宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

耳の裏にも

2007年11月19日 | Weblog
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昔読んだ話しですが、「因果応報」という事が行いや
言葉だけに該当するのではなく、その人の念や動機と
いうものも同様であり、「心を綺麗に保つ」という事が
全てにおいてまず先立つという教訓を与えているように
思われる中国の一つの伝承です。

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晋の桓道愍は、その妻を亡くして非常に悲しんで日々を送っていた。

ある夜、就寝中屏風の上に人の手が見えるので、起きて蝋燭を手にし、
屏風の外に出てみると、なんとそこに妻が立っていたのである。
その容貌、服装共に少しも生前と異なる所が無い。
道愍は大いに喜んで、その手を引いて共に寝床に入った。

そうして互いに語らいながら道愍が
『お前が死んでから随分になるが、どうして今ごろ帰って来たのか。』

と訪ねると、妻は

『私が如何に帰りたいと願っても、神と人とは道が異なっているので
私の自由にはなりません。

私は生きていた時に別に悪事はしませんでしたが、ただ貴方が
下女を愛しはせぬかと嫉妬心を起したために地獄に堕ちました。
そうしてようやく赦されたのです。
今からまた生まれ変わって人間になる事になったので、貴方に
お暇乞いに来たのです。』

と答えた。

そこで、道愍が
『それでは何処へ生まれ変わるのか、又お前を訪ねて行けるのか。』

と問うと妻は、

『ただ生まれ変わる事は解っているけど、何処へという事は未だ
わかりません。
一旦生まれ変わった以上は、最早や宿命は一切わからなくなって
しまいますから、どうして訪ねる事が出来るのでしょう。』
と答えた。

兎角するうちに夜明けが近づいたので、共に別れを惜しみ
つつ泣きながら帰って行くのであったが、道愍はただ茫然として暫く
我を忘れていた。
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