遅い日が続いている。
まあ、買い物に行ったり、必要に応じて適当に時間はやりくりしているが、重いものを抱えているような気分はずっと変わっていない。
そうやって、忙しくしていられるのは、本当は幸せなこと、貴重な恵みなのかもしれない。
そう思いながらも、後味の悪さに根負けして、そのうちに思わず扉を開けて出て行きたい、という気持ちを抑えられなくなるのではないか、という不安を、ずっと抱えている。そういう気持ちは、時間とともに成熟するものらしい。昔よりは生っぽくないというか、自分の中に違和感なく、大きくなってすぐそばに見えている。。
夜中に、なんとなく「ローリング30」を聴いていたら、2曲目にこれがかかって、それが自分のいまの心境とすとん、と結びついてしまった。
話はちょっと飛ぶが、ボブ・ディランがノーベル賞、という話を聞いて、知人がSNSでそれなら吉田拓郎も芥川賞ぐらい取れるだろう、みたいなことを書き込んで、なるほど、と思ってしまった。
さいきんの、というか、もう桑田佳祐よりあとの人たちで、歌と歌詞から何かの情景がありありと浮かんでくる、みたいな人をほとんど知らない(自分の感覚がマヒしているのだろうけど)。吉田拓郎の歌は、ほんとうに短編小説を読んでいるみたいな感覚で聞ける歌が多い。
とか、おもったのだけど、この「爪」の歌詞は、松本隆さんですね。。
男性が、別れ話を持ち出そうとしている。
女は爪を切っている。
静かな部屋に、ぷつり、という音が聞こえてくる。
電気時計が針を刻む。滑るように秒針が回る。
男は肩を丸めて爪を切る女を見ながら、頭に浮かんだことを片っ端から並べている。
深爪したら痛いよ、とか、夜爪は不幸とか、他愛のないことだ。
爪を切るって、普通は人に見せるものではない。前の会社の子は、時折職場の隣の席で爪を切っていた。ぷちぷち音がすると、なんだか妙に親密な相手と一緒にいるような気がしてきたものだ。先日退職した同僚も、トイレで爪を切っていた。出先で爪を切る感覚は、自分にはないな。。
先週は、京浜東北線の中で爪を切っている若い女性に遭遇した。これは別に、親密な相手なんて感じは全然しない。睨みつけてやろうかと思ったが、なにも感じていないようだった。
そのまま、何も言わないでいれば、ただの静かな夜が更けていくだけ、なのだろう。
その静けさは、とても儚いものだ。
そこに見えている、夜の背中をちょっと押しただけで、たちまち崩れてしまう。
だからこそ、目の前の風景が、なんの変哲もない部屋の風景が、心に焼き付いてくる。
人はなぜ出会い、別れるのだろうか?
出会うことも偶然だが、別れることも、別に子細な理由があるわけではないだろう。
理由はあるかもしれないが、それは、先に別れという事実があり、それを自分なりに解釈しているだけだ。
彼女がぼくを床屋に行かせ、毒気を抜いたこと、清潔好きで床をピカピカにしたこと、そんなことでも、別れの理由になる。
いずれにしても別れは来る。来るものは来るのであり、努力したくらいでは止めることはできない。
「ローリング30」には、「外は白い雪の夜」も収録されている。これも男が女に別れ話をする、という歌詞だ。この歌も一時期、病気のようにヘビロテしたことがあったな。。
いま記憶をたどると、今月は毎金曜日、ひとり残業をしているな。。