宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

太陽と北風

2007年11月17日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

80年代に出版された西洋占星術家のエッセイからです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

一年の計は元旦に……なんてこの間言っていたのに、もう
カレンダーは12月に迫ってしまいました。
この期間の終わり頃は冬に突入して、「寒い、寒い」の連発に
なるのかな?
寒いとどうしても行動半径が狭くなりがちですから、意識的に
活動しましょう。

さて、つい先日のある寒い日の事です。
街を歩いていたら、ふっと思い出した一編の童話があったのです。
童話はイソップの「北風と太陽」。
なぜこの童話が急に頭の中によみがえってきたかと言えば、
自分が同じ状況下に置かれてしまったからでしょう。

詳しく説明すると……その寒い日に、私はカーディガンを
持って歩いていました。
そして高層ビルの谷間まで来た所で、北風の直撃を受けた
のです。
私は当然カーディガンをはおり、身を小さく縮めて歩きました。
風が吹けば吹くほど、カーディガンをしっかり押さえて、風が
頭に当たらないように足元を見つめて……

でもこの状態は長く続かず、ビルを通り過ぎると太陽が頭の
上から私を照らし始めました。
今まで必死で北風の中を駆け抜けて来たので、急に
「熱いな」と感じてカーディガンを脱いで、この時に思い出した
というわけです。

この日、私はつまらない事で人と言い争いをしての帰り道
でした。
正論をぶつけて相手をやり込めればやり込めるほど、相手は
頑なになり、心を閉ざしていったのです。
もちろん、表面上は私が圧倒的有利に見えました。
でも、その時私は北風だったのです。

ビュンビュンと相手に冷たい風を吹きつけ、身を縮ませ、
足元しか見つめない人にさせていたのです。
もし、この時に私が太陽であったなら、どうなったでしょうか?
恐らく、こんな事態にはならなかったでしょう。

似た事は皆さんの日常の中で起こる可能性もあると思います。
その時には、「北風と太陽」という童話の中に比喩されて
いる、"あること"をじっくり考えてみると良いでしょう。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

この有名な「北風と太陽」の話しは、GIFアニメーションを
使用して製作された、こちらのページで読む事が可能です。
http://contest.thinkquest.jp/tqj1998/10035/tales/
world/sun/sun01.html


この話しのあらすじは、
「あるとき、北風と太陽が力比べをしようとする。
そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。

まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。
しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は
旅人の服を脱がせることができなかった。

次に、太陽が燦燦と照りつけた。
すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。
これで、勝負は太陽の勝ちとなった。」

というもので、Wikipediaではこの話しの教訓について、

手っ取り早く乱暴に物事を片付けてしまおうとするよりも、ゆっくり
着実に行なう方が、最終的に大きな効果を得る事ができる。
また、冷たく厳しい態度で人を動かそうとしても、かえって人は
頑なになるが、暖かく優しい言葉を掛けたり、態度を示す事によって
初めて人は自分から行動してくれるという組織行動学的な視点も
伺える」

と書かれています。

この筆者の場合は無言のメッセージを適切に受け取った
ようですが、人間がそうした事に気づくのは大切では
ないかと思います。


コメント (2)