(画像はクリックされましたら拡大します。
画像はルネ氏の魔女トランプの一枚です。)
「大魔女バーバレラ」の娘の「バーバラ」という、ドラクエの中に
登場するキャラクターがいるそうですが、そのキャラとはまた違う、
「魔女バーバレラ」が現実にロスアンゼルスにいたそうです。
ルネ氏が彼女について紹介していたのは80年代から90年代の
初頭までで、彼女がその後どのような活動をしていたのか、また
現在存命なのかもわかりませんが、バイクに乗って皮ジャンを
はおるという、一般的な「魔女」のイメージからは大きくかけ離れて
いるような女性だったようです。
しかしながら80年代などにあって、近代の「アメリカの病」に
立ち向かって精神的な文化を開拓しようとした彼女の話は、
個人的に特に身近に感じられました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
アメリカの不夜城と呼ばれるラスベガスの浅い眠りは、はらわたを
引き裂かれるような爆音で破られたのでした。
今しも、アリゾナ砂漠の日の出の中に、一台の大型バイクが浮かび
上がり、それは銀の尾を引く風のように街のメインストリートを
抜けて行く所です。
「バーバレラが帰ってきた!」
若者の一人が熱狂的に叫びました。
バーバレラは本名は誰も知りません。
ただずっと以前に封切られたジェーン・フォンダ主演のSF映画の
「バーバレラ」に彼女がそっくりな所から、誰言うともなしに
「バーバレラ・ザ・ウィッチ」と呼ぶようになったのです。
勿論彼女にも本名はありますし、両親もありました。
でも彼女の両親は、彼女が12歳の時にロスアンゼルスのウィルシャー
大通で事故に遭い、あっけなく天国に行ってしまったのです。
それでバーバレラは孤児院に入れられ、15歳の時にはアンダーソン
夫妻に引き取られましたが、彼女は生活に息苦しさを感じて家を
飛び出し、それから半年ほどは街の不良少年や暴走族とつきあったり、
ドラッグをしたりして、相当つっぱっていました。
ある日の事、彼女は暴走族「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」の
メンバーとアリゾナ砂漠のハイウェーを猛スピードで飛ばしていました。
その頃彼女は「ドロシー」と呼ばれていました。
もうあと50キロほどでラスベガスへ着くという所で、メンバーの
若ハゲ・スキッツがこう言いました。
「ヘイ、お前ら。
この辺りはガラガラヘビのメッカだぜ。
一つラスベガスの土産に捕まえていかねえか。」
「そんなもん捕まえてどうするんだ、エッ、ハゲ。」
「バカ、わかっちゃいねえな。
ガラガラヘビはラスベガスで高く売れるんだぜ。
ホテル代ぐらいにゃなるかもしれねえ。」
「誰がそんなもん買うんだよ。」
「そりゃヘビ屋だけどよ。
ヘビ屋は観光客に売るんだよ。
ホラ、テンガロンハット(カウボーイハット)の周りに巻くリボンに
するのよ。」
「生きたままか。」
「バカ言うなよ。
どこに生きたガラガラヘビを頭に巻く奴がいるか。
皮だけにしてからだよ。」
「へえ、そいつは知らなかった。で、いくらぐらいになるんだ。」
「まあ20ドルはかたいな。上手くいけば30ドルぐらいになるかも
しれねえ。」
「よし、それじゃ、いっちょやっつけようぜ。」
暴走族「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」のメンバーは、手に手に
棒切れを持ってアリゾナ砂漠に足を踏み入れました。
ドロシーも恋人と共に出かけましたが、それが暴走族「トッテン・
コルプ(髑髏軍団)」を見る最後になりました。
「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」のメンバーは、全員道に迷って
「ヘビの穴」と呼ばれる谷に落ち込み、他のメンバー16人全員が
死んでしまったのです。
ドロシーも死んだと思われ、アンダーソン夫妻は彼女のために墓を
建てました。
しかしドロシーは「ヘビの穴」に落ち込んだ時、気を失ったのが幸い
して、ガラガラヘビの餌食にならずに済みました。
しかし気がついた時の周囲のあまりのむごたらしさに、一時的に
半狂乱となり記憶喪失になってしまいました。
ドロシーは一人で砂漠をさまよい、ついに倒れてしまいました。
ヘビからは逃れられても、このままではハゲタカと大蟻の餌食になり、
半日も経たないうちに、ドロシーは干からびた骨だけになってしまう
でしょう。
ドロシーが皆から死んだと思われたのも無理はありません。
アリゾナ砂漠は一歩踏み込めば、そこは原始の荒野なのです。
次にドロシーが気づいた時、彼女は一つの小屋の中にいました。
「気がついたか、ベイビー。危ない所だった。
もう10分も僕の着くのが遅かったら、今頃君のブルーの瞳は
ポッカリ暗い穴になっていたよ。
すぐ上までコンドルが来ていたからね。」
「ありがとう、貴方は誰?」
「僕はゾハールという者だ。ただこうしてここに居るだけだ。」
「なぜ?」
「なぜって、こうして砂漠の真ん中で星を見ている。」
ゾハールは国務省に就職した後に放浪の旅に出て、インドや
ネパール、トルコ、ギリシャ、アフリカを旅して、魔法の修行を
