乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

色彩間苅まめ(いろもようちょっとかりまめ) 鶴屋南北作

2007-04-09 | 歌舞伎

(写真は中国、雲南省の麗江。ナシ族の髪を洗う女性。民族衣装が個性的。美しくしなやかな身のこなし。洗い髪が色っぽい。近くでは野菜を洗う人々もいらっしゃった。)

 

大阪ショウチク座 新築開場十周年記念

 第四回浪花花形カブキ 平成19年4月1日(日)~8日(日)

 

第二部 二、

 色彩間苅まめ(いろもようちょっとかりまめ)

  

  四世鶴屋南北作

 (法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)』の一場面が独立したもの=『ショウチク、カブキ人』参考)

 

  タカタロウ

  アイノスケ

 

 四月某日。家族とカブキを観る。

 本来家族は、一部と三部だけ観るたいと言っていた。中途半端な・・・。ここはひとまず私の意見を通してみようと心に誓う。結局私は勝手に予約。作戦勝ちだ。二部を逃すと待ち時間が長いので、今年も二日間にわけてみることにした。また、二日にわけることによって、夫と美味い酒が二度飲める。一石二鳥。こんなチャンスを逃してはなるまい・・・

 

 第二部で観たかったものは二つ。『色彩間苅まめ』と『曽根崎シンジュウ』

『色彩間苅まめ』はタカタロウさんが演じられるとあって、ワクワクしながら舞台が始まるのを待っていた。『色彩間苅まめ』は期待どうりの迫力のあるものだった。芝居が終わってから、子どもが、

「タカタロウさん、うまいわぁ、うまいわぁ~~」

と、のぼせていた。夫は、

「アイノスケは花道で個性的な芝居をしていたね。」

と、ご満悦。

『ほら、二部も観た方が良かったでしょう・・・』

と内心、勝ち誇る。こりゃぁ、人間ができてないわ・・・

 

 今回の『カサネ』も好きだった。かなり好きだった。というのもタカタロウさんの演じ方が好みのカサネ(女性固有名詞)だったからだ。

 木下川が舞台上手。二人の前にどくろが流れてくる。元は恋仲の女。鎌を抜いたとたん、女の顔が変化。足を引きずる。しかしここはあく名でも女。女はオカルトでも怪談でもなく、純粋に男を愛し慕う女。だが、男は自分の犯した悪事のたたり、因縁を感じ取る。そして 与右衛門は、かさねを鎌で殺してしまう。

 女の情念。自分の犯した悪事のたたり、因縁・・・

 逃れようとする女。女は悲しい表情で与右衛門から逃れ、恐ろしい形相で与右衛門にはむかう。女は髪を振り乱し、振袖を床にたたきつける。

 タカタロウさんが演じるカサネの振袖を床にたたきつける場面が好きだった・・・今も心に焼き付いている。

 怖がらせるだけの単なる写実的な演じ方だけではなく、ちゃんとカブキの方をふまえて丁寧に演じておられたタカタロウさんの息吹が伝わる舞台だった。

 

 与右衛門は、ついにはかさねを鎌で殺してしまう。彼は息を切らせて花道を去る。

 会場中真っ暗。ここで大拍手が起こり、中には席を立つ人もいらっしゃたが、私たち家族は息をのんで静かに、左を凝視していた。

 

 しばらくして、花道にぼわぁあ~んと頼りない明かりが灯る。

 太鼓の音・・・そして、アイノスケさん!やってくれました。みごと!

 重ねの怨念で何度も何度も戻されるその表情が好きでした。

 

 タカタロウさんとアイノスケさんの『カサネ』は私的にはとても満足。

 二部の『曽根崎シンジュウ』を楽しく観劇した後、みんなでぶらぶら心斎橋まで繰り出し、『浪花蕎麦』という少し情緒のある店にはいる。芝居の心地よさも加えられ、複数銘柄の無難な純米冷酒と料理を楽し観、心地よく酔えたことを、幸せに感じる。

 

 

 

 

 

 

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雨のごろう

2007-04-09 | 歌舞伎

(写真は中国の雲南省、麗江古城内。曽我ごろうに負けず劣らずの男前が多い。)

 

浪花花形カブキ

 第二部 一

   雨のごろう  

 

 曽我兄弟の弟、曽我ごろう(シンノスケ)

