乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

舟船 / 狂言

2006-09-25 | 能楽・狂言

        舟 船

    大蔵流狂言      柳本勝海師 

              佐々木千吉

 24日奈良公演県庁前でSIBANOUが行われました。

 能楽『井筒』の前に狂言『舟船』が演じられ、楽しいひと時を過ごすことができました・・・

  主人(写真)は、たまには外出しようと太郎冠者にもちかける。

 太郎冠者は西宮に行きたいという。

 途中で大きな川(神崎川)が流れる。

 太郎冠者は遠方に向かっって、

「船(FUNA)やーい。FUNAやーい。」

と呼びかける。

主人は

「あれは舟(FUNE)だ」

というが、太郎冠者も負けてはいない。

 古歌を引き合いに船(FUNA)だと言い張る。

 主人も古歌を読み、謡って船(FUNE)と言い張るが・・・

 

 

 和歌を引き合いに出し、舟(ふね)か船(ふな)かを言い争うこの掛け合いと言葉遊びが面白い。

 

  『山田 矢橋の渡し舟の夜は通う人無くとも

   月の誘わば自ずから 舟も焦がれて出らん 

       船人(FUNA BITOも焦がれ出らん 』

               ( ↑ うる覚えでごめんなさい )

 

 得意に謡った主人だが、墓穴を掘ってついに主人は太郎冠者に言い負けてしまう。

 

 

 最後の主人の言葉、

「そういう了見なら、ちと負けとけ・・・」

 ( ↑ これもうる覚えでごめんなさい )

                     (チャンチャン)

 上の絞め言葉も面白かったな・・・

       

 

 狂言は腹を抱えて笑えるところがいい・・・

 大好きな千之丞さんを観たいと今回も思ってしまった いけないワタシ・・・  

 千之丞さ~~ん、『起き上がりこぼし』観たいのよ~~・・・とふざけたワタシ・・・

 

 

 

 最後に……

 

 能・狂言の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼が多々あると思われますが、お許しください。

 能・狂言について 知らないことばかりで、多分かなり間違ったとんちんかんなことを書いているのではないかと感じてはいるのですが……私の場合今のところここまでしか理解できておりません。

 後日読み返して 多分恥ずかしい思いをするのではないかと感じています……

 忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。

 どうぞ宜しくお願いいたします。

 

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井筒(能楽)/『杜若』との類似点及び相違点

2006-09-25 | 能楽・狂言

           井筒  

         作者    世阿弥

    金春流能  金春欣三師  他

        季節     秋(旧暦9月)・・・『井筒』はすすき、五ヶ所

        時/場所    10月24日 /奈良公園県庁前

 

 

 旅僧(ワキ)が奈良の長谷寺へ向かう途中に在原寺を訪れる。

 在原業平夫婦のことを弔る。

『杜若』の場合は花に見入る。         ・・・【設定類似】

 

 

 すると真夜中に里女(前シテ・・・うす衣と男装用冠をつけてない姿・・・実は紀有常の娘の霊)が現れ、塚に水を備えての熱心な回向。

 旅僧が声をかけると、この塚は有名な業平らしく、弔っているのだという。

 里女は旅僧の求めに応じ、幼馴染だった業平と紀有常の娘が恋を貫いて結婚した話や、結婚後業平が別の女の許へ通うようになったが、妻の誠意に心打たれて妻の許へ戻った話などを語る。

 この上の部分はあまりにも有名で、私立ち家族も歌もしっかりと聞き取ることができる。

 そう・・・これまた『杜若』同様 『伊勢物語』。

                  ・・・【設定類似】

 里女がはるか昔の話を詳しく知っていることを不審に思った旅僧が問う。

 里女は自分が紀有常の娘の霊であることを告げて姿を消す。

                              ・・・【設定類似】

 

 

 毎日在原寺に参詣する人より業平夫婦の話を聞いた旅僧。

 先ほどの里女はやはり紀有常の娘の霊であると確信。

 霊が再び姿を現すのを待つことにする。

 

 

 この間里女(前シテ)は舞台裾。姿無し。

『杜若』の場合後見に舞台上で上衣と冠を調えてもらう。

                            ・・・【設定相違】

 

 

 しばらく シテ(有常の娘の霊・・・(後シテ))が現れる。

 後シテは業平の形見の上衣や冠を身にまとっている。

                            ・・・【設定類似】

       

  

 業平のことを偲びながら舞(序之舞)を舞う。

 井戸に自分の姿を写してみた有常の娘の霊は、我が姿ながらも業平の面影が感じて懐かしむ。

 

 

 今回の『SIBANOU』でも『井戸』は舞台中央のすすきの束。

 

 有常の娘の霊はこの『井戸』(すすき)まで舞いいで、そこで感情を頂点に達したと感じさせるような面(面)のかざし方を繰り返し、切なき女心を自然(SIBAや空気や化し画の山や大和の地)の力も後押しをして、ひしひしと身震いさせるほどに観客に伝える。

 

 そして有常の娘の霊の情念がクライマックスに達した時に、彼女はすすきの束を一気に折り、井戸を覗く仕草をする・・・

 

 素晴らしすぎる・・・

 

 

 

 舞い方は詳しくはわからないが、『杜若』の場合と同様に切なさや思いがこの舞にも感じられる。

 面をかしげたり腰を下げたりと能独特の動きに魅力を感じる。また片袖或いは両袖をかざしたり、くるりと回したり・・・まわした袖を戻したり・・・                     

                               ・・・【設定類似】

 

