(写真は宇治川の傍に植えられていた紫式部)
124;『王朝文化の楽しみ』 新赤版1294
尾崎左永子著
尾崎左永子(おざき・さえこ)歌人、エッセイスト。1927年、東京に生まれる。東京女子大学文学部国語科卒。佐藤佐太郎に短歌を学び、57年、歌集『さるびあ街』(沖積舎)上梓。放送作家、作詞家として活動。松尾聰門下として日本古典の世界へ。歌集多数。
著書に『源氏の恋文』(求龍堂、日本エッセイスト・クラブ賞)、『源氏の薫り』(朝日選書)、『新訳源氏物語(全4巻)』(小学館)、『神と歌の物語―新訳古事記』(草思社)、『尾崎左永子の語る 百人一首の世界』(書肆フローラ)、『香道蘭之園』(校訂解題、淡交社)ほか。
岩波新書
新赤版1294
2011年2
P.232
798 円
目次
序 章
王朝文学の世界へ
第1章
王朝文学、二つの柱
第2章
『古今和歌集』の出現
第3章
日記文学の面白さ
第4章
歌から物語へ
第5章
暮らしの背景―王朝文学理解のために
第6章
紫式部と清少納言
第7章
『新古今和歌集』―王朝文学の終焉
あとがき
岩波株式会社 HPより ▼
今の世と変わらぬ 平安朝の人間模様
高校時代、「古文」を大の苦手とした私が、4年前にたまたま新聞で読んだ尾崎左永子さんの短いエッセイ。それに思わず引き込まれてしまい、発案したのが、この企画です。そのエッセイは、『枕草子』と『梁塵秘抄』の面白さについて書かれたものですが、そこでは、たとえば清少納言による男たちへの評価の厳しさが、「現代の誇り高きキャリアウーマンと何の変わりもない」とありました。
こんな風に、遥かな時間差を超えて人間の生態をとらえようとする方ならと、ご相談したところ、話がまとまり、このほどようやく出版にこぎ着けた、というわけです。
古典の世界へと巧みに案内してくれる本書は、「古文が苦手」派にとっても、大いに楽しめること請け合い。1000年も前の貴族たちに、ぐっと親しみが増すことでしょう。
加えて、エッ?と驚くような発見も、随所にあります。
たとえば、「よばい」という言葉。私は、これを「夜這い」、すなわち「夜、男が女のもとへこっそり這いつくばうようにして行くこと」と、ずっと思い込んでいました。ところが、もともとの意味は「呼ばひ」すなわち「呼び続けること」から「言い寄ること」「求婚すること」になったのだとか。
もっとも、本書には、王朝時代にもすでに私のように誤解していた人がいて、それが笑い話になっている例がある、と書き添えられており、思わず頬がゆるんでしまいました。しかも、その後も誤解する人が多かったためでしょうか。今の国語辞典などには「夜這い」も〈当て字〉として示されています。けれども、そのこと自体、言語の語源と意味の変化の一例として興味深いといえるでしょう。(新書編集部 坂巻克巳)
尾崎左永子著『王朝文化の楽しみ』を読了。
興味深い内容が凝縮され、明日にのばすことができず一気に読む。
とりあえず自分に分かるメモを記録しておきたい。
memo
王朝文学
「かな」
女流文学隆盛
万葉集から受け継がれる。
『古今和歌集』
「漢詩からうた」から「和歌やまとうた」
貫之
日記文学
蜻蛉日記
和泉式部日記
物語
源氏物語
他
「よばい」とは「夜這い」では無く、「呼ばひ」→ 言い寄ること、求婚すること
『新古今和歌集』
王朝文学の終焉
露
今回も簡単なメモ記録だけで失礼いたします☆
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