果たしてきた青年だったのです。
ドロシーは捻挫した足が治るまでの一週間、彼の話にすっかり
夢中になり、自分にも魔法を教えてくれるように頼みました。
「いや、止めておいた方がいい。ちょっとやそっとの訓練ではないのだ。
もう足も治ったし、街へ帰った方がいい。」
「いやよゾハール、私はどうしても貴方について修行がしたいの。
私にはもう帰るところがないのよ。」
それから厳しい修行に明け暮れたドロシーは、一年後には立派な
魔女になっていました。
そしてゾハールのもとを去った彼女は、サンタモニカにある倉庫を
得て、そこで魔法の訓練所を始めました。
高度に文明の発達したアメリカは、豊かになった反面、多くの
精神障害者を出すようになってしまいました。
新聞はそうしたアメリカの病を「アメリカン・シンドローム」と言って
います。
バーバレラは習った「魔法」をもとに、今このアメリカン・
シンドロームに立ち向かっています。
彼女は言います。
「私自身がアメリカン・シンドロームにかかっていたのよ。
もっと若い頃ね。
だからわかるの、どんなに辛く、寂しいかね。
でも、私は負けないわ。「魔法」のトレーニングが少しでもこの
病気に役立っているうちは。」
日本にもやがてバーバレラのような、スーパー・ウィッチがきっと
誕生する事でしょう。
クレイジー・ライダー(暴走族)よりも、もっとハードなスーパー
ギャルが。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」が存在した時代というのは、
本の出版時期を考えると、60年代から70年代の初頭にかけての
頃と推測されます。
現在「20ドル、30ドル」と言えば、メンバー全員のガソリン代
ぐらいにしかならず、また危険を冒そうとする人間もまずいないと
思いますが、聞いた所、当時の「20ドル、30ドル」というのは
現在的に言えば「100ドル」のような価値という事です。
当時期待されていたような「スーパー・ウィッチ」が果たして実際に
誕生したのか、わたくしにはわかりませんが、無難や保身を
第一とする価値観の中や、精神世界の中で「ゆとり」や「癒し」
を求める風潮、また三無主義(無気力・無感動・無関心)的な
空気の中では、やはり難しいのではないかと感じます。
*******
「変わった標識画像集」
http://www.youtube.com/watch?v=bIJhX4M8jzc&feature=related
一見して意味不明な標識も少なくないですが、ライトがハート型に
点灯する信号機は可愛らしいと思いました。
画像はルネ氏の魔女トランプの一枚です。)
「大魔女バーバレラ」の娘の「バーバラ」という、ドラクエの中に
登場するキャラクターがいるそうですが、そのキャラとはまた違う、
「魔女バーバレラ」が現実にロスアンゼルスにいたそうです。
ルネ氏が彼女について紹介していたのは80年代から90年代の
初頭までで、彼女がその後どのような活動をしていたのか、また
現在存命なのかもわかりませんが、バイクに乗って皮ジャンを
はおるという、一般的な「魔女」のイメージからは大きくかけ離れて
いるような女性だったようです。
しかしながら80年代などにあって、近代の「アメリカの病」に
立ち向かって精神的な文化を開拓しようとした彼女の話は、
個人的に特に身近に感じられました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
アメリカの不夜城と呼ばれるラスベガスの浅い眠りは、はらわたを
引き裂かれるような爆音で破られたのでした。
今しも、アリゾナ砂漠の日の出の中に、一台の大型バイクが浮かび
上がり、それは銀の尾を引く風のように街のメインストリートを
抜けて行く所です。
「バーバレラが帰ってきた!」
若者の一人が熱狂的に叫びました。
バーバレラは本名は誰も知りません。
ただずっと以前に封切られたジェーン・フォンダ主演のSF映画の
「バーバレラ」に彼女がそっくりな所から、誰言うともなしに
「バーバレラ・ザ・ウィッチ」と呼ぶようになったのです。
勿論彼女にも本名はありますし、両親もありました。
でも彼女の両親は、彼女が12歳の時にロスアンゼルスのウィルシャー
大通で事故に遭い、あっけなく天国に行ってしまったのです。
それでバーバレラは孤児院に入れられ、15歳の時にはアンダーソン
夫妻に引き取られましたが、彼女は生活に息苦しさを感じて家を
飛び出し、それから半年ほどは街の不良少年や暴走族とつきあったり、
ドラッグをしたりして、相当つっぱっていました。
ある日の事、彼女は暴走族「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」の
メンバーとアリゾナ砂漠のハイウェーを猛スピードで飛ばしていました。
その頃彼女は「ドロシー」と呼ばれていました。
もうあと50キロほどでラスベガスへ着くという所で、メンバーの
若ハゲ・スキッツがこう言いました。
「ヘイ、お前ら。
この辺りはガラガラヘビのメッカだぜ。
一つラスベガスの土産に捕まえていかねえか。」
「そんなもん捕まえてどうするんだ、エッ、ハゲ。」
「バカ、わかっちゃいねえな。
