「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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闘う?!夢を見た

2007-09-17 | ●介護録(~2015.2月)
その夢は、デイのお迎えから始まる。

ここからは夢の話ですよ~ やってきたお迎えは、いつものスタッフではなく、実習生を名乗る男女。5、6人はいたような…。しかも、どうみても実習生というほど若くなく、すでに経験○年というような自信に満ちた人ばかり。とても威圧的。
そのせいで、母が不安を感じ、おびえ、拒否が始まる。

すると、その男女は、あからさまに、利用者への不満を言い出す。
それを聞いて母はもっとおびえる。
怒り頂点の私は、その人たちに向かって
「本人の前でそういうは発言をするのはどういうことか!」みたいなことをガンガン言い出す。当然相手も怒り、やり合いが続く…

そして、その実習生らしき人達が施設に戻って施設長に箏の次第を訴えているシーンにワープ。
利用者…つまり私なんだけど…が勝手なことを言う~とかなんとか施設長に訴えてるわけ。それを私はモニターで見ている感覚。
施設長は(サングラスをかれた強面のオジサンだった) 「よーし、そいつを連れてこい。意見してやる」みたいなセリフをはく。
それを聞いた私「受けて立ってやる。バカにするのもいい加減にしろ。これでも私は一応福祉科出てるんだい!」とタンカを切る
~という夢でした。

タンカを切って見たところで、プロとして仕事をしたことがない身、現場で働く人に理論武装されて勝てるはずがないんだけど、思いっきりタンカを切ったので、実に爽快…でも、ちよっと疲れた…。

介護現場への苛立ち?多分、デイサービスには不満はないんで、ショートステイ先に対するモノだろうな~(おパンツ紛失をまだ根にもっているのかしらん?)
19からまたショートの予定。デイでのお泊まり活用についていろいろと相談していたけれど、今月は当初の予定通りになりそう。
来月からお泊まりをどう組んでいくか新たに考えます。

それでもやはり南京錠

2007-09-16 | ●小技・グッズ
ドアチェーンに南京錠を絡ませてはずせなくする…というアイデアを以前にかいさんから教えて貰った。

ただ、その時はすぐにやってみなかったのデス。

理由は…
その頃の母だと、逆に「なんでこんなふうになってるの?ドアが開かないのはおかしい」というこだわりをもって、それが私にむかって来ると予測したのと、「窓から出る」と言いそうだったから。(実際、ちよっと強硬にドアは開かない!と止めた時窓から出ると言い出したので)

その後徘徊頻度も少なくなって、あまり気にせず……

ところがまた警察のお世話になったので、マズイ…と思っていたときに、まりさんのお宅はカギ付きドアチェーンと聞いて、そうだ南京錠!と改めて思ったわけです。
多分、今の母は以前ほどしっかりしてないので、ドアが開かないことに固執しないのではないか…と、そんな確信も。そしてその確信は一応当たり。
何度も何度もドアをガタガタやるけど、とりあえずあきらめてくれる。
その物音はウルサイけど、絶対に出て行けないので、私は安心。

かいさん、ありがとう~なんて安上がりで確実なアイデア。ケアマネも感心していました。

……でも、今日、以前の心配が現実に。
「おかしい、開かない、なんとかして」…というややこしいことに。
「買い物は明日がいいんじゃないの。もう暗いから(夕方だったので)カギはかけなくちゃ」とかなんとか言ってみたけど、しばらく固執状態か続いた。
長引くともっとややこしくなるから、南京錠をはずそうか…と思ったところで、なんとか母があきらめてくれた。

今日は日曜だったので、私は朝からずっと南京錠をしたまま。やはり昼間の南京錠はNGか?「せめて夜間だけ」が正解かな?(普段は夜間だけにしてます)

またこの固執状態はあるかもれしない。でも南京錠は私の安心材料だからやめない。なんとかヘンな固執が出ませんように……

巨峰

2007-09-15 | ▼ユルユル日常
叔母から、種なし巨峰をもらった。
叔母の息子、つまり、私の従弟が山梨在住。彼が送ってきたのものをお裾分けしてもらったのだ。

さすが、本場。

粒が大きい!一房手にもったら、実がポロポロ落ちる。重さに耐えかねて…という感じ。

甘さも酸味も控えめで(私はフルーツの濃~い甘みは苦手)、ちょうどヨイお味

人の凹みも知らないで

2007-09-15 | ●介護録(~2015.2月)
なんの話をしていたときだっけ?母がそれはそれは明るくノリノリで

「遠慮することのないしょ、姉妹なんだから~」と言った。
一応
「姉妹じゃないよ、娘だよ」と言ってみた。
どんな反応するのかと思ったら
「娘だって、姉妹なんだからさ~~」と楽しそうに笑っていた。

