ネムルートの遺跡に辿り着くまでの道のりは険し所やなだらかな所ある。
結構きつく、ヨーロッパ人のツアー客で音を上げている方も多かった。
彼らの中には気軽にスリッパなどで登る方が多いことにとまどってしまった。
我が子も、一人でトルコからロードス島やオーストリアに行き来したが、それ補のまでにヨーロッパは近い。
ヨーロッパ人は気軽にトルコを楽しんでいる様子。
写真上はごろごろ道をロバで下山する様子。
朝日を見るために午前三時頃からガイドと二人 真っ暗なごろごろ道をライトを頼りに登った夫は、勇気ある人だなぁと感じる。
写真は夕方のトルコのネムルートの遺跡。
ごろごろ石や岩の結構足場の悪い山を登っていくと、頂上に遺跡が見える。
遺跡の数は多く、ごろごろと転がっている状態。
私たちは 一日目はホテルを十二時半に出発。
夕刻になる前に山に登る。
二日目は 夜中の二時頃ホテルを出発。
夫は山頂にて朝日の中の遺跡を見た。
私と子どもはホテルに戻ってすぐに別ルートに出発。
『モザイク博物館』と『トルコアイス』に行くため、体力を温存。
しかしながら、ネムルートの遺跡は素晴らしく、何度行っても見飽きないだろう・・・。
今考えると、少し残念な感じもする。
徹夜して、両方楽しめば良かったかな・・・。
2008年9月下旬
(写真はトルコのネムルートの夕日。
自然色。無加工。 2008年9月下旬)
こちらはトルコのネムルートの夕刻。
日の出も素晴らしかったが、日の入り時刻もとても美しい。
ネムルート村にはクルド人が多く、中には写真を撮られるのをいやがる方もいらっしゃった。
クルド人はトルコ国内でも色眼鏡で見られるとこぼしておられた。
クルド人の方も味のあるお顔も方が多い。
ホテルのバス運転手さんとはまた違ったお顔立ちで、素敵だなと思った。
クルド人の方たちにリンゴ茶(アップルティ)などをごちそうになった。
彼らの笑顔は人として美しい。
喫茶店では二時頃から、男達が食事作りにおわれておられた。
トルコではイランに比べて緩やかだが、九月下旬のラマザーン期に当たっていたので、日没の食事作りは気合いが入る様子。
ちなみにトルコのクルド男性人も イラン人の少数民族の一部の方のように 独身男性が多い。
ネムルート村の彼らは放牧や農業の他、ロバタクシーや他の観光などで生計を立てている方もいると話されていた。
多分、女達は絨毯を織る人もいるのだろうか・・・。
ネムルート村の民家に立ち寄らなかったのは、心残りだ・・・。
(写真は二枚ともトルコのネムルート近くの日の出。
自然色。加工無し。 2008年9月下旬)
この写真を載せたことが倅に知れると、怒られるだろう・・・。
そう思いながら、見つかりませんようにとパソコンキーを叩く私。
トルコのネムルートの日の出の時刻。
息子がマイクロバス運転手と長時間話していた。
随分遠くからこの写真を撮ったのだが、二人に気づかれる。
息子は右手でピースをつくる。
倅は本当に「馬鹿野郎!」だな・・・。
マイクロバス運転手はホテルの従業員。
英語は美しく、なかなかのイケメン。
顔はケビンコスナーを男前にした感じ。
結構かわいい我が子の笑顔も、彼の前では不思議にも平面的に見えるから不思議。
おかしいな・・・。
まぁ、ここまでかけるのは親バカの証拠か。(爆)
本当に、私って阿呆!
(写真は二枚ともトルコのネムルート近くの日の出。
自然色。加工無し。 2008年9月下旬)
トルコのネムルートへは マイクロバスを家族三人で借り切って、二度行った。
ネムルートの遺跡を 夕日と朝日で楽しむという目的。
写真は朝日。
夫はネムルートの駐車場を午前三時頃には出発。
登り始めて遺跡までのあいだ、ごろごろ道をライトを灯し ガイドに連れられて、登る。
私と子どもは前日にも登っていたので、毛布にくるまれたままマイクロバスの中で眠ることにした。
今考えると、夫のように朝日、夕日二つ戸も 遺跡を楽しむべきだったかも知れない。
しかし、子どもは私たちよりも早くトルコ入り。
トルコ西側を楽しんだ後 ロードス島入り。
ロードス島から駆けつけて、何とかネムルートの遺跡の夕日の出発に間に合ったという疲労度から考えると、子どもは無理だったようだ。
日の出。
夫はネムルートの遺跡を楽しむ。
私と子は、駐車場付近で日の出を楽しんだ。
真っ赤だった。
美しい。
ネムルートの遺跡の朝日は見ることはできなかったが、心に染み入る 真っ赤な空だった。