映画を見るのはずいぶん久しぶりだ。たしか昨年秋の「フジタ」以来だと思う。スターウォーズをやっていたころから、肩こりと五十肩がひどくなって、何時間もじっと座っているのが怖くて行けなかったのだ。ようやく直ってきたので、先日はコンサートも行ったが、昔より終わった後の疲労感が強くなったような気もする・。
さて、この映画は先週17日から公開されたばかりだ。上映は都内でも3館のみと少ない。
興行収入的にあまり期待できないと、考えられているのかもしれない・・。とすれば、打ち切りにならないうちに行っておかないとと思って。。
今週はいろいろ予定が立て込んでいるので、週明け月曜日なのに見に行ってしまった。
小さなスクリーンだったが、月曜なのに結構な人の入りで、チケット売り場は行列になっていた。
1945年4月30日、ベルリンにある総統地下壕で自殺したアドルフ・ヒトラーは、なぜか現代のベルリンにタイムスリップし、気がついたときは小さな公園の植え込みに横たわっていた。
自殺前後の記憶はない。地下壕に戻ろうとするが、人々が自分に敬意を払おうとせず、奇異な目で見られていることに気付く。新聞を見て、自分が21世紀の世界に移動してしまったことに気づき、初めは衝撃を受ける。しかし、すぐに現実を受け入れるようになる。進化したメディアやIT機器に触れたり、民衆の抱いている社会への不満を聞きながら、彼は政界への復帰をもくろむようになる。
テレビ関係者とコンタクトを持ったヒトラーは、やがてお笑いタレントとして人気を博していく。
・・ある種お決まりのタイム・スリップものなのだが、なにしろ主人公がドイツではタブーであるはずのヒトラーであるところがミソだ。
原作は2012年に発表された小説で、ドイツではベストセラーになったという。映画は多少独自の展開となっているようだ。
予備知識なしで見たのだが、映画ではヒトラーが各地を訪ね歩き、街頭で人々の意見を聞く(おそらくシナリオはなく、ぶっつけ本番なのだろう)という、ドキュメンタリータッチとなっているのだ。
一応ドラマ的には、周りの人たちが(「本物の」)ヒトラーを、そっくり芸人と勘違いし、むきになる「本物」とのギャップが笑いを誘う、という設定なのだが、もちろん「本物の」ヒトラーなど今いるわけがない。。街頭で民衆の話を聞いているのは文字通りそっくりさんのヒトラーだ。
そして、このコスプレヒトラーさんは、民衆にとても人気がある。みんなと肩を組んで写真を撮ったり、女性に「ハグしていい?」などといわれたりする。
ヒトラーコスチュームは、現代のドイツではそれほど拒否感がないらしいのだ。もちろん、嫌がる人もなかにはいるのだが。
そして驚くのは、そのヒトラーに向かって、庶民たちがが社会に対する不満をあれこれ語るのだ。
細かいいいまわしは覚えていないが、移民労働者たちに対する不満がかなり多かった。
「いいたいことはあるんだ。でも、過去の経緯があるから、言えないんだ」といっている人がいた。
ヒトラー(の役の俳優)が、街頭で質問に答えてくれた人に、「一緒に戦ってくれるか」、というと、それまで社会に対する不満をあれこれ語っていたその人は「もちろん嫌だ。お断りだ」と笑いながら言ったのも印象的だった。
たぶん、ヒトラー(のコスプレ)というのは、毒の強いジョーク(と捉えられているの)であり、街頭の人たちはそれゆえにリラックスして、本音-現代の社会に対する不満を言いやすくなったのだろう。
そして、これは80年ほど前に、本物のヒトラーとナチスが、実践して成功したエッセンスそのものなのかもしれない。
当時でも、一定以上の教育を受けた階層の人たちから見れば、ヒトラーもナチスも悪趣味な冗談のようなものにしか見えなかったのだろう。しかし、逆にそれゆえに、彼らは大衆の心をわしづかみにして、強い流れを作ることに成功した。
エグさや派手な宣伝は着火剤であり、くすぶる不満は石炭のような燃料だ。根本的なところは変わっていない。
ただし、当時と現代の人々が違うのは、現代の人たちは歴史を知っていることだ。先にふれた、街頭でヒトラーと対話した人たちは、不満を抱きながらも、自らを抑制するという知識と力を身につけている。そう簡単には燃え上がったりしない。
この映画の一番の肝は(自分なりの解釈では)そこかな、という気がします。
彼らにとっては闇の、タブーとなる存在なのだが、それをあえて表に出すというのは、なんというかドイツらしいですね。日本人ならずっと隠し続けるでしょうね(またはイデオロギー色の強い作品にするか)。アメリカ人もたぶん、ちがう反応を示すと思います。。
小説もいま読んでいるので、読み終わったらまた蒸し返すかもしれません。。