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東京新聞夕刊の文化面は法政大総長の田中優子さんの寄稿「夫婦同姓は伝統?」を掲載。夫婦別姓の問題を考える上で「日本は東アジアの一文化圏としては中国、韓国、ベトナムと同様に夫婦別姓を通してきたのであって、夫婦同姓は『伝統』どころか、ドイツに倣った近代の制度」との指摘は重要です。(口)
田中優子の江戸から見ると
「選択」能力が欠けている?
毎日新聞2016年1月13日 東京夕刊
「子供の姓はどうしたらいいんでしょうね。みんな迷うと思いますよ」「家族の絆がなくなるので反対です」−−選択的夫婦別姓について、こういう言葉を耳にする。
江戸時代は庶民に正式な氏姓はなく、武家は夫婦別姓だったので、同姓という選択肢はなかった。そして今は別姓という選択肢がない。そこに「選択できる」という新しい案が浮上しているのだ。
にもかかわらず冒頭の意見を聞いてがくぜんとした。もしかしたら今の日本には「選択」の意味が根付いていないのかもしれない。
2組のカップルがいるとする。一方は、家族はまとまることが大切と考え、子供の姓も両親の姓も同じであることが結束の重要な柱だと考えている。もう1組のカップルは、お互いのキャリアを育てていくことに価値を置き、家族とは個人を尊重し合い守り合う関係だと考えている。子供ができたときには話し合ってどちらかの姓にすればよいし、子供にはその理由を説明することで個人の尊厳や自律を学んでほしいと思っている。
この2組のカップルは結婚に際し、自らの価値観に従って同姓か別姓かを決定し、その決定は法的にも認められ、周囲にも承認される。つまり子供の姓について迷う仕組みではなく、選択する仕組みなのである。姓が異なると家族の絆がなくなるという不安があるなら、同姓を選択すればよいのである。実に簡単なことなのだ。もし選択することじたいが困難で「決断」ができず、めんどうだから何でも政府が型を決めてくれた方が良いと思う人が大半なのであれば、日本に未来はない。
選択的夫婦別姓案への反対意見には、「誰もが選べる、自分も選べる」という視点が抜け落ちている。そのことが持っている深刻さを改めて考えたい。国の教育政策は、個人の思考力、判断力、表現力そして主体性を育てようとしている。その教育方針から見ても、看過できない。(法政大総長)
高市早苗総務相の電波停止発言について、長崎新聞読者の投書記事が理路整然と反論していてわかりやすかったです。 pic.twitter.com/nVPsRnahuP
今年もあやせ災害ボランティアネットワーク主催の“防災フェア”を開催しました。市民や小学生も参加してくださり、綾瀬小学校の体育館でいろいろな体験を通じて学びました。写真は、茨城県常総市の水害ボランティアの体験の報告です。
私も主催者のひとりとして最後に、阪神淡路大震災の再現ビデオの上映と綾瀬市に想定されている地震の被害予測などについてお話させていただきました。
子どもたちも真剣に心肺蘇生法とAEDの使い方を学びました。
毛布を使ってかんたんに担架を作れるようになりました。
新聞紙でスリッパを作ります。これで避難所のスリッパはOK!
廃油でローソクを作りました。停電していてもこれで一縷の希望の灯がともります。
ダンボールで簡易トイレを作ります。災害時にはトイレが使えないことが多いので、この技は貴重です。
模型で耐震の実験と食器などのすべり止めの効果を実感!
消防署のご協力もいただき、はしご車の試乗体験!
子どもたち大よろこびです!
下の写真をクリックすると、はしご車のはしごが伸びるビデオが観られます。
国会議員が(共産党を除く)与野党問わずに、国民に負担を強いるエクスキューズとして「私達も身を削る」的なことを言って持ち出すのが「議員定数削減」でマスコミもそれに乗せられてるけど、そんなもんインチキもいいとこだと思う。