「池川友一活動報告ニュース 都政への架け橋」の第37号ができました。
今週のニュースは、
●ストップ!リニア──共産党都議団が国交相に要望
●憲法守る。署名を1350万人から3000万人へ──不断の努力
●絵本作家かこさとしさんを悼む
について記事を書いています。
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第6章は法律と権利です。
「なぜ法律があるの?」という問いから、この章は始まります。
「なぜ法律があるの?」
社会は、法律や規則がなくてもうまく機能するかもしれません。それなら、「なぜそんなものがあるの」と尋ねたくなるでしょう。確かに、私たちはみんな、他人のモノを盗んだり、他人を殺したり、脅したりしてはいけないということを、どこかで学んで知っています。
それでも、すべての社会には法律と規則が必要なのです。交通面で言えば、交通規制がなければおそらくまったく機能しないでしょう。社会も、それに近いのです。法律や規則は、社会に生きる私たち同士が協力しやすくするものなのです。
社会でもっとも大切な法律は、私たち人間の権利と民主制にかかわるものです。これらの法律は「基本法」と呼ばれています。
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」(国際連合の「世界人権宣言」第一条)
<考えよう!>
スウェーデンの教育は、徹底的に思考することを前提として組み立てられていることがわかります。
日本においても憲法と法律の違いについて、教えることがあります。憲法は権力を縛るものであり、法律とは違うという趣旨です。「立憲主義」という言葉がそれです。
「世界人権宣言」を議論の土台にしていることは、日本の教育ではほとんど見られない光景です。
さらに、「法律と規則」では、サッカーにルールがあるように社会にもルールがあること、それをジャッジするのはサッカーでは審判であり、社会では裁判官であることなどが書かれています。それは、すべて法律に基づいて行われているということを身近な問題として書いているのです。
この後、「異なる犯罪には異なる刑罰」があるとして、具体的な犯罪についてどのような内容でどのくらいの刑罰なのかが記されています。「刑罰を重くすれば、犯罪は減ると思いますか?」と考えさせるなど、ここでも徹底的に思考することが求められます。
さらに、死刑制度について「昔は、死刑が適切な刑罰と考えられていました」とあり、「今日では、アメリカのいくつかの州を除いて、すべての民主制国家で死刑が廃止されています」と記されています。
「おやっ」と思ったのは私だけはないと思います。大学生たちの感想でも「ここに日本が含まれていないということは、もしかしてスウェーデン人は日本を民主国家だと思っていないのかも……」と述べています。
■犯罪に対する向き合い方
「人はなぜ犯罪を起こすのでしょうか?」と投げかけ、「犯罪の結果」について次のように述べられています。
刑罰の判決を受けた人には、困難な人生が待ち受けています。もし、刑務所に入ったとなると、仕事や住居を見つけることが難しくなります。長い期間刑務所に入って出てきた人の多くは、自信を失い、家族や友人との連絡も途絶えがちとなります。
犯罪の被害者となった人も、しばしば支援や助けが必要となります。彼らは、長い期間にわたって病院に通わなくてはならないような深刻な傷を負うこともあります。また、たとえば通りで強盗に襲われた人は、外に出ることを怖がるかもしれません。
犯罪は社会にとってもお金のかかることです。人々を刑務所に入れておくこと、裁判を開くこと、犯罪被害者を支援することには、多くのお金がかかります。
ですから、若いうちに犯罪を起こした人を社会が助けようと努力することは、大切なことなのです。それは、若者たち自身のためになるだけでなく、社会としてもお金を使わずにすむからです。(167〜168ページ)
ここは意見の分かれる議論かもしれません。
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リニア中央新幹線の「大深度地下使用の認可申請に関する説明会」が各地で行われています。
私は、14日の鶴川市民センターで行われた説明会に参加しました。
説明会では、自分の家の真下を通るという発言をされた方が何人かいらっしゃいました。振動はどうなのか、それが長期間に及んだ場合はどうか、地盤沈下の可能性はどうか、家屋調査は実施してくれるのかなどなど。
また、非常口(立て坑)周辺の方からも不安の声が出されました。
当初の終了予定時刻を超えて、質疑応答が行われましたが真正面から答えず関係のないことを述べる場面もありました。