 

 

 空も白み有常の娘の霊は姿を消す・・・せつな~~い・・・

                               ・・・【設定類似】

 

 

 

 能楽は中学から観ていて長いが、その割には初心者で・・・何にも知らない。

 詳しく深く、いや浅くもわからないが、面白い・・・、

 ・・・っていうか、観月能とSIBANOUを観た日からお能の興奮と余韻に浸って眠れない私・・・

 私は『カブキ』と同じくらいに『能楽』に恋をしはじめたのかもしれない・・・

 

 

 

 

 最後に……

 

 能・狂言の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼が多々あると思われますが、お許しください。

 能・狂言について 知らないことばかりで、多分かなり間違ったとんちんかんなことを書いているのではないかと感じてはいるのですが……私の場合今のところここまでしか理解できておりません。

 後日読み返して 多分恥ずかしい思いをするのではないかと感じています……

 忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。

 どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

http://www.naraliving.com/special/spe_040528.html

 ↑ 『井筒』に謡われる奈良に位置する井戸

http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/7c324a87cb5db6b80310e6e43712821d

 ↑『杜若』感想はこちら

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SIBANOU

2006-09-25 | 舞台・音楽 雑感メモ

          SIBA能 

 22日の観月祭に引き続き昨夕(24日)は家族で春日の神山を背景にSIBA能を堪能しました。

 能楽『井筒』や狂言『舟船』、また仕舞『春日龍神』と『船BENKEI』。

 仕舞の『春日龍神』以外は見たことがありました。

 特に『船BENKEI』は とみじゅうろうさんや玉さぶろうさんなど カブキの方でなじみがあり、親しみを感じます。

 

 能舞台を設けずに古式ゆかしく自然のSIBAの上で舞われる形式のはずなのですが、公演のSIBAの上には人工SIBAカーペットで舞台が設けられていました。

 またSIBA居の言語ともいえるSIBAの上に敷物を引いて演目をみる形式ではなく、学校の講堂などでよく使われる折りたたみいすが設けられ、足元までは見得ないのが残念でした。

 やはり能楽や舞踊は足元まで観たい私には残念な気がいたします。

 

 

 SIBA能鑑賞講座に参加者には席を設けられており、場所によっては全く見えない様子で席を変わり続ける方が続出。

 あちらこちらに同じ方が移動され、色々な方がたったり座ったり・・・

 最後にはいす席のはずの後ろの方々が立観されましたもので、有料席ではなかった私たちは全く見えなくなってしまいました。

 舞台が地面の高さにあり、いす使用というのは舞台つくりの基本を踏んでおられないような気がいたしますのは私だけでしょうか・・・

 もともとはこの『SIBA能』鑑賞会はSIBA能を保存する意味合いも兼ね備えたイベントと承っております。

 

 

 少なくとも2003年までは本来のSIBA能の形式をとられていたようですが、形式を変えられたことを非常に残念に感じてやみません・・・

 さぞやその頃までは幽玄の世界へ導かれていたのでしょう・・・

『保存』に重点をおく意味合い及び観客に本来のSIBA能の経験の場をお与えくださいます意味合いでも、以前の形式が好ましい用に思うのですが、やはり諸事情を考えられた時には今回のような椅子使用といったことになってしまうのも、やむをえない事実かも知れませんね・・・

 

 

 能もブンラクと同じように多分『音』がとても大切なのでしょう?

 初心者の私でも『能』や『仕舞』のときの足袋の摺る音や足踏みを聞くと、なんだかワクワクします・・・

 

 ところが・・・

 

 残念なことに、主催である○○新聞のスタッフの一部の方々が『能楽』や『狂言』の間、ずっと大声で話されていました。

 仕事や能や狂言にかかわりのない雑談を控え、仕事に専念していただきた暇では申しませんが、せめて観客に聞こえない場所か或いは小声で死後を楽しんで下されば、もっと楽しいひと時を過ごすことができたのでしょうね・・・

 こう考えるといつまでも学生時代の感覚でいた私ですが、嫌な中年になってたのですね・・・

 

 

 とはいえ20代後半の院生らしき私の横の男性も大声の雑談と椅子席の方の諸々の横行に対して神経質になっておられましたし、私の○画の師匠などは途中で閉口されて帰ってしまわれました。

 

 スタッフ3人(男二名、女一名)は立ち話、受付では客とスタッフが大声で長時間交渉・・・

 

 

 たいへん手厳しいようで申し上げにくいのですが、主催者はSIBA能保存やSIBA能鑑賞教室を開催する以前の問題として、○○新聞社員スタッフ一同に趣旨を把握させる教育をする必要があるのではないでしょうか・・・

 

 

 能楽においても椅子席で数名は早すぎる調子の外れた大きな拍手が起こってしまいました。

 拍手は致し方ないのでしょうが、シテが姿が消える前に席を立って帰り出す椅子席の観客の方が多数おられました。

 椅子席は先ほども記しましたようにSIBA能鑑賞教室を受けた方が多数いらっしゃるように聞いております。

 

 

 私も含めまして、大人としての最小限の基本的なマナーも身に付けたいものですね。

 今回のSIBA能は素晴らしい『能楽』や『狂言』や『仕舞』やそのほかの色々な意味合いを含めまして、楽しい経験となりましたことをここに御礼申し上げます。

 

 

 

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