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井筒
作者 世阿弥
金春流能 金春欣三師 他
季節 秋(旧暦9月)・・・『井筒』はすすき、五ヶ所
時/場所 10月24日 /奈良公園県庁前
旅僧(ワキ)が奈良の長谷寺へ向かう途中に在原寺を訪れる。
在原業平夫婦のことを弔る。
『杜若』の場合は花に見入る。 ・・・【設定類似】
すると真夜中に里女(前シテ・・・うす衣と男装用冠をつけてない姿・・・実は紀有常の娘の霊)が現れ、塚に水を備えての熱心な回向。
旅僧が声をかけると、この塚は有名な業平らしく、弔っているのだという。
里女は旅僧の求めに応じ、幼馴染だった業平と紀有常の娘が恋を貫いて結婚した話や、結婚後業平が別の女の許へ通うようになったが、妻の誠意に心打たれて妻の許へ戻った話などを語る。
この上の部分はあまりにも有名で、私立ち家族も歌もしっかりと聞き取ることができる。
そう・・・これまた『杜若』同様 『伊勢物語』。
・・・【設定類似】
里女がはるか昔の話を詳しく知っていることを不審に思った旅僧が問う。
里女は自分が紀有常の娘の霊であることを告げて姿を消す。
・・・【設定類似】
毎日在原寺に参詣する人より業平夫婦の話を聞いた旅僧。
先ほどの里女はやはり紀有常の娘の霊であると確信。
霊が再び姿を現すのを待つことにする。
この間里女(前シテ)は舞台裾。姿無し。
『杜若』の場合後見に舞台上で上衣と冠を調えてもらう。
・・・【設定相違】
しばらく シテ(有常の娘の霊・・・(後シテ))が現れる。
後シテは業平の形見の上衣や冠を身にまとっている。
・・・【設定類似】
業平のことを偲びながら舞(序之舞)を舞う。
井戸に自分の姿を写してみた有常の娘の霊は、我が姿ながらも業平の面影が感じて懐かしむ。
今回の『SIBANOU』でも『井戸』は舞台中央のすすきの束。
有常の娘の霊はこの『井戸』(すすき)まで舞いいで、そこで感情を頂点に達したと感じさせるような面(面)のかざし方を繰り返し、切なき女心を自然(SIBAや空気や化し画の山や大和の地)の力も後押しをして、ひしひしと身震いさせるほどに観客に伝える。
そして有常の娘の霊の情念がクライマックスに達した時に、彼女はすすきの束を一気に折り、井戸を覗く仕草をする・・・
素晴らしすぎる・・・
舞い方は詳しくはわからないが、『杜若』の場合と同様に切なさや思いがこの舞にも感じられる。
面をかしげたり腰を下げたりと能独特の動きに魅力を感じる。また片袖或いは両袖をかざしたり、くるりと回したり・・・まわした袖を戻したり・・・
・・・【設定類似】
空も白み有常の娘の霊は姿を消す・・・せつな~~い・・・
・・・【設定類似】
能楽は中学から観ていて長いが、その割には初心者で・・・何にも知らない。
詳しく深く、いや浅くもわからないが、面白い・・・、
・・・っていうか、観月能とSIBANOUを観た日からお能の興奮と余韻に浸って眠れない私・・・
私は『カブキ』と同じくらいに『能楽』に恋をしはじめたのかもしれない・・・
最後に……
能・狂言の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼が多々あると思われますが、お許しください。
能・狂言について 知らないことばかりで、多分かなり間違ったとんちんかんなことを書いているのではないかと感じてはいるのですが……私の場合今のところここまでしか理解できておりません。
後日読み返して 多分恥ずかしい思いをするのではないかと感じています……
忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。
どうぞ宜しくお願いいたします。
http://www.naraliving.com/special/spe_040528.html
↑ 『井筒』に謡われる奈良に位置する井戸
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/7c324a87cb5db6b80310e6e43712821d
↑『杜若』感想はこちら
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