乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

映画『Sibyl』2019 フランス/ベルギー ジュスティーヌ・トリエ監督・脚本 アルチュール・アラリ脚本

2020-10-24 | 映画

 

   映画『Sibyl』2019 フランス/ベルギー ジュスティーヌ・トリエ監督・脚本 アルチュール・アラリ脚本

  

  • 原題/Sibyl
  • 制作年/2019
  • 制作国/フランス/ベルギー
  • 内容時間(字幕版)/102分

 

  • 監督
    ジュスティーヌ・トリエ
  • 製作
    ダヴィド・ティオン
  • 製作
    フィリップ・マルタン
  • 製作
    セルジュ・アヤ
  • 脚本
    ジュスティーヌ・トリエ
  • 脚本
    アルチュール・アラリ
  • 撮影
    シモン・ボフィス

 

 

 

 sibyl は、(古代ギリシャ・ローマなどの)シビラ、シビュラ、みこ、女予言者などの意味を含む。

 

 映画『Sibyl』は、日本語の題名としては、『愛欲のセラピー』だが、題名から想像する下品な内容ではない。

 筋書きと云い、役者と云い、音楽と云い、最高に楽しめた。

 また、子供の使い方が上手い。子供の表情が、まとを得ている。

 

 ピアノの不協和音の序列から始まる映画『Sibyl』は、中盤で素晴らしい声のロック、的確な場面でのシャンソン、そして、繰り返すのパターンtぽしての、サイゴン締めのピアノの不協和音は、筋書きを導き、品良くまとめる。

 一人の女性の生き方をも考えさせる、秀作。

 今回もネタバレは控えるが、この映画は好きだな。

 

 簡単な記録のみにて失礼いたします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 84 三十七丁裏 三十八丁表 と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

2020-10-23 | 在原業平、そして、伊勢物語 と、仮名草子 仁勢物語
恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 84 三十七丁裏 三十八丁表 と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

富田高至 編者

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年

 

 

下 84 三十七丁裏 三十八丁表

 

三十七丁裏

◯をかし、男有りけり、身ハ膝行(イタカリ ママ →いざり)なから、母なん神子也

けり、その母、長鬼(ママ 長岡)といふ所に住けり、子ハ京に乞食しけれハ、

やしなふとしけれと、一さい衛(ママ 得)やしなハす、人もたのまねハ、占

もせさりけり、さるに しハすはかりに、橡(トチ)の実(ミ)とてふん

したる紙より、うれしくあけてみれハ、歌より、

   老ぬれハ 枝のわかれのありといえむ

   おそるなみたハ とちのみのごと

かの子ゐざりなかりなきて、よめる、

   世の中に 枝のわかれのなくもかな

   千世もといのる 人の団栗(ドンクリ)

 

 

 

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊       

   老ぬれハ 枝のわかれのありといえむ

   おそるなみたハ とちのみのごと

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   老(い)ぬれば さらぬ別れのありといへば

   いよ/\見まく ほしき君かな

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   世の中に 枝のわかれのなくもかな

   千世もといのる 人の団栗(ドンクリ

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   世の中に さらぬ別れのなくも哉

   千世もといのる 人の子のため

 

 

膝行(イタカリ ママ)

 膝行(いざり)(しっこう)

膝行(いざり)《動詞「いざ(躄)る」の連用形から》

 1 ひざや尻を地につけたままで進むこと。

  膝行(しっこう)。

 2 足が不自由で立てない人。 

 

神子

 みこ 

 

長鬼(ママ)といふ所

 長岡といふ所

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 83 三十七丁表 三十七丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

2020-10-23 | 在原業平、そして、伊勢物語 と、仮名草子 仁勢物語
恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 83 三十七丁表 三十七丁裏と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

富田高至 編者

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年

 

 

下 83 三十七丁表 三十七丁裏

 

三十七丁表

◯をかし、信濃にかよひ給ひし維茂将軍、れいの

狩しにおハします、共に馬乗ると、大勢にて狩しけ給へり、

一尾へてみるに、假屋打ちけり、女おほうして、とくよ

バんとおもふに、大勢をとゞめて、ろくならん所まてとて

乗打をせさり、女此馬のくらをとりけれハおりて、

   枕とて 草引むすふこともせし

   誰かつまとたに たのまれなくに

 

三十七丁裏

とよみける時ハ、九月晦日なりける将軍おほきに

酔て、赤顔し給ふてける、かくして舞つ謡つ飲ける

を思ひの外に御烏帽子も落ちてける、無理に鬼ともくひ

奉らんとて、大勢ましてよるに、八幡山の麓なる

甲ら(ママ かわら)、足いとはやし、強くて、戸隠に参りてみ奉るに、

づぶ/″\と鼾(イビキ)かきておハしけれハ、やゝ久しくおこして、仰

の事なと御博士とり出て消にける、さてもさふら

ひしかなと思へと、大鬼小鬼とも有りけハ、えためら

はて、無理切に切てかゝれバ、鬼、

   わるくして 太刀ハあらんと思ひきや

   弓ふみおれハ 君をくはんに

   

