「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

ちょっと心に染みた

2009-01-08 | ●介護録(~2015.2月)

キレイ事を言うつもりでも、感動話をしたいわけでもないけど
今日は、チョットだけしみじみと……。

………………

ビゴ母は去年くらいから
健常だったらとても恥ずかしくて言えないようなことを言うようになった

「幸せ~」とか「うれしいわ~」とか「大好き」とか
そしてよく抱きつくようにもなった


これは私に限ったことでなく、ヘルパーやデイのスタッフにも同じ

優しくしてくれたり、助けてくれた人に対して
その時感じた思いをストレートに言葉にしたり行動に出すのだろう

多分、理性のフタが緩んでいるというのか、ヘンな理屈は考えないゆえの
純粋さ…か?と思う


三が日のある日
母がなにやらシャベリまくっていた。内容はよくわからない
そのうち母が私に向かって言った

「どこにも行かないでね

「娘」と認識しているかどうかは不明

「いなくなったら寂しいから

普通に考えると、どこかに(施設に)行くのは母のほうだろうし
順番から行けば先にいなくなるのも母だろう

その夜、いつものように母をトイレから始まって、着替え、歯磨きとすませ
フロアベットに導く
毎日ここに寝ているのだけど母は毎夜
「まあ、こんなところ(素敵なところでいうニュアンスらしい)で寝ていいの
などといって大抵は嬉しそうに眠りにつく

さらにその日はどこかクリアな感じで

「いつも大変なのにいろいろありがとう」
と言った

うーーーん………判断が難しいのだけど
意識の中のずっーーーと深い深いどこかに
普段は認識されない「人に助けて貰ってる、やってもらってる」という感覚が
ひっそりと存在していて、この日はたまたま言葉になって出たのだろうか

こういう瞬間と出逢うとやっばり出来るだけ在宅したいと感じてしまう
認知症の進行はやっかいだけど
自我がしっかりしている間はけして出ない言動
そしてもっと進行したら………言葉は全て奪われてしまうのだろう

………………

母の言葉を聞きたい

「おかえり」とか…
「何、食べる?」とか…

なんでもない当たり前の言葉を
もう二度と聞けないありふれた言葉を

by vigo