日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

心に重すぎる

2007-08-02 | 実家に関すること
先日用事があって叔母に電話しましたが心に重い話を聞かされました。
母は7人きょうだいですが現在残っているのは5人です。兄が2人と妹が2人、そして弟が1人です。
母の一周忌に当たって参列してくれると思っていた長男が欠席だったのですが、私の弟が言ったことが原因だったというのです

長男も高齢ですから歩くのも大変そうなのですが、四十九日の連絡のときにその伯父に対して「そんな身体でお参りしてもらっても母さんは喜ばないと思うから」と言ったというのです
信仰心の篤い長男です。不自由な身体で来てくれる事は本当に有難いことで母が喜ばないなどということは無いと思うのですが、弟はどんな思いからそんなことを言ったのでしょうか。

結局、四十九日のときは伯父が来られないからと義伯母が娘と共に参列してくれたのですが一周忌には志が送られてきました

多分、伯父の身体を思って言った言葉なのでしょうが(もう行きたくない)と思わせてしまったことは悲しいことです。

そして母の弟である叔父が、母の死について本当に病死なのかと疑いを持っているようなのです
故意に多量の薬を服用したのではないかと。

思ってもみない事でした。
「本当に病死だったの?」と叔母に聞かれ言葉が出ませんでした。

母が息子と同居する気が無かったのは確かですが、それでも「同居は出来ない」とはっきり言われたことはショックだったでしょうし、私が親をみる事で夫に気を使っているのを見るのも辛いことだったのかもしれません。
日常生活もままならないのですから不安で仕方なかったでしょう。
ですから自ら死を選んだと勘繰られても仕方の無い状況だったかとも思います。

でもそう言われることは私にはとても辛いことです。
十分なことは出来なかったかもしれませんが母のために仕事を辞め、母との時間を過ごしてきた4年余りは何だったのでしょうか。

自宅で、苦しまずに旅立ったように見えた母の事を「羨ましい。自分もそういう風に逝きたい」と言った2人の叔母ですが、自宅で誰にも看取られずに亡くなるという事はいらぬ憶測を招くのですね

更に、母の遺骨を既に合祀したのではないかとも言われました
叔父が霊園に行ってくれたそうなのですが、その時に霊園の人にそう言われたというのです
四十九日の納骨の時 きちんと納骨堂に納めるのを見届けていれば叔父も係りの人に聞くことなくお参りが出来たはずなのにと思うと、またもや弟に対する負の感情が湧き上がってきます。

まずは誤解を解くために叔父にはハガキで連絡することにしました。後は叔父がどう思うかは関知しません

そして近いうちに霊園に行って苦情を言い、私にできる事はそこまで。

そう思っていましたら2日後に叔母から電話がありました
息子に怒られた と言うのです。

そんな事を言ったら、うららちゃんにストレスが溜まるじゃないか。大体いまどきの薬は多量に飲んだからって死ねないようになってるんだよ。

すっかり気持ちが晴れたわけではありません。
でも従弟がそう言ってくれた事は有難く、重たい心も少しは軽くなったようです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする