宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「舞踏に見る神性への回帰の道」

2007年11月26日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

【「春の祭典」「ボレロ」の振付家・ベジャールさん死去】

AFP通信によると、「春の祭典」「ボレロ」などで現代バレエに
新しい地平を開いた フランスの振付家モーリス・ベジャールさんが
22日亡くなった。80歳だった。

マルセイユ生まれ。
14歳でバレエを始め、ローラン・プティのバレエ団などで踊った。
50年ごろから振り付けにかかわり、ダンサー、ジャン・ローランと
結成したエトワール・ バレエ団で「孤独な男のためのシンフォニー」
(55年)を発表する。

1960年、ベルギーで20世紀バレエ団を結成。
円卓の上で踊るソリストを群舞が囲む 「ボレロ」は、ジョルジュ・
ドン出演の映画「愛と哀しみのボレロ」にもなった。

87年、本拠をスイスに移し、自らのバレエ団を創設。
「ニーベルングの指環」などを発表した。

関心は思想や文学など多方面に及んだ。
ロックバンド、クイーンの曲を使った 「バレエ・フォー・ライフ」
(97年)などで舞踊表現の可能性を押し広げるとともに、
02年に若手だけのカンパニーを結成するなど、晩年まで
精力的に活動した。

日本とも関わりが深く、67年に初来日以来12回の日本公演を
開いている。
また、「仮名手本忠臣蔵」を題材にした「ザ・カブキ」(86年)
三島由紀夫をモデルにした 「M」(93年)などを手掛けた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

モーリス・ベジャール氏はベルギー国立21世紀バレエ団を
主催された方で、舞踏の世界に次々と新風を送り込み、
また大変な親日家としても知られた方でした。

現在は踊りや舞踏と言えば、身体の技術や芸術的表現
ばかりに関心が寄せられますが、古来は宗教や神秘主義と
密接に結びついていたもので、ベジャール氏の舞踏観と
云うものは、まさにこの古来の感性に根付いたものでした。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

――舞踏は19世紀以降技術的なものを重視し、その形式を
形骸化させる方向へと進んで行った。
芸術の持つ魂への接近と云うよりも、見た目の美しさや
テクニックに重きが置かれたのだ。

そのため舞踏は心ない芸術になり、その崇高な輝きを失って
しまった――

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

そうした価値観から、彼が率いるバレエ団では所謂「クラシック・
バレエ」というものは演じられず、また彼が作品を作る時には
形から入るのではなく、題材を理解する事から始めるという
事をしていたそうです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「舞踏は何よりまず宗教であり、祭式である。
舞踏が神聖かつ人間的な典礼とみなされる限り、舞踏は
その価値を失わない。」


「所謂クラシック・バレエは、ヨーロッパの退廃した文化が
生んだバレエです。
従ってそれは既に退廃したバレエなのです。
私は退廃したものには何の興味も持ちません。

19世紀のヨーロッパの演劇も、大変退廃したものでした。
この時代は音楽には大変良い時期だったと思いますが、
舞踏と演劇にとってはそうではありませんでした。
ですから私は、個人的な美的感覚から言っても、ジゼルや
白鳥の湖は好きではないのです。

でも偉大な教師達によって伝えられたクラシックのテクニックを
習得する事は重要です。

私の意図は、真の伝統を残して、偽の伝統を排除し、その
真の伝統を現代の芸術に生かす事です。」


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

コメント