うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

白いキャンバス

2017年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

連休中から村上春樹「騎士団長殺し」を読み始めています。いまのところまだ4割ぐらいのところ。連休中もとにかく移動時間が長かったので、電車の中で読もうと携帯していたのですが、本が退屈だというわけではなく、もう体が休みを求めていて、座って少したつと寝てしまう。いつものことながら、ハードカバーの本はかさばって重く、もって歩くのは大変です。通勤時に広げるのも難しいので、しばらくは重い本を持ち歩くことになりそう。

作中の話をするのまだは早いのですが、主人公が画家で、白いキャンバスをやぶにらみする、というシーンを紹介するくらいは、ネタバレにはなりますまい。主人公は私生活の変化から、一時的に絵が描けなくなるという経験をする、というところまではいいかな。

この主人公は才能のある絵描きという設定なので、そういえば僕も、などと話をつなぐのはおこがましいにもほどがある(ちょっとした賞を取ったり、小遣い銭を頂いたりはしているけど)。その辺はおいておくとして、僕も何か絵を描こうと思って画材を買ってきたはいいが、画材屋で買ってきた袋を開けないまま、部屋の隅に眠らせて、みたいなことは以前はしょっちゅうやっていた。

旧宅を片付けているとき、写真のような机の裏側とかを見ると、袋に入ったままのキャンバスやスケッチブック、イラストボードなどが大量に出てきた。

スケッチブックは残したが、イラストボード等は転居の時に原則全部捨てた。まっさらな状態なのだから当然「使える」し、それこそオークションか何かで売ることすらできるとは思うが、こちらには持ってこなかった。変な言い方だが、未完というか未着手のものを持ってくるのは、何となく負債をキャリーオーバーするような気分がして嫌だったのだ。必要があったらまた買えばいい。

にしても、画材はもちろんだが、模型を作ろうと買ってきた細い檜材、バルサ板、アクリル棒、真鍮線、いずれも素材のまま手をつけずに大量に出てくるのにはあきれた。模型店が開けそうだ。これらは同様の理由で捨てた。

高校時代を思い出して、HOゲージの模型を作ろうとパーツを買ってきたのがそっくり残っている。たしか7千円ぐらい払ったはずだ。プライム会員じゃなかった頃、Amazonで送料無料に達するまで(2千円でしたっけ?)まとめて注文した自動車のプラモデルが3台、そっくり残っている。子供の頃売られていた、未組み立てのSLのプラモ(オークションで買った。人が聞いたらあきれるような値段で)、実物に乗っていた頃買ってきて、塗装をしたまま20年以上しまい込んでいた車のプラモなど、これらについては捨てるに忍びなく、現宅に連れてきてた。プラモくらい何とか作るだろう。3年前に作り始めた空母赤城(と戦艦大和のお徳用セット)は、作り出したらパソコンが壊れたり、ペン殿の不幸があったりと、験が悪い気がしてきたので(やはりうちは平和産業に徹するべき)と思い、捨ててしまった。

油絵教室に通い始めたのは、現宅よりももっと狭いマンションに住んでいた頃だが、その頃は保有枚数も少なく、スペースは気にならなかった。この旧宅に越してからだいぶ枚数が増えたが、目立たない天袋などにしまっていた。

画材は捨てていないが、正直これから油絵を描くことは、今の住宅事情の元ではないかもしれない。書けばそれなりに思い入れも入るし、それを捨てるのは勇気がいる。正直、捨てても惜しくない駄作(客観的には全部駄作だが、自分基準で見ても)も多かったが、捨てるのを迷ったものもまた多かった。

何かを取り出して、残すべきかどうかを判断し、不要なら必要な措置をして捨てる。

それが少ないときには、時として快感に感じられる状況もあろう。しかし、どんなことでも短期間に繰り返しやれば、苦痛に感じるものだ。

 

これもあらかじめ予想していたことだが、転居をめぐる一連のできごとへの疲れが、じわじわとわき上がりつつある。そもそも、転居そのものが、より大きな動きのなかの一環なのだ。まあ、そんなときに、絵を描こうなどという気にはちょっとなれないかもしれないな。

と、いいつつ、気晴らしに手を出してみようかしら。

 

コメント
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