先週は遅い時間に仕事の予定が入ったり、その前も休みの日が続いたりして、全体に生活が夜型になった。それと同じなのか別なのかわからないが、どこか疲れがちで家事などはのろのろとしか進まない。
3度目の接種のときも延々眠っていたが、今日もどうも眠くて。。昨夜は10時半ぐらいに横になってそのあと1,2度目が覚めたが結局12時間寝ていた。
参るのは夢の世界でも仕事をしていることだ。これが実に多い。
そして、夢の中の仕事は、あれやらなきゃ、と思いながらなかなか進まないことが多いのだ。。
そういえばぶろぐの記事書くのも、先週は書き終わったら夜2時とか数回やったな。目が冴えちゃうので、やらないようにしているんですけどね。何しろ世相が悪くて、考えただけでも疲れてしまう。。
てなわけで、ちょっとたいちょうふりょう。
せいかつを、なんとかします。
というわけで、現実逃避のためにふるい音楽を聴くことがあります。
もっとも、古いというのは相対的な概念でして、そうでもないかもしれないです。
しばしば、17世紀から19世紀ぐらいの音楽も聞いてますからね。それに比べるとあたらしい。
しかし、以前同い年のみんなとカラオケに行ったら、みんなから「(選曲が)先生(の世代)みたいだ」と言われました。。
友達と飲んだ時、こういうの聴いていると昔、親の運転する車のなかでラジオから聞こえてきたときのことを思い出すんだよ、と語ったことがあります。
でも、友達にはそういう経験はないのだそうです。
結構記憶に残っているんですよね。。ロイ・ジェームズさんのDJとか。
南沙織さんはファンも多いし、今聴いても歌唱力はそうとうのものです。
初期の曲が有名だけど、歌唱の完成度でいったら比較的なじみの薄い、後年の曲のほうが優れています。個人的には『街角のラブソング』(1977.7.21リリース)が好きです。こういうタイプのコケットさというのは、たぶん今では絶滅していますね。なぜなのかはわかりません。
歌手としての実力はこれから、というところで引退し、90年代に復帰後も声に衰えは感じられない見事な歌いぶりでしたが、往年のムーブメントは戻りませんでした。
アイドル歌手としてのアイコンが強すぎて、ある意味でそれが制約になってしまったのかもしれません。別の言い方をすると、24歳で引退したのは、本人の人生を考えると見事な決断だったのかもしれないです。
知人の若い子('80年代半ばの生まれ)は沙織さんでしたが、自分の名前の説明をするときに、年配の人には「南沙織の沙織です」というのだそうです。それだけ多くの人々に知れ渡った人だったわけです。
子供の頃から「いま」の音楽と同時に、少し昔の音楽にも興味津々で、よくラジオを録音して「勉強」していました。
昔から鉄ちゃんだったので、鉄道雑誌を開くと少し昔のSLとか、失われたローカル線とかの写真が掲げられていて、そういう時代(戦前から1970年代初め頃)にある種のあこがれを持っていた、みたいな面もあります。
それと、大人の世界にたいするあこがれもあった。
もっとも、ハイファイセットはその意味では「いま」の音楽でした。
『フィーリング』が流行したのはリアルタイムで知っていますから。ちょうど今ぐらいから初夏にかけて流行ったかな。
ひじょうに大人っぽい世界ですし、山本潤子さんの歌唱も、今聴いても素晴らしいです。。当時から外国の歌のカバーだとは知っていましたが、今調べたらブラジルの音楽だったんですね。フランスかと思ってた。。
「卒業写真」も、今の季節にちょうどいいですね。これは、ユーミンには悪いけど、歌の実力がすごくものを言っている感じがあるな。。
「冷たい雨」は歌唱もさることながら、荒井由実の作詞と曲が心に刺さります。救いがないんですよね。主人公が自分の置かれた状況に全然納得していない。
もうそういう経験なんて自分には関係ないけど、歌の時代感から言ったら主人公たちの生きた時代と、自分がそういう経験をしてきた時代は比較的近い。
今の若い子たちも同じような思いをして、それを歌にしているのだろうけど、それは彼らの世界であって、自分とはシンクロしない。。たぶん。
とはいえ。
たまに聴いて、ちょっと懐かしく思うぐらいがちょうどいいですね。
あまり毎日聴いていると、どこにも行かない思いが心にたまってきて、それはそれでしんどいです。