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1964年9月8日、厚木基地を離陸した米軍ジェット機が大和市の舘野鉄工所に墜落し、舘野さんの3人の息子と従業員の5人が亡くなりました。
その事故から今年で50年。
米軍機の傍若無人な飛行は続き、日本は戦争できる国に突き進んでいます。
この墜落現場は、厚木基地の北側約1キロメートルの地点。家屋全壊4棟、一部損壊6棟。
現在は公有地になり、樹木が生い茂っています。
墜落現場の近くにあるコミュニティセンターで、「舘野鉄工所墜落事故50周年慰霊祭」が行われ、私も参加しました。
この事故の裁判を支援された絵本画家の田島征三さんから当時の支援活動の広がりのお話を聴くこともできました。
おれもしも死んでなかったら
田島征三・作詞 横井久美子・作曲
田島征三さんの話を聴いています。
舘野鉄工所に米軍機が墜落してから今年で50年。
おれもしも死んでなかったら / 横井久美子
ここでちょっとだけ試聴できます。
オリコンミュージックストア music.oricon.co.jp/php/music/Musi…
舘野鉄工所があったところには、50周年の慰霊碑が建てられています。おおぜいの参加者がお線香をたむけました。
しかし、こうした大事な記念碑が市民の手弁当ででしか継承されないというのはなぜ?
行政の役割はどこにいってしまったのでしょうか?