JR東海は、大深度地下(地下40㍍以下)を利用するから、地上には影響がないと説明していますが、国も「大深度地下にも土地の所有権が及んでいる」(※民法207条)と国会で答弁しているのです。
しかし、実際には所有権者への個別の説明もなく、家屋調査も実施されていません。つまり、所有権のある人に、リニアが通ることを知らせないまま工事が進められようとしているのです。
少なくとも外環道では地上部の家屋調査を実施しています。
説明会でも、「家屋調査は必要ない」「ホームページや広報で説明会のお知らせをしている」と個別の説明については行わない考えを示しました。
国交相は、「住民の理解」が必要と言いますが、これでは理解など得られません。リニア計画は、中止すべきです。
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町田市総合水防訓練が行われました。
雨季、台風の時期を前に越水訓練などを行い、備えるという町田市の特徴を捉えて毎年行われています。
今回の訓練でも積み土のう工法など、様々な訓練が実施されました。
河川が氾濫しないにこしたことはありませんが、「絶対」はありません。
「備えあれば憂いなし」という言葉がありますが、地道な訓練がいざという時に的確な判断をできる力になるということだと思います。
町田市総合水防訓練へ。
— 池川友一 (@u1_ikegawa) 2018年5月13日
境川対策を始め、雨季や台風を前に、毎年行われています。
みなさん、おつかれさまでした。 pic.twitter.com/mGfC9AtScG
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次の第5章は政治です。
政治的な決定は、スウェーデンに住んでいるわれわれすべてに影響を与えます。ただし、私たちもそれに影響を与えることができます。なぜなら、政治家に投票するのは私たちだからです。したがって、「決定しているのは私たちだ」と言えます。(124〜125ページ)
この本の核心部分といってもいい部分です。これだけストレートに主権者教育をしていることが、スウェーデンの投票率が8割を超えていることにつながっていると感じます。
スウェーデンでは、誰がもっとも権力をもっているのでしょうか?
スウェーデンでは、実のところ誰がもっとも権力を持っているのでしょうか? あなたはどう思いますか? 王様でしょうか? それとも大企業でしょうか? あるいは、首相でしょうか? 新聞やテレビ局などのメディアでしょうか?
ズラタン・イブラヒモビッチは人気のアイドルで、メディアによく登場します。彼は大きな権力をもっているでしょうか?
それとも彼女でしょうか? H&Mで持続可能性部長を務めるヘレーナ・ヘルメーソン(Helena Helmersson)さんは、二〇一四年に「スウェーデンでもっとも権力のある女性」に選ばれました。いや、やはり、私たちの王様、カール一六世グスタフ国王が物事を決めているのでしょうか?
スウェーデンでは、誰がもっとも権力をもっているのかという問題については、いつも誰かが議論しています。みんなが例として挙げる人々は、王様は別として、あなたや他の人々に影響を与えうる大きな権力をもっています。
けれども、誰がもっとも権力をもっているかということになると、どの人も当てはまりません。もっとも権力をもっているのはスウェーデン国会なのです。なぜそうなのかについては、このあとに学んでいきます。
この後の大学生たちのやりとりでは「日本では経済と政治が分けられることが多い」と感想を述べていますが、スウェーデンでは一体不可分のものとして扱われています。
その後は、
「政治」という章ですが、そこで論じられているのは、どこか別の世界のものではなく、自分たちのことです。
日本の教育現場では、どこか別世界のことを「制度」として学ぶ(テストに出るから学ぶ)という感があります。
訳者の鈴木先生が「本章には『主権』という言葉が登場しません。その代わりに、『誰が権力をもっているのでしょうか』と問いかけてきます。…他方、日本の教科書には『国民主権』という言葉が登場します。ただし、それは多くの場合、日本国憲法の三原則として説明されています。そのことが悪いわけではありませんが、日本では『三原則』となると、その三つをきちんと覚えることに重きが置かれてしまっています。その結果、『国民主権』という言葉は知っていても、その意味はよく分かっていない、なぜ大切なのかがよく分からない、ということになるわけです」と書いていますが、スウェーデンと日本の決定的な違いはここにあると感じました。
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