2年前のこの日、私は父のところにいた。
二人並んでベッドに腰掛けて話していたところに大きな揺れ
驚いて居室から廊下の様子を見ていたら、父が「テレビをつけてみろ」という。
東北地方の地震と知ったが、被害の大きさはまだ分からなかった。
大きな地震だったので無人の実家も気になり、父のもとから実家へと向かった。途中、娘からひどい揺れだったけれど大丈夫?とのメールが入った。この時は地震の被害の大きさも、首都圏の交通の乱れもまだ予測できなかった。
被害の大きさを知ったのは自宅に戻った17時過ぎ。
娘とも連絡はとれなくなったが、揺れのすぐあとにメールを交わして無事を確認出来ていたので心配は少なく済んだ。その日娘は会社に足止めとなったという事を知ったのは、翌日。携帯の災害伝言版によってだった。
交通が遮断され徒歩で帰宅した人もいた事を知った後では、会社に足止めされた事はラッキーだったと思った。
2011年3月11日
この日の映像を見ると胸が苦しくなり涙もにじんでくる。混乱の日々を思い出す。
それと同時にまだベッドに座る事が出来、テレビをつけるという判断も出来た父の事を思い出す。
この日から数ヵ月後にはベッドから起き上がることも難しくなり、10月に受診した後は気を抜けない日が続くこととなった。疲れに押しつぶされそうになりながら父を見守った、辛く切ない日々を思い出す。