 春雨の中、恋人の化粧坂少将のもとへ通う姿を描く、長唄の舞踊。

 蛇の目傘を差したごろうが、廓通いの優美さと荒事の勇壮さの両方を見せる曽我物の代表的な舞踊。

 

 衣装、化粧(隈取)ともにカブキらしいワクワク酢路ような舞踊を、シンノスケさんはすんなりと、やんごとなく 踊ってくださいました・・・

 めでたし、めでたし・・・

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かたきうちてんがちゃやむら  敵討てんが茶屋聚

2007-04-07 | 歌舞伎

(写真は京都の島原に今も残る わちがい屋さん。

 島原にはこの他にも格子戸のきれいな角屋さんがある。

 角屋さん近くには東鴻臚館跡(こうろうかんあと)があり、芭蕉の句も残されている。

      『白梅や 墨芳しき鴻臚館』

 

 

 

 

 第四回 浪花ハナガタカブキ (平成19年 4/1~4/8)

  かたきうちてんがちゃやむら (敵討てんが茶屋聚)

 

 

 

 四月某日。夫と芝居を楽しむ。

 この浪花ハナガタカブキは一部、二部、三部に分かれている。長丁場なので、とりあえず一部と二部のみ。

 驚いたことに、一部は通し狂言にもかかわらず、休憩時間 たったの十分。

 私はさっさと手洗い所に駆けつけたことが幸いして、全てを見ることができた。良かった・・・

 こんな手はずとは思いもよらない多くの観客は、花弁当を途中で片付け、芝居の続きを観ておられた。

 時間にして三時間半。途中休憩十分間。

 役者さんも気張られたものだと感心する。

 

 

 この芝居はてんが茶屋をはじめ、大坂の各地を舞台にどたばたが繰り広げられる。

 もともとは小芝居だったらしく、それを通し狂言にするといった工夫が必要。どこかしこに役者さんの思い入れや膨らましが感じ取れる。

 内容がごくごく単純で、仇討物が枠組みとなる中、ユニークでユーモラスな工夫や演技、台詞など、表情が心地が良い。

 何となくどこかで観たような場面も多く、それを探すのも楽しみの一つといえよう。

 

 

 

  簡単にあらすじを書いておこう。

 

 早瀬伊織(カンジャクA)と源次郎(キカク)は、元右衛門(カンジャクB=二役=兄)と弥助(シンシャ=弟)とを引き連れ、仇討ちの旅にでる。

 父の敵、東間三郎右衛門(アイノスケ)。

 

 酒乱癖の元右衛門は、途中断っていた酒を飲まされ、伊織に勘当される。

 

 根に持つ元右衛門。

 敵の東間に寝返り、按摩のふりをして、弟の弥助と再会。

 不忠の罰が当たったと、詫びていきさつを話す元右衛門。

 同情する弥助。

 ところが・・・

 

 寝入ったところで弟を殺し、五十両を盗んだ上、伊織は果せず、傷を負わせただけで逃げ出す。

 後日伊織を殺し、源次郎も川へと投げ込む東間(アイノスケ)と元右衛門(カンジャクA)一味・・・。

 最後には東間、元右衛門もろとも敵討ちにあう。

 

                                       ・・・・・といった、簡単な筋書き。

 

 

 これを三時間以上に膨らませたカンジャクさんとアイノスケさん、その他の役者さんたちは素晴らしい。

 敵役(東間、元右衛門)を中心に運ぶ筋立てだが、二人がどういうわけだか憎めない。

 芝居の途中にはあれほど『悪い奴!』と許せぬ二人だったのに、最後の仇討ち場面では切なさすら感じてしまう。

 大悪党のとことん悪人だが、人間くささ(元右衛門)或いはかっこよさ(東間)を感じて、殺されるのが口惜しい。

 

 

 カンジャクさんの化粧は素晴らしかった。特に眉が良い。まるで住職が墨絵にで描かれたような達磨絵図に見える。

 動きも達磨。台詞も酒飲み。

 悪役なのに、どんで 人間臭い。

 観客に笑いが巻き起こる。

 

 小心者の癖に、人一倍意地っ張りで大胆なことを成し遂げてしまう。

 若干現代における短絡的な事件を感じ、肌寒い。

 隣席のご婦人は

『悪い奴、悪い奴・・・』

『大悪党・・・』

と結構大きな声で始終つぶやいておられた。

 