 

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊       

   枕とて 草引むすふこともせし

   誰かつまとたに たのまれなくに

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   枕とて 草ひき結ぶこともせじ

   秋の夜だに たのまれなくに

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   わるくして 太刀ハあらんと思ひきや

   弓ふみおれハ 君をくはんに

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   忘れては 夢かぞと思(ふ)思ひきや

   雪ふみわけて きみを見むとは

 

 

維茂将軍

 平維茂

 平繁盛の子として誕生。

『今昔物語集』によると二話とも平貞盛の弟・陸奥守平繁盛の孫で上総介・平兼忠の子とされているが、伯父・貞盛の養子となった。貞盛は多くの養子を取っており、子としては15番目だったことから余五(十を超えた余りの五)君、また後に将軍となったと伝えられることから余五将軍と言われる。

 

 平維茂(これもり)

 平安時代中期の武将。

 平将門の乱平定で名を馳せた平 貞盛の甥で養子となり15番目の子として余五将軍と呼ばれた平維茂の墓とされています。

「鬼女紅葉伝説」 戸隠村(現長野市戸隠)で一党を組織して富豪の家々を襲うようになった紅葉。

 その噂は京都にも届き、紅葉討伐のために派遣されたのが平 維茂。平 維茂は苦戦するも、別所温泉の北向観音の加護によって紅葉を討ち取ったといいます。

 しかし、維茂も戦いに傷つき別所温泉での湯治も虚しく亡くなったとされています。

 

鬼女紅葉伝説

 平安の頃、紅葉という高貴な女性が京の都から水無瀬(鬼無里)に追放されてきました。

 村人は美貌と教養溢れる紅葉を敬慕し、内裏屋敷を造って敬愛しました。

 しかし、紅葉は山里の暮らしに物足りなさを感じ、昼は村人に読み書きなどを教えていたものの、夜は変装して他村を荒らし回る生活を始めます。

 やがて紅葉は鬼女と呼ばれるようになり、更に鬼女が京を狙っているという噂が流れました。

 朝廷はその噂を聞き、平維茂(たいらのこれもち)に鬼女退治を命じました。維茂は多くの兵を連れ急ぎ討伐へ向かいましたが、紅葉の妖術を前に太刀打ちできず、失敗に終わります。

 紅葉の妖術を破るためには神仏の力にすがる他ないと、維茂は別所北向観音に17日間参籠し必勝祈願をし、降魔の剣を授かりました。

 剣の力で妖術は無効化され、ついに紅葉は征伐されました。

 

れいの

 例の

 

一尾(いちお)へてみる

 或る山裾の延びた所を通り越して。

 

女おほうして

 女多うして

 

女おほうして、とくバん

 疾く(とく)副詞

 ①すぐに。早速。急いで。

  出典土佐日記 二・五 「船とく漕(こ)げ」

  [訳] 船を急いで漕げ。

 ②すでに。とっくに。

  出典源氏物語 夕顔 「息はとく絶え果てにけり」

  [訳] 息はすでにすっかり絶えてしまった。

 

ろくならん

 陸ならん

 平らな土地まではと思って。

 

枕とて 草引むすふこともせし

誰かつまとたに たのまれなくに

  枕にしようとして草を引いたと云ったこともせず、

  誰が夫(つま)とだに、頼まれなくに。

 

甲ら(かわら)

 かうら

 謡曲『紅葉狩』では、「かわら」と謳う。

 鬼女紅葉伝説に関係する。

『紅葉狩』は何度か楽しんだことがあるが、印象深い能楽である。

 

えためらはて、

 得ためらわで

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-33 【巻四 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ) 門前の様子】一紙〜四紙 中央公論社 小松茂実編

2020-10-23 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

絵図は二巻

 

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-33 【巻四 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ) 門前の様子】一紙〜四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8 巻四 一紙〜四紙

 

 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ)

 

 妻飾り

 白壁

 茅葺の屋根には、鴟尾

 

 門前には、檳榔毛車(びろうげのくるま)や文車(もんのくるま)

 

 少年や、仕丁

 

 

  (『年中行事絵巻』日本絵巻大成 引用)

  

  

 

鴟尾

 宮殿・仏殿などの大建築の大棟(おおむね)の両端に取りつけた鳥の尾の形の飾り。

 沓形(くつがた)。

 

檳榔毛車(びろうげのくるま)

 牛車(ぎっしゃ)の一。

 白く晒(さら)した檳榔の葉を細かく裂いて車の屋形をおおったもの。

 上皇・親王・大臣以下、四位以上の者、女官・高僧などが乗用した。

 びろうぐるま。びりょうのくるま。

檳榔(びろう)

