乱鳥の書きなぐり

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菅原天満宮 奈良  (日本最古の天満宮 菅原神社の公式HPによる)  (6景)筆塚あり

2024-05-18 | 菅原道眞

  菅原天満宮 奈良(日本最古の天満宮 菅原神社の公式HPによる)  (6景)筆塚あり

 

 大和文華館に行く途中のこと。菅原天満宮を見つけた。

 道真さまの好きな私は、天満宮に吸い込まれるようにお参りする。

 境内は、わたくし一人。

 静かだ。

 

 歌人の和歌が天井にかかっていたり、中には着物がかかっていたり。

 存在感を感じる大きなまん丸の鏡神々しく、こちらを向いている。

 狛犬の近くには、道真さまゆかり位の、牛の狛犬(?)の数々。

 写真撮影したが、センサーがあったのか、携帯電話がナビの最中の為だったせいか。

 菅原天満宮そのものがパワーが強いのか、、、

 あるいは、道真さまの戒めなのか、上の写真は全て撮影写真のファイルには残ってなかった。

 偶然ならばいいのだが、、、

 ずいぶん、不思議な、初めての怪奇現象である。

 

 菅原神社の公式HPによれば、日本最古の天満宮だということだ。

 素晴らしい。

 

 鏡や牛の写真は残ってなかったが、不思議なことに夕刻の薪御能の『融』私の好きな貫之さまと業平さまの名と歌が出てきた。

 前シテで貫之さまの歌という言葉が出てきて、その後、間狂言で、在原朝臣、貫之さまの順で歌が出てきた。

 この日、わたくしの好きな道真さま、業平さま、貫之さまのお三方が現れたことになる。

 これも何気に、道真さまの御力ではないかといった阿呆なことを考えている。

 私はどこまでも、幸せな人でございまする。

 この牛は、鏡からずいぶん離れた場所のもの。

 流石の道真さま。筆塚があった^^

 

菅原の地  (菅原天満宮公式HP引用)

 現代の菅原は、奈良市の一町名にすぎませんが、平城遷都以前から存在していた古代地名です。

 その範囲は、かなり広域に及んでいました。『日本書紀』によれば、「推古天皇十五年に菅原の池を作る」とありますが、この大池は西方の蛙股池と考えられます。

 また垂仁天皇の御陵は「菅原伏見東御陵」と定められ、安康天皇の御陵は「菅原伏見西御陵」と記されています。

 元明天皇は、平城遷都前の和銅元年9月14日に藤原宮から「菅原」の地に行幸され、21日までこの地にご滞在になり、平城宮予定地をご視察になっています。

 その後、11月7日に菅原の地の民家90軒を移転し、負郭を給わっています。おそらく平城遷都前は、佐紀の地に接するところまで菅原が延びていて、その辺りの民家が移されたものと考えられます。  

 こうしたことから考えると、往昔の菅原は春日、佐保、率川、添などとともに、重要な土地柄であったことがわかります。

〒631-0842 奈良県奈良市菅原東1-15-1 (旧住所:奈良市菅原町518番地)

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