旧宅の2階窓から見た風景の定点観測。
今こうしてみると、毎日やっていたようで抜けている日もあるし、アングルも適当だ。引っ越しを前に、なんとなくなし崩し的に始めたものだ。
以下、退屈な風景が続いて恐縮です。
4月3日(月)ちらほらと芽が出ている。
前々日に、現宅の鍵の引き渡しを受けた。
4月8日(土)
前日にCDプレーヤーなどを買っている。
当日日中は家族を病院に連れていくなどしたのち、新宅のカーテンの寸法を取るなどした。
4月9日(日)桜の花はまだ楽しめた。
4月10日(月)カーテンを見に行く。まだ注文する勇気は出ない。
4月12日(水)仕事が忙しい
4月13日(木)休みを取り、ペン殿のお墓+アジサイと、鉄道模型をレンタカーで輸送。カーテンを注文。
4月15日(土)前夜は仕事でかなり遅くなったが、朝早く目が覚めてしまい、散歩に出るなどしている。
4月16日(日)午前中車で現宅まで行くが、ぼんやりしていて運ぶべきものを忘れた記憶がある。日中かなり忙しかった。
4月17日(月)午前中休暇をいただき、銀行や区役所で手続きをする。
4月18日(火)だいぶ新緑が目立つようになってきた。ここはよく、メジロなどの小鳥が遊んでいたところだ。
写真では見えないが、この真下にあるブロック塀は猫の通り道だ。道というか塀は、奥に向かって続いている。
4月19日(水)旧宅からの出勤はこの日が最後。
4月20日(木)この日から休暇。ピアノが搬出される。
4月21日(金)古いパソコン等が搬出になる。
だいぶ前、20年以上通っていた床屋さん(自分の母親くらいの方が一人でやっておられた)がケガをして、しばらく休業している、と書いた。
その後、その年の秋ごろ、いったん復帰されていたようだが、仕事量を制限しているのか土日が休みになってしまい、再会を果たすことができずにいた。
平日休みが取れているからと思い、訪ねてみたが、店は閉まっていて、入り口に「1月の休業日」という札がかかっていた。
今年の1月以降、休業日を更新していないらしい。
最初におばさんに刈ってもらったのが1993年の秋だったと思う。いまのところ、最後に刈ってもらったのは一昨年の11月下旬だ。まあ、これが最後、ということになるのだろうな。。
4月22日(土)ちょっと煮詰まってきた。
4月23日(日)ご近所へのお別れの挨拶を、一足先に終えた。
そんなに付き合いはなかったとはいえ、20年いたのだから正直辛かった。
4月24日(月)朝、決済手続きを終える。奥の建物は朝焼けに染まっている。この頃、朝はすぐに目が覚めてしまっていた。
なじみのクリーニング屋に預けていた、最後の1枚のシャツを取りに行く。おばさんと、息子さんとでやっていたところだが、なぜか馬が合うというか、親子とも親しくさせて頂いた。もとの生活雑貨のお店だった時代を含めると、20年近くの付き合いということになる。名残惜しかったが、さすがに電車に乗って洗濯物を預けに行くわけにはいかない。本当にぎりぎりまで洗濯物を預けに行っていた。
4月25日(火)転居当日。ゴミを大量に出したら、ご近所からクレームが来てしまった。それにしても自分でもあきれるぐらいゴミが出た。
一連の作業および判断は、好むと好まざるとに関らずすべて一人でこなさざるを得なかった。
ここは自分の家であり、そこにあるものは自分そのものだ。
家のものを片づけることで、四半世紀前から自分の歩んできた道のりを、実際にモノとして再確認し、そして捨てていった。
別の言い方をすると、自分の人生の決算整理のようなものだったとも言えようか。
そこで引き越される喜怒哀楽は完全に自分だけものだ(ただし、ここに書くことで少しは拡散しているともいえる)。
一連の手続きをしている間は、外から見ればずっと自分の中に引きこもっている、と見られてもおかしくはなかったかもしれない。
そして、そうしたことが、どういう理屈かはわからないが、今の自分と、周りの人たちとの関係に微妙に影響しているようだ。
決して楽な状態ではないが、とにかく目の前のことをやっていくしかない。これまでと同じく。