ガラガラヘビはラスベガスで高く売れるんだぜ。
ホテル代ぐらいにゃなるかもしれねえ。」
「誰がそんなもん買うんだよ。」
「そりゃヘビ屋だけどよ。
ヘビ屋は観光客に売るんだよ。
ホラ、テンガロンハット(カウボーイハット)の周りに巻くリボンに
するのよ。」
「生きたままか。」
「バカ言うなよ。
どこに生きたガラガラヘビを頭に巻く奴がいるか。
皮だけにしてからだよ。」
「へえ、そいつは知らなかった。で、いくらぐらいになるんだ。」
「まあ20ドルはかたいな。上手くいけば30ドルぐらいになるかも
しれねえ。」
「よし、それじゃ、いっちょやっつけようぜ。」
暴走族「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」のメンバーは、手に手に
棒切れを持ってアリゾナ砂漠に足を踏み入れました。
ドロシーも恋人と共に出かけましたが、それが暴走族「トッテン・
コルプ(髑髏軍団)」を見る最後になりました。
「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」のメンバーは、全員道に迷って
「ヘビの穴」と呼ばれる谷に落ち込み、他のメンバー16人全員が
死んでしまったのです。
ドロシーも死んだと思われ、アンダーソン夫妻は彼女のために墓を
建てました。
しかしドロシーは「ヘビの穴」に落ち込んだ時、気を失ったのが幸い
して、ガラガラヘビの餌食にならずに済みました。
しかし気がついた時の周囲のあまりのむごたらしさに、一時的に
半狂乱となり記憶喪失になってしまいました。
ドロシーは一人で砂漠をさまよい、ついに倒れてしまいました。
ヘビからは逃れられても、このままではハゲタカと大蟻の餌食になり、
半日も経たないうちに、ドロシーは干からびた骨だけになってしまう
でしょう。
ドロシーが皆から死んだと思われたのも無理はありません。
アリゾナ砂漠は一歩踏み込めば、そこは原始の荒野なのです。
次にドロシーが気づいた時、彼女は一つの小屋の中にいました。
「気がついたか、ベイビー。危ない所だった。
もう10分も僕の着くのが遅かったら、今頃君のブルーの瞳は
ポッカリ暗い穴になっていたよ。
すぐ上までコンドルが来ていたからね。」
「ありがとう、貴方は誰?」
「僕はゾハールという者だ。ただこうしてここに居るだけだ。」
「なぜ?」
「なぜって、こうして砂漠の真ん中で星を見ている。」
ゾハールは国務省に就職した後に放浪の旅に出て、インドや
ネパール、トルコ、ギリシャ、アフリカを旅して、魔法の修行を
果たしてきた青年だったのです。
ドロシーは捻挫した足が治るまでの一週間、彼の話にすっかり
夢中になり、自分にも魔法を教えてくれるように頼みました。
「いや、止めておいた方がいい。ちょっとやそっとの訓練ではないのだ。
もう足も治ったし、街へ帰った方がいい。」
「いやよゾハール、私はどうしても貴方について修行がしたいの。
私にはもう帰るところがないのよ。」
それから厳しい修行に明け暮れたドロシーは、一年後には立派な
魔女になっていました。
そしてゾハールのもとを去った彼女は、サンタモニカにある倉庫を
得て、そこで魔法の訓練所を始めました。
高度に文明の発達したアメリカは、豊かになった反面、多くの
精神障害者を出すようになってしまいました。
新聞はそうしたアメリカの病を「アメリカン・シンドローム」と言って
います。
バーバレラは習った「魔法」をもとに、今このアメリカン・
シンドロームに立ち向かっています。
彼女は言います。
「私自身がアメリカン・シンドロームにかかっていたのよ。
もっと若い頃ね。
だからわかるの、どんなに辛く、寂しいかね。
でも、私は負けないわ。「魔法」のトレーニングが少しでもこの
病気に役立っているうちは。」
日本にもやがてバーバレラのような、スーパー・ウィッチがきっと
誕生する事でしょう。
クレイジー・ライダー(暴走族)よりも、もっとハードなスーパー
ギャルが。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
この「トッテン・コルプ(髑髏軍団)」が存在した時代というのは、
本の出版時期を考えると、60年代から70年代の初頭にかけての
頃と推測されます。
現在「20ドル、30ドル」と言えば、メンバー全員のガソリン代
ぐらいにしかならず、また危険を冒そうとする人間もまずいないと
思いますが、聞いた所、当時の「20ドル、30ドル」というのは
現在的に言えば「100ドル」のような価値という事です。
当時期待されていたような「スーパー・ウィッチ」が果たして実際に
誕生したのか、わたくしにはわかりませんが、無難や保身を
第一とする価値観の中や、精神世界の中で「ゆとり」や「癒し」
を求める風潮、また三無主義(無気力・無感動・無関心)的な
空気の中では、やはり難しいのではないかと感じます。
*******
「変わった標識画像集」
http://www.youtube.com/watch?v=bIJhX4M8jzc&feature=related
一見して意味不明な標識も少なくないですが、ライトがハート型に
点灯する信号機は可愛らしいと思いました。