 檳榔(びろう)は別名蒲葵(ほき)、コバ、アジマサとも呼ばれ、記紀神話の時代より神木として登場しています。

 その葉で作られた団扇(うちわ)や笠、牛車や馬の装飾品などは高貴なものとして重宝がられていました。   

 また山伏修験者も峰入の時にはその団扇を腰にさし、護摩焚きの時には必ずこれを用いるといわれています。

 沖縄では世の始まりのことを、クバヌファユー(蒲葵の葉世)と言って、そこでは男も女もコバの葉で作った衣を腰にまとっていたと語り伝えられています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-32 【巻四 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ)】一紙〜三十四紙 中央公論社 小松茂実編

2020-10-22 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸、屏風

絵図は二巻

 

 

 

『年中行事絵巻』日本絵巻大成 8-32 【巻四 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ)】一紙〜三十四紙 中央公論社 小松茂実編

 

 

日本絵巻大成 8 巻四 一紙〜三十四

 

 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ)

 巻四は、射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ)

 射遣(いのこし)、賭弓(のりゆみ)は古くからの宮廷儀式。

 

  射遣(いのこし) 正月十八人

  前日の射例(じやらい)で、六衛府の官人の射終わらなかったものに、改めて、射させる。

 

  賭弓(のりゆみ)は、賭射とも書く。

  賭射の後で、弓場において、近衛と近衛府の官人たちが、弓枝を競う儀式。

  勝方は贈り物がされ、負方は、罰酒を受ける行事。

  (『年中行事絵巻』日本絵巻大成 引用)

  

  

 

射遣(いのこし)

 平安時代、正月17日の射礼(じゃらい)の式に参加しなかった衛府の者たちが、翌日、建礼門で弓を射ること。

 

賭弓(のりゆみ)

 ① 賞品を賭かけて弓を射ること。

 ② 平安時代、宮廷年中行事の一。

  射礼じやらいの翌朝(正月18日)に、左右の近衛府・兵衛府の舎人とねりが弓射の技を競うのを弓場殿ゆばどので天皇が見る儀式。

 

罰酒(ばっしゅ)〘名〙

 賭弓(のりゆみ)の敗者や宴会に遅刻した者または約束に反した者に、罰として酒を飲ませること。

 また、その酒。罰杯。

 ※西宮記(969頃)二「勝方将督行二罰酒一」 〔杜牧‐過大梁聞河亭方讌贈孫子端詩〕

 (大辞林引用)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乱鳥

2020-10-22 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 昨夕から子が戻り、早朝にたつ。

 ワンコのモモが、子に飛び跳ねて喜ぶ。

 夕食は ステーキ、肉野菜、魚料理、サラダ、

 朝食は シジミ野菜味噌汁、野菜オムレツ、サラダ、手作りパン、ミルク

 少々食べ過ぎたので今日は控えめの食事にしよう。

 窓の外では、雀が囀る。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画『Default 国家が破産する日』2018 韓国 115分 チェ・グクヒ監督

2020-10-21 | 映画

 

 映画『Default 国家が破産する日』

 

 

 身を引き締めて観た、決して他人事とは思えない内容だった。

 

 今回もネタバレなしの、簡単な記録のみにて失礼いたします。

 

  • 原題/Default
  • 制作年/2018
  • 制作国/韓国
  • 内容時間(字幕版)/115分
  • 監督
    チェ・グクヒ
  • 製作
    イ・ユジン
  • 製作
    オ・ヒョジン
  • 脚本
    オム・ソンミン
  • 撮影
    チェ・チャンミン
  • 音楽
    キム・テソン

 韓国全土を揺るがせた1997年の通貨危機の内幕に迫る経済サスペンス。フィクションではあるが史実とリサーチに基づき、危機を前にした人々の群像ドラマを綴る。(wowow)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

2020-10-21 | 能楽・狂言

 

 『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』

 

 

『世阿弥』「能を読む2」『高砂』はまず次の様に書かれている。

 

 本曲のテーマは、和歌の隆盛が天下泰平のバロメーターだとする『古今和歌集』序以来の和歌性教観に立脚した当代賛美と見るのが正しいと思われる。

   (『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」『高砂』から引用)

 これは前回にも書き、『古今和歌集』を調べてみた。

 今回は、「能を読む2」『高砂』の興味深い箇所だけを記録したい。

 

 ストーリーの展開としては、『高砂』「ネットで調べる」でも書いたが、「能を読む2」『高砂』ではどの様になっているのか。

 

 九州肥後国の阿蘇大神宮の神主 友成(ワキ)と従者(ワキヅレ)

   舟で状況の途中、高砂の裏に立ち寄る。

 

 尉(じょう シテ)と姥(ツレ)

   現れる。

 友成(ワキ)と住吉の松

  「何故、相生の松と呼ばれるのか?」

 尉(じょう シテ)

  「高砂とは、『万葉集』の時代、住吉とは、延喜帝(醍醐天皇)の時代、松は永遠に終わることの無い御代(みだい)の例え。それゆえ松が多く詠まれている」

 友成(ワキ)

  翁嫗(尉(じょう シテ)と姥(ツレ))の二人の素性を正す。

 尉(じょう シテ)と姥(ツレ)

  「高砂と住吉の精」

 尉(じょう シテ)

   上洛する友成一行に

  「住吉の裏で待つ様」

   言い、退場。

 

 友成一行

   あらためて、「相生の松」の謂れをたづね、住吉の浦に向かう。

 住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)

     大君守護

     万民寿福

   上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

   

 友成一行は、上洛の途に着く。    

 

 

 謡曲『高砂』は、友成一行が住吉で住吉明神と会う。住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)し、大君守護と万民寿福を祝い、舞い踊り太平の御代を寿ぐと云っためでたい謡曲なのである。

 能楽研究者のAF氏がおっしゃっていた様に、結婚式でうたわれる様になったのは近年で、一般の人々が思われている様に、「結婚して二人仲良く年老いるまで」と云った内容では無いとおっしゃっていたし、また、能楽を京都観世会館で十代前半(中学生)から楽しんでいる人間ならば、謡曲『高砂』位は周知の次第である。

 ところが、生半可に能楽師から短時間で「結婚して二人仲良く年老いるまでと云った内容では無い」「ただただ舟を漕ぎ様に」などと習うと、これがいけない。

 受け手が、能楽師の教えである謡の節「ただただ漕ぐ」を誤解し誤認してしまう半可通が、謡曲『高砂』を誤認したまま、知ったかぶりをする。

 

 住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)

     大君守護

     万民寿福

   上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

と云った『高砂』の根本的内容までをも否定してしまい、「結婚して二人仲良く年老いるまでと云った内容では無い」と云った部分だけがクローズアップされ、寿ぐ祝い曲たることを否定し、他人を貶めようとする。

 私とて、誰も結婚式などで考えられているそんな内容だとは云ってはいない。ただ、根本は、祝い歌だと云うことは確かで、間違ったこと言ってない!

 能楽や謡や囃子などを習うならば、もう少し謙虚に、曲の本質を学びなさいと言いたい。

 そう言うのを、「論語読みの論語知らず」と云う。

 

 私自身も世の中で知らない事は数多いが、半可通の考えで人を小馬鹿にはしない。

 人の言葉を鵜呑みにせず、自分で確かめて自分で考えていきたいと考える。

 

  以上  

 乱鳥、複数回に渡る良い能楽研究者の教えを承る機会があった事は、喜ばしい!!!!

 

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

2020-10-20 | 紀貫之

 

 『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

 

 

『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」の『高砂』には、『古今和歌集』仮名序にも『高砂』が触れられていたので、簡単に記録しておきたい。

 

 

『高砂』

 本曲のテーマは、和歌の隆盛が天下泰平のバロメーターだとする『古今和歌集』序以来の和歌性教観に立脚した当代賛美と見るのが正しいと思われる。

   (『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」『高砂』から引用)

 

 実際に以前にも読んだ『古今和歌集』仮名序を確かめることにしよう。

 

 

『古今和歌集』仮名序

「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」

から始まる『古今和歌集』仮名序が中盤に差し掛かった頃、次のように記されている。

 

「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」

  (『古今和歌集』仮名序  岩波 新古典文学大系5から引用)

 

 

「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」の「高砂」「住の江」に注釈として和歌が載せられているので記録しておきたい。

 

 

高砂

 『古今和歌集』908

 かくしつゝ 世をや尽さむ高砂

 おのへに立てる 松ならなくに

 (「高砂の松」で比喩される人生の無常感。)

 (『古今和歌集』  岩波 新古典文学大系5から引用)

 

住の江

 『古今和歌集』905

 我見ても 久しくなりぬ住の江

 岸の姫松 いく世へぬらん

 (私が見ているだけでも久しくなった。住の江の一体いつの世を経てきているのでしょうか。)

 (『古今和歌集』  岩波 新古典文学大系5から引用)

 

 

 

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

 

 

 

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

2020-10-20 | 在原業平、そして、伊勢物語 と、仮名草子 仁勢物語

 

 『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

 

 

 むかし、みかど、住吉に行幸したまひけり。

    我見ても久しくなりぬ住吉の岸の姫松いくよへぬらん

 おほん神、現形(げぎやう)し給(ひ)て、

    むつましと君は白浪瑞垣(みづがき)の久しき世よりいはひそめてき

 

    (岩波 日本古典文学大系9 『竹取物語、伊勢物語、大和物語』から引用)

 

 

 

 昔、帝が住吉に行幸されました。

   私が見てからも久しくなった、住吉の岸の松は、どれほど時代を経ているのでしょうか。

 住吉の大御神(おおみかみ)がお姿を現されて、

   私が帝に親愛の情を抱いているのを、ご存知では無いでしょう。

   久しい昔の世から、ずっとお守り申し上げているのですよ。

 

 

 神が現れて、歌を詠む。

 あなたは知らないでしょうけれど、お守りしてきたんですよと詠み、

    むつましと君は白浪瑞垣(みづがき)の久しき世よりいはひそめてき

で、掛詞。

  「しら浪」

  「しらない」

「瑞垣」は、「久し」にかかる枕詞。

 

 住吉神社は古くから海の安全を護る神として信仰された。

 上を総合的に考えると、謡曲『高砂』が『伊勢物語』百十七段を引いたことがわかる。

             『高砂』 続く

 

