「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
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楽だったような疲れたような…

2009-01-02 | ●介護録(~2015.2月)
明けましておめでとうございます。今年もよろしく。

ビゴ母、かなり昼寝をしていた大晦日、そしてお正月。そういう意味では大変楽でした。
だけど、2008年の年末年始…こんなに排泄のことで大変だった記憶がありません。
紙Pにはなっていたけど、多分、日中はトイレにシャキシャキといっていたのでしょう。
しかし2009年は、トイレ誘導ままならず。
声を掛けてもなかなか行けず、やっと行っても母のその気がなければガンとしてズボンを降ろさせてくれず、便座に座らず……。
結局は流れのままに……横漏れ……。
ベンベン処理は大晦日にドヒャーとやったので、元旦は平穏でしたが、洗濯は回避出来ず。

なんだか排泄を考えるだけで疲れました。

30日が「うららか」の最終日。帰りにはスタッフ皆さんがやって来てご挨拶。気持ち的には複雑だけど、「お世話になりました」と頭を下げる…イエ、ホントにお世話になったのは間違いなく、2004年の夏からずっと、感謝することは山のようにあるんですから。
私とスタッフが挨拶していると、ヒゴ母も同じように丁寧な挨拶。
完璧。
ビゴ母の楽な所は、「どうして最後なの?」なんて質問をしないところ。
思いっきり最後の挨拶をしても、スタッフが帰り、玄関を上がってしまえば、スッカリ何もなかったよう。

明日は大晦日だよ…と言うと「何するの?」と行った母。
大晦日に「明日はお正月だよ」と言うと「早いわね」と返事していたけど、話が通じるのは3回に1回くらい。

人形にくりきんとんをたべさせようとした母に
「人形だから食べれないよ」と言っても、「あら、そう」とアッサリしている。
生きているように接していても「人形」といって混乱することもなく……
「人形だからこのまま?」なんて口にする
そして
「学校、入れないしょ?!」と心配?
「まだ小さいから入らなくていいのよ」というと
「永遠にこのまま?」

……ハイ、永遠にこのままです。

元旦、久しぶりにジャンバースカートなど着てみたら母が
「あら、素敵なワンピースね」と褒めた。

……これ、母が縫ったジャンバースカート……自画自賛?!

「あの子、お名前なんていうの?」と母が何度も私に聞いた。あの子というのは人形のこと。
「付けてあげたら」と言ったら、なにやら思い悩んでいたので
「ビゴ母(母の名前を言って)二号はどう?」と言ったら………

………ツボだったのか、とても受けた。