今思いついたんですけど、年末年始のうち、年末はどちらかというと、自分を見つめなおしたり、部屋にこもって掃除したり、知人のことを思いながら年賀状を書いたりする、内的な時間。年始以降は家族や親せきに会ったり、どこかに出かけたりする、公的、または外的な時間、という感じがする。
僕はどちらかというと年末のほうが好きで、時間をとってじっくり過ごしたくなる。現実にはなかなか難しいのだが。
Years of monkey
太陰暦の時代、文字通り新春だったころ、人々の正月への思いはどんな感じだったのだろう。
今年の異常ともいえる暖かさは、そんなことをふと思い出させた。
この神社、正月のときの姿しかしらないが、普段はどんなたたずまいをしているのだろう。きっと人気のない、静かな空間なんだろうな、と、毎年思うのだが、いつも思うだけだ。
和太鼓はあんがい人気があるのかもしれない。しかし練習が大変だろうな。みんなで集まれるとすると夜だろうし、いつどこでやるにしても音がすごいし。
先日買ったQ-S1に、08wide zoomを付けて持ってきたのですが、液晶保護フィルムやメモリーカード(Amazonで30日に注文し、31日発送完了というメッセージをもらったが、実際に到着したのは2日。さすがに31日は通常郵便は滞ったようだ)の整備が遅れ、まだあまり使っていない。
ほとんどはE-P3で撮影。あれ?、このカメラこんなに暴れ者だったかしら。
その流れで話が続くが、付録のカレンダーがほしかったのと、買い物をしたせいで多少興味が向いていたこともあり、久しぶりにいくつかカメラ雑誌を買ってみた。
超広角のコンデジはない、と思っていたけど、さいきんはカシオとかRICOHなど、変わったコンデジがいろいろ出ているみたいですね。
うちのカメラたちは(わかっていたけど)、かなり時代遅れなものばかり、という状況になりつつあるようです。
ただし、それを気にしていると本当にきりがないですけどね。僕らは本職の写真家さんやなんとか小僧さんではないので、好きなように遊んでいればよいのです。
「永遠の比較地獄」というのは、30年前に自動車雑誌NAVIで、確か下野康史氏(だったかな。違うかもしれない)が提言した名言です。雑誌がよく比較テストと称して、ライバル車、あるいは新旧の車を並べて、こっちがいいとか、以前よりこうよくなった、という比較ばかりしている。それを真面目に受け止めた一般のユーザーが、些末な差異に目を奪われて、結局何を買ってもすぐ満足できなくなってしまう、という話だったと思います。
この状況は基本的に今でも変わっていないと思うし、車に限らず、今話題にしているカメラやデジタルガジェット、飛行機やホテルのサービス、音楽CD(たとえばクラシックなどの演奏比較)など、あらゆる分野で陥りがちな、深刻な問題だと思います。ほとんどトマ・ピケティのR>G並みの、普遍的な問題ではないかと。
要は基準を自分に置くことができないということですね。だれがどういおうと、俺はこれが好きなんだ、と言えればいいのですが。
ああ、新年早々脱線がひどいな。
去年はなんとなく、あと1年あれば何でもできそう(たしか、大人ならたいていのことはXX日でマスターできる、みたいな本があったんじゃなかったかな)、と思い、一瞬Duolingoでしたっけ、無料のオンライン外国語教室を試そうと思った気がする。
で、実際にやったのはイタリア語を1回だけ、じゃかなったかな。
今年はなにかあるかって?
1年の目標というわけではないけど、先日修理工場前にさりげなく停められていた黒のRX-7(2代目)を見て、昔の思いがふあっとよみがえってきた。
7じゃなくてもいいから、いつか、なにか、スポーツ・カーに乗ってみたいな。
CMやっていたアルト・ワークスでもいいけど。いいけど、といったら怒られちゃうけど。
E-P3の後釜に、GX8でも買おうかしら。
一眼レフがふつうに買えるうちになにか買っておこうかしら。Pentax K-S1かS2でもいいかな。
だめだ、もうすこし自分を磨くものを。。