 カンジャクさんのおかしみも人一倍。憎々しさも人一倍。

 カンジャクさんの大熱演に圧倒されたお芝居。

 

 また後半のアイノスケさんの格好良さは口では言い表しようがない。

 顔を見せてからのアイノスケさんのメークはニザエモンさんによく似ておられ、 釘付け。

 男前を絵に描いたような顔と衣装。

 芝居が終わってから 夫に聞くと、やはりニザエモンに似ていると言う。

 アイノスケさんはこういった化粧が好きなんだ・・・と思う私なのでした。

 

 

 ところでこの『敵討てんが茶屋聚』はB級芝居と聞いていたので、あまり期待せずに気楽に行ったが、私的には結構気に入ってしまった。

 若干 大○演劇を膨らませた感は拭いきれない。が、先にも書いたように役者さんの器量によって芝居は変えられるといった、柔軟性のある芝居。今回観た芝居は結構楽しめる、芝居として面白みにある作品に仕上げられていた。

 カンジャクさんの表情が面白おかしく、素敵な上アイノスケさんが格好良すぎの男前で、何度も観たくなるような芝居。もう一度行きたいと真剣に思ったほどだった。

 夫も「どたばただな。」と笑いつつ、「もう一度行っておいで。」といってくれる始末。

『ほんに、気をつかわしてすんまへん・・・』と感謝しつつ、『何で急に京言葉やねん。』と関西の突っ込みを入れて、ひとりほくそ笑む。

 

 若い役者さんばかりだが、役者さんに恵まれた芝居だったように感じる。

 

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桜祭能 『綾鼓』 いかるがホール

2007-04-05 | 能楽・狂言

 (写真は桜祭能 『綾鼓』のパンフレットの一部です)

 

 初心者の能楽記録

  桜祭能 『綾鼓』 いかるがホール

 

  能楽『綾鼓』  植田恭三

 仕舞『八島』  金剛龍謹

 狂言『佐渡狐』 安東伸元

 

 

 四月一日。奈良のいかるがホールで桜祭能を拝見させていただき、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 桜には一、二日早い小春日和。

 ぽかぽかした日差しは心地よく、地元の方たちは散歩がてら、歩く姿や自転車姿も方も多くいらっしゃったようです。

 

 列を並んでいると、植田恭三先生に能を習っているという、聡明そうな小学生に出会いました。彼女は目を輝かせて能楽部の様子を離してくれます。中学受験がおびただしい昨今、こういった子どもの経験も素晴らしいのかも知れないと感じてしまいました。彼女は将来お医者さんになると教えてくれました。私は彼女の趣味と希望の両立を、第三者ながら願っております。彼女の素直な心は、七分先の桜にも勝る素敵な和みを感じ、会場入りをしました。

 

 今回は通路を挟んだ真正面に座ることにいたしました。この席は少し距離はあったのですが、全体が見渡せ、初心者の私にも少しは分かりやすい位置でした。

 舞台の右上には大きな枝振りの満開の桜。なんて素敵な舞台に作られているのでしょう・・・私は思わず息を飲んでしまいました。桜はピンクで艶やかな香りが会場中に香るがごとくの錯覚を覚え、幸せな気分に浸ることができます。

 

 隣席したご婦人は毎年この桜祭能を楽しみにされているとのこと。王寺からJR。駅からはタクシーで来られたと、にこやかにお話して下ださいました。

 徳島出身ということもあって、三味線が好きとか。今も触っておられるそうです。御祖父様がその昔は裃を着て、舞台で弾いておられたとのこと。人形浄瑠璃は教えていただき、カブキの話では盛り上がりました。次の日の薬師寺の『百華能』(能楽や千之丞さんの狂言)の予定を知らせますと、恐縮するほどお喜びになり、こちらが嬉しくなってしまいました。隣席させていただきました○○さん、楽しい時間をどうも有難うございました。

 

 『綾鼓』は筑前木の丸殿に仕える庭掃の老爺の面が上品で素敵でした。この面は私にとっては、とても落ち着き、好きな顔でした。ところが、この翁。実は女性に恋慕います。

 そうと知った女は、

「綾(絹)張りの鼓を鳴らすならば、思いをかなえましょう。」

と難問を吹っかけます。

 翁がどんな思いを込めて打とうとも綾の鼓は鳴らず、老人は池に身を投げるのです。

 

