雨の音 ‐ 流転の海 第六部 ‐ 」新潮文庫 所収 )



 





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Long Good-bye 2019・09・11

2019-09-11 05:25:00 | Weblog




   今日の「お気に入り」。

      「 秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず

                  ( 世阿弥 風姿花伝 ) 」

        ( 宮本輝著 「 慈雨の音 ‐ 流転の海 第六部 ‐ 」新潮文庫 所収 )



 


    世阿弥の能楽書「風姿花伝」には、「 花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり 」

   という記述もあるとか。





 
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Long Good-bye 2019・09・09

2019-09-09 06:37:00 | Weblog





   今日の「お気に入り」。


    「 家は一年、木は十年、人は百年 」

    「 なにがどうなろうと、たいしたことはありゃあせん。 」

          ( 宮本輝著 「 花の回廊 ‐ 流転の海 第五部 ‐ 」新潮文庫 所収 )




 


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Long Good-bye 2019・09・02

2019-09-02 06:55:00 | Weblog






   今日の「お気に入り」。


     「 やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声 」


                    ( 松尾芭蕉 )


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Long Good-bye 2019・09・01

2019-09-01 05:37:00 | Weblog




   今日の「お気に入り」。


   「 親は子のかがみである。子は初めは親を、次いで友を、やがて世間を模倣する。人は

    まねする動物で、創意工夫する動物ではない。お忘れだろうがむかしは『親が嘉兵衛

    なら子も嘉兵衛』といった。」


   「 先生が子供たちに意見を言わせ、それをディスカッションと称して聞くふりをするの

    は悪い冗談である。意見というものは、ひと通りの経験と常識と才能の上に生じるもの

    で、それらがほとんどない子供には生じない。」


   「 教えるということは才能である。または技術である。その才能のないものが教えると、

    教わるものは迷惑する。」


   「 非は常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない。」


   「 帝王の堕落は一人の堕落にすぎない。貴族の腐敗は何千何百人の腐敗にすぎない。上流

    が堕落すれば、末流から身をおこした志士仁人(じんじん)が上流を倒せばいい。革命して

    旧弊を一掃すればいい。そして今度はその末流が上流に居すわって腐敗する番である。そ

    したら再び有志が倒せばいい。こうして、この世は健康をとりもどした。ところが今度堕

    落するのは、ひと握りの上流ではない。『大衆』である。」


   「 海がそこにあり、山がそこにあっても、だれひとり泳ぐものも、登るものもない時代が

    近く来る。何をばかなと信じないのは想像力がないからで、以前そうであったように、そ

    のしんかんたる時代は来る。」


        ( 山本夏彦著 「毒言独語」 中公文庫 所収 )







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