今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「郵便局の民営化に反対するのは、民営化されるともろもろの利権を失う幹部たちである。昭和六十二年、国鉄の民営化がきまった時とは少し違う。あの時は幹部も組合も共にながく、はげしく反対した。今度は幹部は反対するが、下っぱはしないだろうと人間見物人である私は見守っている。
新聞労連はもともと社会主義で国労、動労の友だから、ストライキがあると必ず組合の味方をした。国鉄は北海道、東日本、東海、西日本以下七社に分割されると、北海道から九州までずたずたになって三日かかる、四日かかるとまことしやかに書いて国民を脅した。赤字はふえこそすれ減りっこないとこれまた再三書いた。それでも天下の大勢は動かせない。やがて民営化されると一年余りで黒字になった。ずたずたにもならなかった。
その頃から郵便局の幹部は今度は郵政の番だと色めきたった。課長や部長が零細わが社のごときにも入れかわり立ちかわりご機嫌伺いに来た。年賀状は何百通お出しですか、千通余りですか、持参します、雑誌の発送には局の車でとりに来させます、と手のうら返すようなサービスぶりである。
自動車を回してくれるとは何よりだ、毎月二十五日が発送日だから本局に問合せたら、電話に出たのは組合員だろう、そんなこと聞いてないとけんもほろろである。上役が言ったのだから、聞いてこいと言わせたら渋々願書を出せ、何時に行くか約束できないと言う。上役は一大事だと狼狽しているが、組合はまだ気勢をあげているのである。組合の強いのは一等局である。三等局ー特定郵便局には局員五、六人しかいない。どういうわけか戦前から娘たちだけで、口をきいたらソンだといわんばかりの仏頂面(ぶっちょうづら)をしていた。
局員が書留るから書留だろう。五十人六十人に原稿料を送るときは、客に複写伝票に氏名番号を書かせ、局員はただスタンプを押すだけで書留料をとる。昔からそうである(今も)。それがある日を境に豹変した。にこやかになった、口をきくようになった。ほぼ同じころ銀行が無愛想になった。郵便局のお株(かぶ)を奪って仏頂面になった。通帳を持って窓口へ行くと、そこに機械がある、行けといわんばかりになった。
労働組合の時代は終ったのである。その威令は末端に及ばなくなったのである。今度の郵政の民営化に幹部は結束して反対するだろうが、特定局は騒ぐまい。
明治維新の時もそうだった。樋口一葉の父君は甲州の農村の出で、小金をためて江戸に出て同心(どうしん)(与力〈よりき〉の下役、下級の警察官)の『株』を買った。下級だろうと士族である。幕府が瓦解する寸前士族の株を買って何とすると今なら思うが、一葉の父は思わなかった。
薩長の時代になっても上役が薩長になるだけで、与力同心目明しのたぐいは旧のままだ。全員クビにしたら警察はなくなると父君は見て、そしてその通りだったのである。それなら今の特定郵便局の局長以下はまず無事だろうと娘たちは知らないで少しは騒いでもすぐ静まるだろう。民営化されても身分は旧のままで給金もそのままだろう。
ものには汐どきがある。労働組合にはひと騒動する気はないと見物人である私は見ている。
(平成十三年十一月二十九日号)」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)