学校の「校舎・体育館 倒壊の危険 県内170棟」の見出しが、6月21日の神奈川新聞の一面トップの見出しです。でも、綾瀬市では、体育館のガラスの飛散防止フィルムの貼り付けが残されている学校がまだいくつかありますが、校舎や体育館の耐震補強工事は、すべて昨年で完了していますのでひとまずご安心を。
思い起こせば、1995年の阪神・淡路大震災をうけて、日本共産党綾瀬市議団は、学校の校舎、体育館の耐震補強工事を最優先で行うようねばり強く求めてきました。それはなぜかというと、私が阪神・淡路大震災のとき災害ボランティアとして現地で活動し、そこで学校の校舎がペシャンコにつぶれた姿を見てきたからでした。「まだ登校前だったのでよかったが・・・」。その言葉のもつ意味が政策化したものだったのです。しかし綾瀬市は、毎年一校か二校の工事をするだけのスローペースで、結局12年もの歳月がかかってしまいました。この間に、大地震が起きなかったのが幸いでした。
今回、中国の四川大地震で学校校舎の倒壊によって児童らが何千人も亡くなったことをうけて、再びこのことが脚光をあびていますが、いまだに耐震補強工事がされていない校舎などがこんなに残されていたり、ひどいところでは耐震診断すらもしていないところがあるという記事は、政治の貧困といいますか、危険を予知する能力の欠如を感じてしまいます。
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思い起こせば、1995年の阪神・淡路大震災をうけて、日本共産党綾瀬市議団は、学校の校舎、体育館の耐震補強工事を最優先で行うようねばり強く求めてきました。それはなぜかというと、私が阪神・淡路大震災のとき災害ボランティアとして現地で活動し、そこで学校の校舎がペシャンコにつぶれた姿を見てきたからでした。「まだ登校前だったのでよかったが・・・」。その言葉のもつ意味が政策化したものだったのです。しかし綾瀬市は、毎年一校か二校の工事をするだけのスローペースで、結局12年もの歳月がかかってしまいました。この間に、大地震が起きなかったのが幸いでした。
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