平賀源内
人物と業績
天才、または異才の人と称される。
鎖国を行っていた当時の日本で、蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。
文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。
また源内焼などの焼き物を作成したりするなど、多彩な分野で活躍した。
男色家であったため、生涯にわたって妻帯せず、歌舞伎役者らを贔屓にして愛したという。
わけても、二代目瀬川菊之丞(瀬川路考)との仲は有名である。
何代目かは分からないが、瀬川菊之丞の役者絵(浮世絵)
晩年の殺傷事件も男色に関するものが起因していたともされる。
『解体新書』を翻訳した杉田玄白をはじめ、当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。
玄白の回想録である『蘭学事始』は、源内との対話に一章を割いている。
源内の墓碑銘( § 処士鳩渓墓碑銘)を記したのも玄白である。
発明家としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、火浣布の開発がある。
一説には竹とんぼの発明者ともいわれ、これを史上初のプロペラとする人もいる(実際には竹とんぼはそれ以前から存在する。
気球や電気の研究なども実用化寸前までこぎ着けていたといわれる。
ただし、結局これらは実用的研究には一切結びついておらず、後世の評価を二分する一因となっている。
エレキテルの修復にあっては、その原理について源内自身はよく知らなかったにもかかわらず、修復に成功したという。
1765年に温度計「日本創製寒熱昇降器」を製作。
現存しないが源内の参照したオランダの書物及びその原典のフランスの書物の記述からアルコール温度計だったとみられる。
この温度計には、極寒、寒、冷、平、暖、暑、極暑の文字列のほか数字列も記されており華氏を採用していた。
土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説がある。
この通説は土用の丑の日の由来としても平賀源内の業績としても最も知られたもののひとつだが、両者を結び付ける明確な根拠となる一次資料や著作は存在しない。
また明和6年(1769年)にはCMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けており、これらをもって日本におけるコピーライターのはしりとも評される。
浄瑠璃作者としては福内鬼外の筆名で執筆。
時代物を多く手がけ、作品の多くは五段形式や多段形式で、世話物の要素が加わっていると評価される。
狂歌で知られる大田南畝の狂詩狂文集『寝惚先生文集』に序文を寄せている。
強精薬の材料にする淫水調達のため若侍100人と御殿女中100人がいっせいに交わる話『長枕褥合戦』(ながまくら しとねかっせん)のような奇抜な好色本も書いている。
衆道関連の著作として、水虎山人名義により 1764年(明和元年)に『菊の園』、安永4年(1775年)に陰間茶屋案内書の『男色細見』を著わした。
鈴木春信と共に絵暦交換会を催し、浮世絵の隆盛に一役買った他、博覧会の開催を提案、江戸湯島で日本初の博覧会「東都薬品会」が開催された。
文章の「起承転結」を説明する際によく使われる「京都三条糸屋の娘 姉は十八妹は十五 諸国大名弓矢で殺す 糸屋の娘は目で殺す 」の作者との説がある。
(Wikipedia)
作品 本草学及び工芸
『物類品隲』宝暦13年(1763年)刊国立科学博物館の展示 『物類品隲』 - 全六巻。宝暦13年7月刊行。
『番椒譜』 - 稿本。年代不明。
戯作
『根南志具佐』(ねなしぐさ) - 宝暦13年10月刊行。談義本。
『根無草後編』 - 明和6年(1769年)正月刊行。
『風流志道軒伝』 - 宝暦13年11月刊行。滑稽本。講釈師の深井志道軒を主人公としたもの。
『風来六部集』『風来六部集後編』
狂文集。「放屁論」「痿陰隠逸伝」(なえまら いんいつでん)等を収める。
義太夫浄瑠璃
『神霊矢口渡』 - 明和7年正月、江戸外記座初演。
『源氏大草紙』 - 明和7年8月、江戸肥前座初演。
『弓勢智勇湊』 - 明和8年正月、江戸肥前座初演。吉田仲治補助。
『嫩榕葉相生源氏』 - 安永2年(1773年)4月、江戸肥前座初演。
『前太平記古跡鑑』 - 安永3年正月、江戸結城座初演。
『忠臣伊呂波実記』 - 安永4年7月、江戸肥前座初演。
『荒御霊新田新徳』 - 安永8年2月、江戸結城座初演。森羅万象、浪花の二一天作を補助とす。
『霊験宮戸川』 - 安永9年3月、江戸肥前座初演。源内没後の上演。
『実生源氏金王桜』 - 未完作。
寛政11年(1799年)正月、江戸肥前座で上演。 絵画 「黒奴を伴う赤服蘭人図」 「西洋婦人図」(神戸市立博物館) 史料・研究 史料
『源内実記』 平賀源内先生顕彰会編
『平賀源内全集』上・下(名著刊行会、1970年)
『風来山人集』(『日本古典文学大系』55 岩波書店、1961年)
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