 

 

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

2020-10-20 | 観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本

 

謡曲『高砂』2

『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』確かめる試み。

 

 

 

 

 

 

 正しいか否かは別として、ある程度重宝される、苦しいときの神頼み的存在の「Wikipedia」で検索してみる。

 Wikipedia 高砂

 縁起物

 高砂 (能) - 能の演目。

 脇能物の男神物。

「高砂や、この浦舟に帆を上げて」の謡で知られる。

 高砂人形 - 上記の能の登場人物をかたどった人形。

 関西地方で結納に送られる。

 上記の風習にちなみ、結婚式場によっては、披露宴で新郎新婦が座る席を「高砂」と呼ぶ。

 高砂や - 上記の謡にちなんだ落語の演目。

 

Wikipedia 高砂(能)

『高砂』(たかさご)は、能の作品の一つ。

 相生の松(あいおいのまつ、兵庫県高砂市・高砂神社)によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能である。

 古くは『相生』(あいおい)、『相生松』(あいおいまつ)と呼ばれた。

 ワキ、ワキヅレがアイとの問答の後、上ゲ歌で謡う

『高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、月もろともに出で潮の、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、はや住吉(すみのえ)に着きにけり、はや住吉に着きにけり』

 は結婚披露宴の定番の一つである。

(附:能楽研究者A氏の話によれば、結婚式でうたうのは、近年の事とのこと)

 江戸時代、徳川将軍家では『老松』とともに『松』をテーマにした筆頭祝言曲二曲の一つであった。

(しかし、祝賀歌として、江戸時代から徳川将軍家では『高砂』『老松』が歌われていたとのこと)

 

上ゲ歌

上ゲ哥」とも。 能の一曲は、いくつもの小段が連なって構成されている。

「上」はその小段の名称、または小段の形式をいう。

 上音という高い音程から始まり、七五調の詞章が平ノリというリズムで謡われる。

 

 シテ:翁 ツレ:嫗 ワキ:九州阿蘇宮の神官

 

 

 九州阿蘇宮の神官(ワキ)が播磨国、高砂の浦にやってきた。

 春風駘蕩とする浦には松が美しい。

 遠く鐘の音も聞こえる。

 そこに老夫婦(シテとツレ)が来て、木陰を掃き清める。

 老人は古今和歌集の仮名序を引用して、高砂の松と住吉の松とは相生の松、離れていても夫婦であるとの伝説を説き、松の永遠、夫婦相老(相生にかけている)の仲睦まじさを述べる

 命あるものは全て、いや自然の全ては和歌の道に心を寄せるという。

 ここで老夫婦は自分達は高砂・住吉の松の精であることを打ち明け、小舟に乗り追風をはらんで消えて行く。

 神官もまた満潮に乗って舟を出し(ここで『高砂や…』となる)

 松の精を追って住吉に辿り着く。

『われ見ても 久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく代経ぬら』(伊勢物語)

の歌に返して、なんと住吉明神の御本体が影向(ようごう)され、美しい月光の下、颯爽と神舞を舞う。

 これは和歌の形式からいうと、伊勢物語の歌に対しての、住吉明神の御本体の返しである。

 俗に住吉明神の舞とも云われ、友成が住吉に着きますと、住吉明神が現れて神舞を舞う。

 御代万歳・国土安穏を祝う。

 その最後の謡の部分が次の小謡で、歌舞伎や相撲でも使う「千秋楽」の語源ともなっています。

 友人の話では、謡の会などの最後に謡われることが多いため、付け祝言と云うこともある。

 

 

 上を考えると、下の意味がわかる。

高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出潮(いでしお)
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり

四海(しかい)波静かにて 国も治まる時つ風
枝を鳴らさぬ 御代(みよ)なれや

あひに相生の松こそ めでたかれ
げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや
かかる代(よ)に住める 民とて豊かなる
君の恵みぞ ありがたき
君の恵みぞ ありがたき

 

上の部分は、多くの方々が最もご存知でアルポピュラーな部分です。

しかし謡曲には詩的ストーリーがあり、前にも場は展開しますが

 

高砂や この浦舟に 帆を上げて
この浦舟に帆を上げて
月もろともに 出潮(いでしお)
波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて
はやすみのえに 着きにけり
はやすみのえに 着きにけり

 

の後も話は展開し、終わります。

 

 さす腕(かいな)にハ悪魔をはらひ。

 さす腕(かいな)にハ悪魔をはらひ。

 をさむる手にハ、寿福を抱き。

 千秋楽ハ民を撫で。

 万歳楽にハ命を延ぶ。

 相生の松風、颯々の声ぞ楽しむ。(『観世流百番集』から引用)

 

 めでたいですね^^

 

 上のことから、馴染みの結婚式で歌うだけの謡ではないことがわかりますね。 めでたいですね^^

 しかし、祝い歌であるので、今や結婚式で歌ったとて、何ら間違いではありません。

 何故なら、『高砂』はストストーリーの展開を追った、目出度い歌でもあるからです。

 

