綾瀬市議・上田博之のあやせタウンWebニュース【ブログ版】

神奈川県綾瀬市政の動きを縦軸にしつつ、
横軸は四方八方に広がります。
綾瀬市会議員 上田博之(日本共産党)です。

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◆途中豪雨に見舞われましたが、市内6会場で綾瀬市の防災訓練が行われました

2012年09月02日 | 災害ボランティア

 9月2日(日)9時から、大規模地震を想定した総合防災訓練が行われました。
 主会場となる寺尾小学校では、ライフライン復旧、エアテントによる救護所設置・救急救護、初期消火、心肺蘇生法(AEDの使い方)などを訓練。
 また、起震車体験や災害救助犬とのふれあいもできました。
 しかし、突然の激しい雨でたいへんでした。

 私が起震車の前を通りかかると、「起震車の体験、始まってますよ~」と声をかけられました。今日始めての体験者となりました。ガタガタ、グワングワン、横揺れだけでなく立て揺れも激しい震度7を体験しました。率直な感想。「あ~、これじゃあ我が家はつぶれるぞ・・・」。

 

2012年9月2日 綾瀬市総合防災訓練での起震車体験

 

 私が体験を始めたら、あっという間に長蛇の列に。「体験している姿をみていたらそれほどでもないかなと思ったけど、自分が体験したらものすごい揺れだった」というのが体験者の方の感想でした。

 また、今日は、綾瀬小学校、落合小学校、城山中学校、北の台中学校、春日台中学校の体育館でも、自主防災組織と地区対策本部職員による訓練も行われました。
 私は、城山中学校と北の台中学校の訓練にも駆けつけ少しのあいだでしたが、一緒に訓練に参加してきました。

 

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◆関東大震災時の朝鮮人虐殺までなかったことにする歴史偽造の動きに注意を

2012年09月02日 | 政治を考えるヒント

 横浜市の中学生用副読本「わかるヨコハマ」をめぐる問題です。

 このことは週刊新聞「新かながわ」9月2日号が伝えています。
 それによると、6月25日に産経新聞が、横浜市の中学生用副読本「わかるヨコハマ」の2012年度改訂版を批判し、関東大震災時の朝鮮人などへの虐殺事件について、「軍や警察・・・(中略)・・・などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い」と書いていると問題にしました。
 また、7月19日の横浜市議会では、この記事をもとに自民党議員が「虐殺」という表現は問題だと市当局を追及しました。
 こうした追及をうけ、山田教育長は、来年度版で「虐殺を殺害にもどすなど」の再改訂をし、新2年生から今年度版を回収して来年度版を配布する方向などと答弁したということです。

 このままでは、またしても不当な歴史の書き換えが行われてしまいます。

 関東大震災時に東京・神奈川・埼玉・千葉・群馬の各地で朝鮮人や中国人、社会主義者や労働運動指導者への虐殺が行われたことは、これまでの膨大な証言と研究の蓄積があり否定することはできません。

 国の中央防災会議の過去の災害を検証する文書では、関東大震災時のことを、「武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当とする例が多かった」と記しています(『災害教訓の継承に関する専門調査会報告』)。
 『世界大百科事典』『日本大百科事典』『国史大事典』などの事典でも、「朝鮮人虐殺事件」の見出しを用い、本文でも「虐殺」と表記しています。

 雑誌『潮』1971年9月号の100ページには次のような証言が掲載されています。生々しいです・・・。
「なにしろ天下晴れての人殺しですからね。私の家は横浜にあったんですが、横浜でもいちばん朝鮮人騒ぎがひどかった中村町に住んでいました。そのやり方は、いま思い出してもゾッとしますが、電柱に針金でしばりつけ、なぐるける、トビで頭に穴をあける、竹ヤリで突く、とにかくメチャクチャでした(美田賢二郎証言)」


 未来を誤らないためには、歴史の痛苦の教訓をしっかりとらえ、再び繰り返さないように事実をしっかりと子どもたちに伝えていかなければなりません。
 これまで、教科書などにおいて、南京大虐殺はなかったとか、沖縄の集団自決には軍の関与はなかったとか、従軍慰安婦は強制されていなかったとかの歴史の偽造が進められてきましたが、朝鮮人虐殺はなかった、という偽造まで許してはなりません。

 私たちがしっかりと歴史を学ぶことがいま必要ですね。
 おすすめの本は → 新日本出版社の『日本近現代史を読む』

 以下、『わかるヨコハマ 2012判』問題の個所です。

 東京湾岸・相模湾岸一帯は大変な被害をうけた。東京や横浜の市街地のほとんどが壊滅状態になり、火災と余震におそわれ続けた市民は不安にかられていた。この混乱の中で、「朝鮮人が井戸に毒を入れる、暴動を起こす」などというデマ(根拠のない噂)が流された。2日、政府は軍隊の力で治安を維持するため東京に戒厳令を適用した。デマを信じた軍隊や警察、在郷軍人会や青年会を母体として組織されていた自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、また中国人をも殺傷した。横浜でも緊張状態のもとで、朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた。
 この事件の背景には1919(大正8)年3月1日に起きた、朝鮮民族の日本の植民地支配からの独立運動(三・一独立運動)等、朝鮮民族の抵抗に対する日本人の恐怖心と差別意識があった。「朝鮮人暴動」がデマだとわかると、今度は社会主義者に矛先が向けられ、暴動の扇動や計画を企てたという名目で、軍隊や警察は日本の社会主義者や労働運動の指導者を逮捕、場合によっては殺害に及ぶ場合もあった(大杉事件・亀戸事件)。
   

 

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