宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「麦の穂の魔法」

2008年02月04日 | Weblog

(画像はクリックされましたら拡大します。)

時代が変わっても、伝統的な宗教の中に古くから伝えられる
「おまじない」というものの内容は特に変わりませんが、一方大衆
文化の中で、世人の切実な願いや必要性から生まれる類の
「おまじない」というのは、その時代における人々の願い事や、
入手出来る身近なものを反映しており、こちらの方は時代と
共に「おまじない」そのものが消えたり、「おまじない」に使用する
道具が変わったりするので、そうした本を見ると、いつも「時代」と
いうものが強く感じられます。

昔は百人一首の札そのものを使用するもの、空襲避けに金魚を
飼うというもの、牛乳瓶のフタを使用するものなどもありましたが、
今ではメールや携帯電話の待ち受け画像やストラップを使用して
おまじないをするという時代になりました。

また農作物の出来不出来が人々の食料確保に直接影響を及ぼして
いた時代、農作物の極端な不作を避けるために、日照り時において
確立された様式の雨乞い儀式が各地で真剣に行われ、現在も深刻な
日照り時においてしばしば行われますが、80年代などのおまじない本の
「雨を降らせる・天気になる」という天候に関わるものは、農作物に
対する影響を考慮したものではなく、雨天中止の参加したくない催しを
中止させるためとか、反対に意中の異性と参加する催しが決行される
ためとか、少女達のそうしたごく個人的な動機で行われていたようです。

更に二十年ほど前までは「嫌いな食べ物が食べられるようになる」
おまじないというものを幾度も色々な場所で見かけましたが、近年は
殆ど見かけなくなり、「消えたおまじない」の一つに入るかも
しれません。

わたくしの小学校時代は、特定の食べ物のアレルギーを持つ児童が
先に学校にそれを申請し、給食時間にはその児童のために別の
食べ物が渡されたりするという事はありましたが、それとは別の
「食べ物の好き嫌い」という事には、まだ家庭も学校も厳しかった
ように思います。

そのため「嫌いなものを食べる事が出来る」という事は、当時子供達に
とって切実な問題だったように思いますが、現在は昔のように扱われる
機会が少なくなった為か、この「嫌いな食べ物が食べられるようになる
おまじない」というものの必要性が少なくなったのかもしれません。

画像向かって左の方は79年に出された先日の魔法の本からですが、
「麦の穂の力を借りて嫌いな食べ物の美味しさを知る」というユニークな
ものです。

本文中にはこのようにあります。
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麦の穂は女神デーメテールの宿りの場所です。

麦畑に行ったらお百姓さんにことわって麦の穂を数本もらい、
帰宅したら穂を三つに分けて、台所と勉強部屋と食事する
部屋にそれぞれ飾り、
「地上に恵みをもたらす実りの女神デーメテールよ、あなたの
育てた食物を、美味しく食べられますように導いて下さい」と
唱え、一口食べるとその食べ物の美味しさがわかって、嫌いな
ものがなくなります。

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わざわざ断わり書きがあるので、恐らく麦の穂を盗んだり、無断で
失敬しては効果がないという事ではないかと思います。

画像向かって右は比較的新しい本のものです。
このおまじないの由来や効果はわかりませんが、「折角あなたの
ために命を差し出しているのですから」と食事に感謝する事を教えて
いる事に好感を持ちました。

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