 再び悪鬼と化して現れた翁の霊。

 白頭の百毛(能楽ではどういうのでしょうか・・・)と白っぽい能装衣は素敵で、面は興奮するほど格好の良いものでした。私は心の中で思わず『素敵・・・』とささやいておりました。

 女に鼓を鳴らせと迫る動きは迫力があり、初心者の私にも感じるものが多く、息をのむことさえはばかれます。

 愛おしさが憎さや恨み、悲しさ、切なさへと変わり、私の心をとらえて離ししません。

 

 この『綾鼓』という曲目は実際には鼓は手には持たず、正面の木(何の木でしょう…)に添えられています。

 この鼓の存在は非常に華やかで、置きなの感情に比例したように感じました。

 

 初心者ですので、今はここまでしかわかりませんでしたが、大変興味深く拝見させていただき、楽しい時間を過ごすことができました。有難うございました。

 

 最後になりますが、私は能楽初心者ですので間違いなどが多いと思います。何かお気づきや間違い、失礼な点がございましたら、お教えいただけましたら、嬉しいです。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

 

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ダリ展 (創造する多面体 生誕100年記念)

2007-04-03 | 美術・文様・展示物

 

生誕100年記念

  創造する多面体 ダリ展

 

 三月末。夫、息子、私の家族三人で、サントリー・ミュージアム『ダリ展』に行く。娘は一足早く、ダリを楽しんでいたため、今回三人。

 

 ここは天保山の海遊館近く。

 花曇り。潮風が心地よい。

 

 三人でダリ展会場をうろついていたとはいえ、各人ばらばらに鑑賞。いつものことである。

 大体の展覧会は三人とも二、三時間かかるので、最後には連れだって、食事ということになる。

 

 

 このダリ展のサントリーの案内を見ると、大体次のように記されている。

 会期: 2007年3月8日(木)~2007年5月6日(日)会期中無休 開館時間: 10:30~19:30(最終入場は19:00まで) 入場料 ※( )内は前売券大人 1,300円(1,100円)高・大学生、シニア 1,000円(800円)※シニアは60歳以上。小・中学生 600円(500円) ※前売券は、電子チケットぴあ(Pコード:687-095)、ローソンチケット(Lコード:57767)、ほか主要プレイガイド、コンビニ、イープラスなどで発売中です。 ※身体障害者手帳、療育手帳をお持ちの方とその付添者1名は当日料金の半額。 ※5月5日(こどもの日)は、小・中学生のお客様は、ギャラリー、シアターとも入場無料です。

 

 独自の内面世界を写実的技法によって克明に描き出した20世紀を代表する画家サルバドール・ダリ(1904-1989)。

 生まれ故郷のスペイン・カタルーニャを思わせる荒涼とした大地を背景に、見方によって違った姿に変化する「ダブル・イメージ」などの技法を駆使して描かれた作品は、溶けた時計や群がる蟻といった忘れがたいモチーフを通して、私たちの心の底に横たわる非日常の世界を呼び覚まします。その夢と現実が白昼夢のように融合したダリの芸術は多くの人々を魅了し続けてまいりました。

 2004年はダリの生誕100年にあたり、世界各地でこれを記念する展覧会が開かれました。

 本展は、「ダリ生誕100年記念」プロジェクトの一環として、スペインのダリ財団およびアメリカのダリ美術館の全面的な協力のもとに開催されるものです。油彩画約40点に加え、今回特別に展示されるダリ財団秘蔵の手稿やドローイングを交えた約180点の作品を通して、絵画のみならず、あらゆるものに対して稀有な才能と熱情をもって取り組んだダリの多面的な世界をご覧いただきます

                             (サントリーHP参考、転載)

 

 

 この展覧会の正式名は『創造する多面体 ダリ展である。

 多範囲に渡る作品群。『創造する多面体』とはうまくいったものである。

 会場は『創造する多面体 ダリ展』にふさわしく、適切な明るさの美術館。作品の並び方も申し分ない。

 

 まず初めにキュビスムを思わせる作品の数々。

 その後はダリらしさを感じさせる 油絵や立体、衣装や家具、書簡、イラストなどに目を奪われる。油四十点。全体で二百点ばかりが展示されている。

 中にはレプリカ。会場で再現されたものも多い。

 映像は二箇所。小さな映像はこのほかにも作品の横に置かれているものもある。

 書簡も古書も雑誌も面白い。手紙にはピカソを意識してか、名などの記されていた。

 全てをゆっくり見要ものなら、少なくとも五時間はかかりそうだ。

 

 

 挿絵は全体に質が良かったように感じる。

 好きな油絵作品が数点。写真は『帆船の動きを真似る女たち』(1940)である。好きな作品だったので。絵葉書を購入。透明色のオーレオリンと不透明なホワイトが効果的に使われている。天才だ。この作品は立派な無料パンフに載せられている作品『壊れた橋と夢』の近くにある。壁面ど真ん中。素晴らしい。後で聞くと、子どももこの絵は興味深かったとのこと。

 

 夫と共通で好きだった絵は『地質学的反響 ラピエタ』 この画もテーマ、構図、色彩などがとても興味深い。

 

『奇妙な廃墟の中の彩色?を心配でふさぎがちに歩き回る妊婦に形を変えるナポレオン』といった長ったらしい理屈屋のダリが伺える作品も好きな作品だった。

『パラディオのタリア柱廟』(1938)は構図変形。左上にとってあり、素人の私にはトリミングしたくなるが、これも天才ダリのねらい目か・・・まるで最前列、左から舞台を眺めたような構図。興味深い。

 一点集中の主は、骸骨のような白い主が輪を持って踊っていた。ガラか、あるいは自分の苦悩なのだろうか・・・一点集中の主に向かって二列のギャラリーはてを差し伸べて見守る。前列左の人物だkrはそのてを主にではなく、右に伸ばす。構図をこの手で安定させ、ひとまず落ち着く。右としたの無駄な空間はダリ自身のの自問と空虚感からくるものだろうか。或いは単純に、自分以外の客席の観客をあらわしているのだろうか・・・定かではないが、気になる作品だ。

 ダリはこのほかにも舞台をあらわす作品を描いており、今回も並べられていた。

 

 このほかにも目をひいたのは、『横たわる女』(1926)や『大きな親指、浜辺、腐った鳥』(1928)などの初期のもの。

 

 先にも書いたが、挿絵は好きだった。『モンテェーニュの随想録』の言葉が好きだった。このモンテェーニュの随想録をダリが11巻(全て)持っていたというからすごい。全ての挿絵を描いたわけではないだろうが、残されている文章を対比させながら、一日中眺めていたいと思うのは、私だけだろうか・・・

 

『催淫作用のあるタキシード』(1970)はロックグループのピンク・フロイドのアルバムジャケットを思い浮かべさせる。あの有名な電球のついたタキシードの。な~んだ、ダリの真似だったのか・・・

 ダリのファッションやメイクは70年代のハードロックやグラムロックに通じるかっこよさ。というより70年代ロックが、若かりし頃のダリの二番煎じだったのかと思うと、ショックを受ける。ダリは好きだが、まねだと思うと裏切られた感じがする。

 

 天井から黒の傘を吊り下げた作品は、原作(写真)の傘のカーブとは微妙に違う。しかし遠くから見ると、目をひくものがある。傘に限らず、ダリの作品は近くで見るよりも極力遠くから見てみたい。近くからと遠くから見るその対比は作品の二面、多面性をあからさまに見せ付ける。

 

 シュールな作品も多くあったが、以前に観たダリ展に比べてダリらしいものが思ったほどは無かった。時計とたまごの作品が少ないのが残念だった。ふふっ、たまごか・・・

 小さな4歳と2歳くらいの子どもを連れた親子が絵を見ていた。お姉ちゃんが、

「お父さん。卵の中、何がはいってるの?」

 弟は

「ちゃまご、ちゃまご、ちゃまごあた(あった)~~~ちゃまごあた~~~」

とはしゃいでいた。

 子どもは素直に作品を楽しんでいて、好感が持てる。作品を読み取ろうとして頓珍漢な自分が恥ずかしい。夫は歴史的な流れの中で作品を味わい、私は好みだけが基準であるが、子どもたちを見ていると、理屈は必要ないのかもしれない。

 

 ダリ或いは立地条件、発券条件などからダリ展は多くの人たちでごった返していた。私は見づらいというよりも、うれしさの方が大きかった。というのも、美術作品をたまたま楽しんだというカップルや親子連れも多く、芸術を身近に楽しむことができるという点において、いい美術館だと感じる。天保山という地に美術館を構えたサントリーに、拍手を送りたい。

 

 

 

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