なにげに凹んだ私の気持ちなんて知りもしないで…。

その同じ日の夜、母が

「○○ちゃん(私の名前)、こっちおいで」と、後ろを振り返りながら呼び続けた。それは小さな子供を呼ぶトーン。

悲しい……目の前にいるのに。
でも、そのフクザツな思いも、飲みこむしかない。
「何言ってるの、私はここにいるでしょ」って叫んでも、事態が変わることはなく、むしろ悪いほうに傾くことを私は経験から知っているから。

でも、時々思う、私だって生身の人間でなのに、耐えて、忍んで、受け入れなくっちゃならないの?…なんてさ。
泣きたいのに。叫びたいのに。
母に対してだってホントはもっともっと言いたいのに。ぶつけなきゃたまらない日もあるのに。
そんなに強くないのに。

はぁ~

2007-09-14 | ●介護録(~2015.2月)
私の口から漏れるのはタメイキ…。

( ̄◇ ̄;) ハゥー

朝からウンちゃんを見せられると気分が萎えるわ。

紙パンツはパットの汚れ部分だけムシリとってあった。汚れはさほどひどくなかったようでむしり取った部分はトイレに流されていたけど、パットそのものではないから詰まることなく、でも、便器と母の寝間着と便座カバーとトイレシートと紙パンツの外側が汚れていた。

寝間着、どうする?…気持ち的には捨てたいような……でもそんなにひどい汚れではなく洗えるだろうな~と思う…思うけど…ダルイ。

私が一緒にトイレに入れば、紙パンツに大がごっそり出ていても汚さないように処理出来る。でも母が一人の場合は当然無理。
その時の状態で、私のトイレ同行がかなう場合とそうではないときがある。
ちゃんとしてるときに手を掛ければ「トイレ覗くなんてやめて」という感じになるから。

タメイキつきつつ、朝食の準備をする私に、母は明るく…イヤ能天気になんだかんだと言ってくる

…正直に言う………「うざったい」


紙パンツを捨てるためのゴミ袋の助成がある。でも、4月に申請しなくてはならないはず。
なぜ、4月なんだろう?私は今、申請したい。

カンゲキ~の後でコケる

2007-09-13 | ▼ユルユル日常
昨夜は阿久さんの追悼番組。
久しぶりに歌番組を見た…という感じ。
(ホント、テレビって見なくなったなぁ~私。昨日も懐かしい唄を聞きながら、頭半分、野球が気になって……)

阿久さんの業績はともかくとして、昨夜はとにかくヒデキの唄を堪能しました

「ブルースカイブルー」(大人になっても歌えるスタンダードを…と言うことで阿久さんが書いてくださった)を当時のVTRで見た上に、スタジオで「ブーツを脱いで朝食を」聴けるなんてこの曲は作曲が大野克之(←合ってる?)サンで、当時ジュリーの作品を多く手がけていたので、ヒデキもそのメロディーにジュリーぽいものを感じ、自分は別のテイストで唄ってやるゾ…と思った……という話を以前どこかで聞いた記憶が。

ところで、テレビ画面のヒデキを見ていた母が、不安そうに言いました。
「この人だれだっけ?」って。
母はヒデキサンには反応します。私が子供頃からファンだったから記憶があるんでしようね。
母は、知っている人のはずなのにワカラナイ…という感じでとても悩んでいる様子。
「ヒデキだよ」と私が言うと、画面の男性が西城秀樹であるということはちゃんと繋がったみたい。でも、その後のセリフ…

「なんで歳取ってるの?」(゜;)\(--;)オイオイ

……あのね、そりゃ、ヒデキ様も52歳だからさ。

母のなかのヒデキはもっと若いイメージなんでしょうね。
画面のヒデキは母の知るヒデキと似てる、でもなんか違う…と違和感があったのでしょうか……。
その時の母自身は40代くらいのつもりだったのかも

あっ、最後に……昨日のヒデキさんの髪型、好き


認知症サポーター

2007-09-13 | ●介護録(~2015.2月)
認知症サポーター制度が十勝管内でも拡大しているらしい。
2005年から始まったこの制度、確かに、その頃、講演で、そんな話を聞いた記憶がある。でも、予算がないので進まない…ということだった。

そんな話はスッカリ忘れていた先日、2006年末で670人程度のと登録者がいるという記事が地元紙に掲載された。

帯広の人口は17万程度。その他町村を合わせて十勝の人口は35万くらい。
その中に認知症者がどれくらいいるのかは不明だけど、そんな中の670人という数は果たして多いのか少ないのか…。

「知人に認知症者がいるので参考になった」という受講者のコメントが載っていた。
なるほどね。
知人、友人、親戚。毎日接する訳ではない人が認知症…という人にとって、認知症とはどういう病気か知ることは有意義かもしれない。

…でも、どんなこと教えるのかな~?
マニュアル通りはダメだよ、現実的な話ちゃんときけるの?…なんて、ナナメに考える私(^^ゞ
とはいえ、認知症の理解が進むの悪くない…はず。

しかし、問題は、この認知症サポーターがどんな活動をするかということ。
2005年から始まっているわりには、この記事が出るまでサポーターの「サ」の字も聞こえてこなかったしね。
地域で認知症者を支える…というけれど……果たして……。
理解を深めるだけに終わったらもったいない話。

どこまで?

