「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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欲しいモノ

2009-01-24 | ▼ユルユル日常

私が今、一番欲しいモノは……

「居間から独立したカギ付キッチン」

我ながら夢かなく……悲しい

さらに言えば

「全ての生活必需品を、扉付き、カギ付き収納出来る家具」

「紙パンツなどタップリ収納出来るスペースがあり瞬間湯沸かし器と
簡易洗面所のあるトイレ」

さらに凹みそうな悲しい願望

でもこれが実現したら
私はすごく楽になる

一般的に老後とか、介護とか考えるときにはバリアフリーの家…ってことで
手すりがある、段差がない、車イスが十分に動ける広い廊下やトイレ
…といったことが話に出るのだけど

介護者目線に立つとちょっと違うかもしれないし

体は元気な認知症者のビゴ母は
手すりもいらないし、家の中の段差くらいはさほど苦にしない
別な意味で介護に適した家が必要なんだよね

……………………

昨日はでした
一月に?普通、雪だろと、天気に突っ込みたいような……
おかげで滑らないので
母連れてスーパーに行きちらし寿司を買ってきた
ホントの用事は町内のことで持っていくモノがあったから。
明日にするしかないか…と思ったけど
母を誘ったらうまく動いてくれたので雨の中出かけた
ところが
帰りにはテンション急降下

そんなに遠くもなく疲れる距離ではないので
雨と、シャーベット状の道路がイヤになったか?
悲観的スイッチオン
疲れる



覚え書き・2008年のビゴ母

2009-01-24 | ●母の状態と経緯
これはHPからのリンク用。2008年の母の記録です。

一月
便失禁数回。
紙Pを脱ぐことがあるのでイライラする
話の内容がワカラナイ
多弁
23日、介護認定更新の調査日

二月
前半、紙P脱ぎが続く
自宅入浴がかなかな難しい
13日、介護認定通知来る…介護度は変わらず3。医師の決定により更新期間は二年になる。 「多幸的」という診断。
後半、デイから帰ると落ち着きがない状態がやや続く。
新しいヘルパーに問題あり。
(本人に「いくつなの?」と聞き、答えられない母が「いくつだったかしら?」とごまかしているのに執拗に聞き続ける。本人がいる前で私に「いつからこうなったのか?」とか「どんなきっかけで気付いたのか?」など無遠慮に質問する。果ては「子供のことはすぐ忘れるんですよね」などと無神経なことを言う)
「困った」ということが増える。何に困っているかは不明。テンションがさがりっぱなし。29日、帯状疱疹であることが判明
ヘルパーについてはケアマネに相談。担当をはずして貰う。

3月
帯状疱疹はそれほどひどくなることなく、薬の服用で治癒の方向へ
エレクトーンを使って「ミュージックセラピーもどき」をしてみた。
12日くらいから、足を痛がる。 結果として帯状疱疹の後遺症だったが、分からず、手術した足の問題か?などと思い整形外科を受診。
月一の内科受診で後遺症の可能性大となり薬を貰う→完治

4月
落ち着きなし。よくシャベルが意味がよくワカラナイ。
多幸的な反面、逆スイッチが入ると、悲観的、困った、その他半泣き状態で、寂しい、不安…な感じを表出する。(おかーさん、行っちゃイヤ…など子供のような時がある。)
朝、起きるのが遅くデイの迎えをズラして貰う事が増える

5月
軟便傾向。便失禁も増える。
末に徘徊一度あり。

6月
軟便だったり、出なかったりする。軽めの下剤、下痢止め、両方出して貰うが、使うタイミングは難しいので、あまり使っていない。
何日も出なくても出るときは軟便だったりする。
24日、まりさん&まり母サマとで帯広動物園に行った。最初からお友達状態の母(^◇^;)。

七月
野球観戦のため、久しぶりにショートステイを使う(いつもはデイでの保険外事業一泊を利用)。帰ってから落ちつきなく、ハイテンションのまま。
多弁、落ち着きなし状態。
便も軟便で、失禁するので始末にイライラする。まだ慣れない。気持ち悪くなる。

八月
多弁な母。子供みたいな母。この両方が出る。
相変わらず、便失禁…軟便。紙P脱ぎやバットはずしがあるので始末に困る。
大きめのパットは×
一月おきの整形外科検査では、手術したほうの大腿骨骨頭はイビツなまま推移。

9月
朝早くから起きてウロウロする日と、起こしてもなかなか起きない日がある。
多弁。失禁。
少し前からぬいぐるみと人形を母の寝室に飾っていた。最近、人形に話しかける。

10月
人形に対する愛情?。目が合うと挨拶。幼い子と思っている。生きている?
スイッチが入ると、一時間くらいはずっーーと話しかけている。そして疲れてウトウト。
初旬、風邪ひく。私も移り母より重症… ( ̄◇ ̄;)
17日、デイの閉鎖に伴い主任が説明に来る。仕方ないことだがそ閉鎖理由は納得出来ず。
22日、整形外科検査。イビツなまま変化ないので「このまま大丈夫か?」ということになり次の検診は来年3月となる。
23日、デイで嘔吐。11時半にデイから病院へ行くことに。診断の結果問題なし。病院に着いた頃には元気になっていた。半日損した感じ。
24日、閉鎖になるデイと同じ法人が経営する別のデイを見学したが、昔の老人ホームの大部屋を区切って使っている感じで落ち着きがない場所だった。

11月
1日、ネットを通しで情報をいただいた「Fの家」見学。少人数制で家庭的。
幻覚増える。
「多弁、ハイテンション」と「悲観的状態」の二つが出た消えたり。
紙Pを脱ぐことがなくなってきた。
便についても、こっちが慣れてきた。
起きたら出ていることが多くなり大抵が軟便だ。

12月
時々、自分でトイレに行き排便することがある。
便失禁したときにトイレ誘導するのが難しい。拒否する。
18日、Fの家、一日体験。以前からいる人みたい。
多幸的と悲観的が出たり消えたり、多弁、幻覚、尿失禁と便失禁、夜はよく寝る……という状態で、とりあえずの落ち着き。
徘徊はほぼないが、玄関を出ようとはする。ただ、以前のように固い決意で「帰る」というのではないので、「暗いよ」とか「寒いよ」などの声かけで簡単に戻ってくる。
「Fの家」と契約。一ヶ月の間に事情が変わり希望の曜日が取れなかったのがショック。
30日、最後のデイ終了。スタッフと挨拶。母も意味など分からずに丁寧な挨拶をくり返した。

■この一年で変化したこと

話が通じにくくなっている。日本語だけど意味が不明。
尿失禁、便失禁が増えるが、紙Pやパットを取る頻度は減少しているのでかえって以前より失敗は少ない。
子供みたいな言動が出る
多幸的状態と悲観的状態が出たり引っ込んだりする
拒否の頻度は減る
落ち着きのない状態がよくある。(なにか不安なのか?)

■あまり変わらないこと

文字を読むこと。ローマ字も読む。
愛想の良さ、コミュニケーション力。丁寧な挨拶。
食事、着替えなどの自立度
多弁、幻覚