 また、『高砂』には話の展開があることも知っていただけたと思います。

 

 学者や専門家によっては自論だけを主張される方もいらっしゃいます。

 一方、立派な学者は諸説を明かにしてから、「私の考えはこう云う点で、こう考えます。」と、おっしゃいます。

 また、教えていただいたことを鵜呑みにするのではなく、自分でも確かめ、考える力をつけないと、真実には近づけないことを痛感しました。

 自分で読み考えると云ったことを繰り返し、楽しんでいきたいなと考える今日この頃です。

           次は書物で『高砂』を検証してみましょう。   続く

 

 

 

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

2020-10-20 | 観世流(続)百番集、日本古典文学大系(謡曲)、能楽関係本

 

謡曲『高砂』 観世流謡曲百番集より

 

 私は謡を心得ないが、観世流謡曲百番集では、言葉の右に、歌い方が説明されている。

 

 

 高砂や この浦船に帆を上げて
 月もろ共に出汐(いでしお)の
 波の淡路の島影や
 遠く鳴尾の沖こえて
 はや住の江につきにけり
 はや住の江につきにけり(サラリ)

 

 観世流謡曲百番集では、

 (サラリ)高砂や この浦船に(ユルメ)帆を上げて
 月もろ共に出汐(いでしお)の
 波の淡路の島影や
 遠く鳴尾の沖こえて
 はや住の江に(ユルメ) (シズメ)つきにけり
 はや住の江につきにけり

 (サラリ)

 (ユルメ)

 (ユルメ)

 (シズメ)

  後はリズムをとる?「 、」

 

(サラリ)(ユルメ)(ユルメ)(シズメ)左以外の「 、」を考えると、謡の場合は某氏がおっしゃるように「ただただ舟を漕ぐように」というのが吉と考えるのかは、私には、詳しくはわからない。

 しかし、私のこれまでの知識方考えると謡曲『高砂』には、しっかりとしな話の展開があり、最後は住吉の精に会い、祝い、寿ぐと云った内容なのだが。

 某氏は能楽師の言葉を間違って受け取っておられるのだろうか。

 ただただ舟を漕ぐ様に歌うのは、謡曲『高砂』の一部分である。

 だが、元をたどると「ただただ舟を漕ぐように」という内容なのかとも思う。

 私には確信が持てないので、これまでに見たり学んできた『高砂』を自分で調べる必要性を感じた。

 

 一度、能楽研究者の天野文雄先生にお尋ねしてみたいが、生憎コロナで講座も出席できない。

 何より、天野文雄先生の講座は昨年で終わり迎えたはずなので、お会いする機会がない。

 天野文雄著の本は多く持っているので、能楽も少しづつ学んでいきたい。

 

 高砂はあまりにも有名な曲で、その説は多く、学者によって異なる。

 天野文雄先生は多くの学者や能楽師の異なるお考えを丁寧にプリントして説明し、その上で、「自分はこういう理由で、この様に考えている。」と云った真っ当な学者であるので、共感が持てる。

 高砂で印象深い場面はいくつかあるが、その中でも「老松」という言葉は痛烈に心に残っている。

 

 以前金春流の能楽師に『八幡弓』の講義を受けたことがあるが、『高砂』は『八幡弓』に比べて意識して面白くしてあるという旨が、『謡曲集 上』(岩波 日本古典文学大系)に記されている。

 しかし、『八幡弓』の縁起の良い家があったなどと、『高砂』がどう結びつくのかは、私にはわからないので、ぼちぼち調べていきたい。

 

『刈萱』関係は調べたいは、『高砂』にも興味を持つは、『仁勢物語』&『伊勢物語』の比較はしたいは、『源氏物語』や草子や絵巻物や歌舞伎は読みたいはで、頭がこんがりかけている。

 結構読書に時間を費やしてはいるが、それでも時間が足りない。

 云えることは、このコロナ禍で、今できること、今興味あることを思い存分楽しみたい。それしかない。

 

 

                           続く

 

 

 

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

 

 

  

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージカル「シー・ラヴズ・ミー」(原題:She Loves Me)   5★/5   収録:2016年  脚本:ジョー・マスタロフ 演出:スコット・エリス

2020-10-19 | TVで舞台

 

ミュージカル「シー・ラヴズ・ミー」(原題:She Loves Me) 5★/5

 

 夏に録画していたミュージカル「シー・ラヴズ・ミー」を10月になって見てみた。

 面白く大笑い&拍手喝采。

 間の取り方やハミングが、日本のミュージカルとは全く違うことに驚く。

 多くの音楽や踊り方が取り入れられ、また、マジックまであった。

 皆がそれぞれの持ち場を全うし、これがアメリカのミュージカルか!と感動した。

 一緒に見ていた家族も、楽しそうにほくそ笑んでいた。

 bravo〜!!

 

 今回も簡単な記録のみにて、失礼いたします^^v

 

 

脚本:ジョー・マスタロフ 

作曲:ジェリー・ボック 

作詞:シェルドン・ハーニック

舞台セット・デザイン:デヴィッド・ロックウェル 

振付:ウォーレン・カーライル

 

  • ザッカリー・リーヴァイ
  • ローラ・ベナンティ
  • ジェーン・クラコウスキー
  • ギャヴィン・クリール
  • バイロン・ジェニングス

演出:スコット・エリス

出演:ザッカリー・リーヴァイ、ローラ・ベナンティ、ジェーン・クラコウスキー、ギャヴィン・クリール、バイロン・ジェニングス

収録:2016年

 

 

概要: トム・ハンクス&メグ・ライアン主演の大ヒット映画「ユー・ガット・メール」の原点ともなった、第70回トニー賞受賞ミュージカル「シー・ラヴズ・ミー」の劇場上映版。   (wowow)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌舞伎『苅萱桑門筑後𨏍』(かるかやどうしんつくしのいえずと) 解説より   戸板康二 名作歌舞伎全集 第三巻

2020-10-19 | 名作歌舞伎全集/古典文学全集(浄瑠璃含)、歌舞伎関係本

 

  歌舞伎『苅萱桑門筑後𨏍』(かるかやどうしんつくしのいえずと)戸板康二

  名作歌舞伎全集 第三巻

 

 

『苅萱』の芸能は次のようなものがあるとのこと。(ウィキペディア)

 石童丸 仁勢物語 82段のメモ https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c75fd4cac9c69a9ed343a9d272fc9145 (乱鳥 『苅萱』)

  『苅萱』(説教節、謡曲)

  『苅萱道心行状記』(勧化本)

  『苅萱道心物語』(浄瑠璃)

  『石童丸苅萱物語』(読本:滝沢馬琴、1806年)

  『苅萱道心』(歌舞伎)

  『苅萱絵詞伝』(絵解き)

  『苅萱親子一代記』(勧化本)

  『石童丸』(浄瑠璃)

  『石童丸のお話』(絵解き) 

 

 

 名作歌舞伎全集を探すと、第三巻に、『苅萱桑門筑後𨏍』(かるかやどうしんつくしのいえずと)が載っていた。

『苅萱桑門筑後𨏍』の戸板康二氏による解説の、興味深い部分だけを書き出してみたい。

 

 ◯𨏍(いえずと)とは、土産の意味。

 

 ◯苅萱道心は、出家した加藤繁氏の法名。

 

 ◯説経にある、善光寺親子地蔵の縁起、「かるかや」、古浄瑠璃「石童丸」を先題にしている。

 

 ◯享保20,8,15

  豊竹座初演

  作者:並木宗助、丈助

 

 ◯歌舞伎では三段目の他に、

  五段目(親の後を慕って来た石童丸に、刈萱は 親と名乗らず返した)

 

 ◯一段目から五段目の中には、馴染みの演目^^のニュアンスが含まれる。

    『石切梶原』(梶原平三誉石切)(三段目)

    『女鳴神』(三段目)

    『義経千本桜 鮨屋』(四段目)

 

 ◯『いもり酒』

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 82 三十五丁裏 三十六丁表 三十六丁裏 三十七丁表 と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

2020-10-19 | 在原業平、そして、伊勢物語 と、仮名草子 仁勢物語
恩頼堂文庫旧蔵本 『仁勢物語』 82 三十五丁裏 三十六丁表 三十六丁裏 三十七丁表 と、『伊勢物語』岩波古典文学大系9

富田高至 編者

和泉書院影印業刊 65(第四期) 1998年

 

 

下 82 三十五丁裏 三十六丁表 三十六丁裏 三十七丁表

 

三十五丁裏

◯をかし、維盛卿と申、公卿おハしましけり、八嶋のあた

りに、牟礼(ムレ)、高松と云所に、舟有けり、年頃の侍、

与三兵衛石童丸をつれて、叔父(ヲチ)宗盛也ける人を、

常にうらみておハしましけり、時世へて、久く

なりにけれハ、その時の事ハわすれにけり、金ハたん

ともたて、脛(スね)をひき/\つゝ、大和のたにかられり

けり、今おハする高野の滝口か寺のその滝の上人

 

三十六丁表

殊にたつとし、その寺のもとにおりゐて、髪を剃て、

名を替て、上中下皆歌よみけり、興三兵衛成ける人の読ル(ママ)

   世の中に 耐えて妻子のなかりをは

   今の心は のとけからまし

又、人の歌、

   死ねハこそ いとゞ妻子ハめてたけれ

   うき世に誰か ひさにいくへき

とて、よき寺をハたてゆくに、ひたるくなりぬ、御伴

なる人、もちをもちて、外より出きたり、此餅をくらひてん

とて、よき所をもとめ行に、岩田川と云所に

至りぬ、君もむまがりて、おほくまいる、君のたまひ

ける、「高野を出て、岩田川のほとりに至ると

 