2007-09-10 | ●介護録(~2015.2月)
八月に整形外科の検診に行ったとき窓口で「(受診料)現金で今いただいていいんですか」と聞かれた。
ココで払わずにいつ払うわけ?意味が分からず、とにかくはらって帰ってきた。

後になって、母の入院費手術費はショートステイ先のk苑が支払ったので、窓口の人は私から受け取ってヨイのかと思ったのだろうと、考えた。

そして思う。いったい、どこまであちらに請求出来たものなのか?
入院退院一時帰宅時のタクシー代は?
私が病院通いしたバス代は?
病院で用意しろと言われた大判バスタオルその他モロモロの経費は?
退院後の検診時の代金は?
実際、法的にはどうなんだろう?

自己管理出来ない者を他者に委ねるということは、介護事故があろうとも、それは仕方のないことだと家族側は受け入れねばならない…という理屈がある。
契約書をみると、介護の過程で(例えばベット移動中など)介護者の過失によりおきた場合以外、補償の義務はないことになっている。
この判断は微妙だ。
利用者に判断能力がない、家族は現場にいないとなると、施設側の言い方でどうにでもなるもんね。

母の失禁パンツは紛失したまま。
「見つからない」とか「まだ捜している」とか、そういう話もなにもない。
たかがパンツだけど、個人の持ち物が無くなったのは事実。
でも、こういうことは他の施設でもあるようだし、この程度のことは黙認することなのかしら?
契約書にも、持ち物の紛失に関する記述はなかった。

母は自己管理出来ない。
それを承知で預けているのだから、そんなことは笑って受入れるべきことなのかしら?(名前書けってうるさいのに)
それとも、そういう人を預かるのだから、紛失した場合には預かった側にも責任があるのかしら?

まあ…失禁パンツくらいでガーガー言わないけどさ。

振り返って好きな曲『嘘』

2007-09-09 | ■Music・Book・Movie

チャゲの「嘘」です。

セカンドアルバム『熱風』に収録されていたもの。チャゲの作曲でソロ。

YouTubeのライブでは、かなりまったりと唄ってますが、アルパムはもう少し早めで、もう少しすっきりと唄ってます。
アレンジもライブはアコギのみだけど、アルバムはストリングスのアレンジが美しいデス。

情緒たっぷりな感じのメロディに歌詞がビッタリ。
ラストの♪拝啓、春の風に誘われて~♪の部分が印象的。

私は特別彼らのファンではないけど、当時、「熱風」を買いまして、この曲にはまりました。
彼らの曲の中でどれが好き?と聞かれたら、二人のデュオじゃないけどこの曲をベスト5に入れたいな。


ポイントカード

2007-09-08 | ●介護録(~2015.2月)
デイサービスのお泊まり(宅老事業)利用。
帰ってきた母の連絡ノートに、写真のポイントカードが挟んでありました。

思いっきり手書き手作り120%~

裏面は千代紙が貼ってありまして、私は思わず、デイで何か工作してきたのか…とおもったくらい。

印鑑でも押すのか…と思ったら、シール。
可愛すぎ(^◇^;)

ゴールしたら一泊無料です。

さて、母の一泊お泊まりは、仲良しオンニと一緒だったようで、担当職員と三人でお話したりテレビを見たり盛り上がった様子。
夜中のおトイレも三度、自分から行き、失敗はナシ。
ショートステイより目が行き届くし、安定しているかな?と思う。
帰ってきた日も落ち着いていた。

夜8時頃、このデイの経営母体K苑の施設長さんが様子を見に来たらしい。
その時に「ここのテレビは古く…」と施設長さんがおっしゃると、母は
「先生、申し訳ありませんが、みんな頑張っているので、小さくてイイから新しいのを買ってあげてください」と頼んだとか…。

こんなふうに、場面と状況に合ったこともちゃんと言えるときがあるんだよね。
施設長を「エライ人」だという認識もシッカリあったんだろう。

でもこんなことは10回に一回の割合もない。
だから、こんなたま~の出来事に感心してしまう。しみじみと…喜ぶべきか悲しむべきか…。