6月8日(日)雨が止んだので、わが家の紫陽花から初めて町内をひと回りしてきました。
以下は、昔「週刊朝日」に連載された“花のうた 草の囁き「季に寄せる」6月・紫陽花”の句です。
阿波野青畝(あわのせいほ)と「かつらぎ」の人々
あぢさゐに最も荒し沼の雨 赤堀秋荷
梅雨時をいろどるあじさいの花がある。雨にけむった沼の岸がつづいている。作者は傘をさして沼に来た。沼が小暗く時化そうなけはいにおそわれた。
船宿のつつかい棒や濃(こ)紫陽花 中村草哉
例えば潮来のような水郷を思う。行き来する舟のために岸には宿が構えているが、古い建物だからつっかい棒してある。今紫陽花の花ざかりで水に影をうつしている。
咲きそめし額(がく)に花びら離々(りり)とあり 山本歩禅
あじさいの一種に額あじさいがある。一寸貧相で花びら(実際は苞)は少ない。俳人はこういう花にも愛着があって句にまとめる。「離々とあり」がいかにも自然さを示してくれる。
あぢさゐの花をすりすり舟進む 鈴木一睡
中7字の「花をすりすり」と叙されて進む舟が狭まった水路をたどりたどり行く面白さを訴える。単純に表現しているから印象が深い。
紫陽花に七の忌くれば色変わる 原 節子
あじさいを七変化ともいう。永い花期にときどき色を変えるからである。七の忌は七日目ごとの忌の仏事を営む。満中陰(49日)で切りあげるが、その間にあじさいの色も変わる。故人への哀愁がただよっている。
紫折戸(しおりど)を隠すあぢさゐ濃くなりぬ 北野里波亭
紫折戸は庭への入り口になる。いろいろの植え込みが茂って、あじさいも混じっている。ただ美しく花を誇っているのはあじさいのみという感じ。
あぢさゐにはげしかりける雨小降り 原田一身
はげしく雨に叩かれてあじさいは重く伏していたが今はその雨も弱くなった。どことなく明るさが見えて小降り状態だ。梅雨どきの天候として興味がある。
輪投げの輪紫陽花の花とばしけり 簗 夢郷
珍しく晴れたので輪投げをして遊ぶ。なかなか輪が的中しない。また外れた。あじさいに触れて花をとばした。
あぢさゐの花を突きぬけ竹の幹 松岡智香子
あじさいが咲いた所に竹が生えている。画になるほど具体化している。
霧を生むその紫陽花の多情かな 阿波野青畝
私は主観的に見たあじさいを詠んだ。雨後の濡れたあじさいが多様の色を見せ合っていて霧に包まれまた現れたりする。多情とはなまめかしい花の有りようだと思ったのだ(青畝)
6月9日(月)柏市逆井の観音寺で見た紫陽花を追加します。