三十六丁裏

いふを題にて、歌によみて、餅ハくへ」との給ふけれバ、

かの興三兵衛よみて、奉ける、

   買くひし 棚さらし餅かたからん

   岩田川原て われハくひけり

君餅をかす/\くひ給て返しえし給ハす、

かの石童丸御元にまつまれり、それか返し、

   一とせに 殿のお共に君まさハ

   宿かす人ハ あらんとそおもふ

かりて、風呂やにいらせ給いぬ、夜ふくるまて、茶

のみ話して、あるしの亭よひて、風呂へ入す、

興三兵衛よめる、

 

三十七丁表

   垢(アカ)なきに また機に風呂へ入濡れハ

   山水さして いれすもあらなん

君にかハり奉て、石童、

   をしなへて 是は平のこれもりと

   髪のなかれハ 誰もしらしを

   

 

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊       

   世の中に 耐えて妻子のなかりをは

   今の心は のとけからまし

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   世(の)中に たへて櫻のなかりせは

   春の心は のどけからまし

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   死ねハこそ いとゞ妻子ハめてたけれ

   うき世に誰か ひさにいくへき

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   散ればこそ いとゞ櫻はめでたけれ

   うき世になにか ひさしかるべき

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   買くひし 棚さらし餅かたからん

   岩田川原て われハくひけり

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   狩り暮らし たなばたつめに宿からむ

   天の河原に我に来にけり

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   一とせに 殿のお共に君まさハ

   宿かす人ハ あらんとそおもふ

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   一年(ひとゝせ)に ひとたび来ます君待てば

   宿かす人も あらじとぞ思(ふ)

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   垢(アカ)なきに また機に風呂へ入濡れハ

   山水さして いれすもあらなん

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   あかなくに まだきも月もかくゝるか

   山の端(は)にげて 入れずもあらなん

 

『仁勢物語』和泉書院影印業刊

   をしなへて 是は平のこれもりと

   髪のなかれハ 誰もしらしを

『伊勢物語』岩波古典文学大系9より写す

   をしなべて 峯もたひらになりななむ

   山の端(は)なくは 月もいらじを

 

 

維盛卿  (ウィキペディア)

 平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。

 平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。

 平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。

 治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。

 父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水したとされている。

 

維盛  (ブリタニカ百科事典)

 平安時代末期の武将。

 重盛の嫡子。

 小松中将と称される。

 平家一門の嫡流として出世。

 治承4 (1180) 年源頼朝挙兵の際,追討大将軍として東国に発向。

 富士川の戦いでは,夜,水鳥の羽音に驚いて戦わずに逃げ帰った。

 翌年3月尾張墨俣の戦いで源氏を撃破,その功により右近衛権中将,従三位となった。

 寿永1 (82) 年木曾義仲追討のため北国へ発向。

 倶利伽羅 (くりから) 峠の戦いで大敗 (→礪波山〈となみやま〉の戦い ) 。

 義仲が上京し平家一門が西国に没落したとき,一時は都落ちしたらしいが,その後の消息は不明。

 物語類では,屋島で平家の陣を抜け出し (→屋島の戦い ) ,高野山で出家,熊野灘へ舟を出して入水して果てたという。

 

時世(ときよ)

 その時から今日まで、永い拈華血が過ぎ去った。

 作者の言葉。

 

八嶋 (屋島)  (ウィキペディア)

 平安時代の屋島

 平安時代末における屋島は、治承・寿永の乱(源平合戦)の局地戦の一つである一ノ谷の戦いに敗れた伊勢平氏が安徳天皇を奉じたまま撤退してきた四国東端の軍事要衝であった。

 翌年の元暦2年2月(ユリウス暦換算:1185年3月頃)に源氏の追撃を受け、屋島の戦いの戦場となった。

『平家物語』のほか、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした逸話などが、今日まで語り継がれている。

 

牟礼(ムレ)

 古代朝鮮語で山や丘を意味する「もろ」が日本語に転じて「むれ」となったとされる。

 

宗盛

 平 宗盛(たいら の むねもり)は、平安時代末期の平家一門の武将・公卿。平清盛の三男。

 母は清盛の継室・平時子。

 時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院は同母妹である。

 官位は従一位行内大臣。

 通称は屋島大臣など。

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/2e033d144903fbd13f8f307ca7fea496 (乱鳥 宗盛)

 

 

高野の滝口か寺のその滝の上人

 高野の滝口が寺のその滝の上人

 

岩田川

 和歌山県

 

むまがり  (うまがり 美味がり)

 むまがりて

 美味しがって

 

かす/\

 数々

 

石童丸   (苅萱(かるかや))

 苅萱(かるかや)とは、出家した武士、苅萱道心とその息子石道丸にまつわる物語。

 説経節、浄瑠璃、歌舞伎、読本などで作品化されている。

 説教節では「五説教」のひとつであり、代表的な演目のひとつとして扱われてきた。

 https://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/c75fd4cac9c69a9ed343a9d272fc9145(乱鳥 石童丸)

 

平のこれもり

 平維盛(上に説明あり)

 

あかなくに (伊勢、業平)

 まだ月が出ていて、夜が明けない状態。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする