「ヨコハマ買い出し紀行」第14巻(電子書籍版)83ページより
なんでも、ドラえもんには都市伝説があるそうだ。のび太君は事故で植物状態となり、夢の中であのお話を生み出したのだと。
ある世代の子供たちの間でかなり広がったらしい。
僕らの世代ではドラえもんは第6巻でいったん終わったんだよね。。その後漫画は再開され、アニメも人気を博して今のような国民的キャラクターとなっていく。
連載は20年以上と長期にわたるが、のび太君たちは小学生のままだ。連載当初ののび太君が順調に年を重ねていけば、今頃は子どもが社会に出ているくらいの世代になるのかな。漫画の中ではのび太君が大人になり、孫まで登場する話もあるが、都市伝説によれば、その間ずっとのび太君はベッドの上で夢を見続けているらしい。
村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、「私」は思考回路を人為的に「操作」されて、自らの意識が『別の世界』に行ってしまう、と知らされる。「私」がその後客観的に見てどういう状態になるのかについては描かれていない(「死ぬわけではないのですよ。意識が永遠になくなるだけです」)。
『別の世界』においては、時間の概念がなくなる。
飛んでくる矢が止まって見える、といわれるように、思念の世界においては、一瞬のうちにすべてを見ることもできるし、永遠を体験することもできる。肉体には死が訪れるので、正確には永遠ではないが、思念の世界においては限りなく不死に近い永遠の生、が広がっている。「そこであなたは、あなた自身になれる。そこには何もかもがあり、同時に何もない」
細かな説明を省くとこんな感じじゃないかと思うが、ようするに「私」は現実世界とのコンタクトを失うが、自分の作り上げた世界において、いつまでも生き続けるようになるらしい。
『別の世界』は、物語では「街」といわれている。
主人公「僕」はどこかからこの、壁に囲まれた「街」にたどり着き、そこでの暮らしを始める。過去の記憶は失われている。そして、今はまだ残っているが、「街」での生活に慣れるに従って、最終的には心を失わなければならないとされている。心を失うことができなかった者たちは、森の奥へと追いやられる。
「僕」が仕事をしている図書館には、人々の記憶や夢の跡が、行き場を失ったまま残されている。
「街」は「世界の終わり」と呼ばれ、何人もその、高い壁にかこまれた「街」を抜け出すことはできない。鳥だけが壁を超えて行き来できる。
はじめ、「僕」は「街」違和感を抱き、抜け出すことを画策する。その一方で、「街」の人たちと触れ合ううちに、そこでの生活にも愛着を持ちはじめる。。
「ヨコハマ買い出し紀行」は別の世界の話ではない。
しかし、近未来の日本という想定のその世界では、かつての街の賑わいは失われ、人類は「夕凪の時代」を迎えている。
そこにかつていた人たちの多くは去り、彼らの記憶や想いのようなものが、そこかしこに残されている。
残された人々と共に暮らす、「ロボットの人たち」は、ふつうの人間たちよりはるかに長い生を送ろうとしている。彼らは次第に失われていく、ふつうの人たちとの思い出を惜しみ、しだいに広がっていく世代間のギャップに寂しさを感じる。ロボットの人たちは、自らのアイデンティティの範を普通の人たちにとろうとするが、そうしようとすればするほど、自分たち自身が「別の世界」であることを実感し、ときに苦しんでいるようだ。
もし、「べつの世界」の入り口が開いていて、入ることができるとしたら、どうするだろうか。