宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「滝の白糸」

2007年11月09日 | Weblog
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『泉鏡花の自筆原稿見つかる…読売新聞連載の「照葉狂言」』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071105-00000405-yom-soci

明治から昭和にかけて活躍した金沢市出身の文人、泉鏡花
(1873~1939年)が読売新聞に連載した小説「照葉狂言
(てりはきょうげん)」の自筆原稿1枚が、東京都内で見つかった。

当初は作家の菊池寛(1888~1948年)が所有していたもので、
泉鏡花記念館(同市尾張町)は「2人の交流を示す資料として
興味深い」としている。

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泉鏡花の作風は、神秘的、幻想的、また幽玄華麗な独特の
文体と言われていますが、今回見つかった自筆原稿の写真を
見て、ふと彼の妖美の世界を想起してしまいました。

彼の墓は東京の豊島区の雑司ヶ谷霊園にあり、この霊園は
小泉八雲や夏目漱石、また永井荷風など文豪の墓が多い
事でも知られています。
80年代に墓参した一人の記者は、「墓参暮景」として次の
ような記事を書いていました。

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東京都豊島区にある雑司ヶ谷霊園。
去る7月10日、都内で唯一残っている都電の荒川線に乗って
この霊園を訪れた。
尊敬する作家、泉鏡花の墓参を思い立ったのだ。
現地に到着した頃には、さすがに長い夏の日も、暮れなずむ
時刻になっていた。

花とお線香を買い求め、井戸水を満たした手桶を片手に、
目指す泉鏡花の墓へと小道を分け入る。
街路灯に照らされた舗装道路から一歩はずれると、辺りは
暗い暮色に包まれる。

「陰森たる蒼翠浮世に遠く、満径苔滑にして、野草の霧深き
処に、無数の魂は寂寞として涼しく眠れり」

これは泉鏡花の初期の作品、『予備兵』の中で、郊外の
野立山の中にある墓地に赴く若い主人公の感慨だが、
これほどではないにしろ、墓地は生きている者にとって異質の、
翳りを宿した空間を現出させる。

鏡花、鏡太郎は、明治6年の11月4日に金沢で生まれている。
父はかんざしや帯を作る彫金師、母は能の太鼓の葛野流の
家の娘で、維新で江戸から金沢にやって来た。
鏡花の江戸趣味は、この母親によって培われたものだ。

明治23年、泉鏡花は小説家を志して上京、翌年尾崎紅葉の
門下生となる。
明治26年、『冠弥左衛門』を新聞に連載。
それ以降、昭和14年9月7日に癌性の肺腫瘍で亡くなるまで、
精力的に創作活動を続けた。
その全作品は『泉鏡花全集(岩波書店)』にまとめられている。

妖美と幻想の魔術師と礼賛される鏡花の文学世界については、
これまで数多くの人々によって語られてきた。
だが、鏡花濃密な文体、変幻自在なイメージに触れるには、
その作品を読む以外にはないだろう。
この世ならぬ妖しいものが出てくるお話、それが鏡花の世界
なのだ。

鏡花の墓前には、既に花が献じられていた。
墓の背後には超高層のサンシャインビルの灯が輝いている。
戒名「幽幻院鏡花日彩居士」 合掌。

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『俺の画を見ろ。――待て、しかし、絵か、それとも実際の奴等か。』
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