[邪馬台国、磐井の乱、継体、大化の改新、壬申の乱など][古代史]」
[邪馬台国、磐井の乱、継体、大化の改新、壬申の乱など][古代史]」
「工藤氏の『女系天皇』読み応えあって正論展開しおり[][古代史]」
[今の男系概念は明治時代以後のこと][古代史]」
[明治天皇までは側室制度があった][古代史]」
「ただ古代血にこだわれば姪っこや異腹の姉妹も后にしたり
[同腹とも通じることあり][古代史]」
「吾も思う女系でなくて女性での天皇ならば許容もできる[][古代史]」
2020/12/14
「長屋王の館は嫁の吉備住みし館でないかというひとのあり
[妻問いそのまま住んだらしいと][古代史]」
「長屋とは高市皇子の子供にて身分家柄申し分なし[天皇に一番近かった][古代史]」
「元明にとって首は孫なれどかわいくあれど複雑なりし
[元明は吉備の子供がかわいくて勅語まで出す715年][]」
「元正と吉備は姉妹で長屋への思慕の あれるも吉備が嫁したり[][古代史]」
「元正の即位は首が15才にて即位間近で肩すかしせり
[元明は、元正に譲位して715年、勅語を出したりして、抗っている][古代史]」
「元正は美貌をもった天皇でひよわい感じあるが真偽は
[不改常典持ち出すは元正らしき][古代史]」
「母娘にて記紀の完成命じては在位の内に奉じられたり[712古事記,720日本書紀][古代史]」
「元明と元正天皇あやつりの役目すれども忸怩の思い
[元明も元正も不比等のはかりごとを知ってたはず][古代史]」
「元正は養老律令つくれるも40年あと施行されおり
[養老六年に改編が完成。施行は757。不比等は養老四年に亡くなっている][]」
「元正は色々施策やるというもっと光を当ててみたきか
[農業振興策、逃亡農民の取り締まり、東北に軍隊派遣、か美濃への旅行など][古代史]」
「元正は三世一身法で財政難切り抜けようと制度化したり
[723年に作って安心吉野に旅す][古代史]」
「長屋王宮子を大夫人とか光明子皇后にする案に反対[][古代史]」
「長屋王目の上にあるたん瘤でとかく何かと邪魔をせるかな[聖武天皇に][古代史]」
「長屋王の意見は鼻に就きなあかつ佐道が決定的か[729左道はやっていないが][古代史]」
「大伴旅人は筑紫に赴任して留守居に起きる大事件なり[][古代史]」
「藤原の四兄弟はつるみたり不比等の死後は少し潜めり[長屋殺しが最初か][古代史]」
2020/12/14
「天武紀に藤原不比等出くるは天武十年以後のことなり
[天武十年は681年で22歳の頃のこと、のちに草壁の舎人となった。不比等生年659年][古代史]」
「草壁は不比等と同じ年代で三つ年下気持ちに添える
[天武十年681に立太子、天武崩御686年][古代史]」
「草壁が持統三年689亡くなりて彼女の思い崩れ去るかな
[681年には文武も生まれている。持統三年には、7,8才になりかわいい盛り][古代史]」
「ひょっとして人麻呂不比等に加担して歌で大王神格化すか
[不比等の意図を知りすぎて消されたのかも][古代史]」
「持統には不比等はどんな役者にて持統はどんな監督なるか
[不比等と持統はつるんでいたと思ったが裏読みでは反駁][古代史]」
「親子ほど年の違いし二人にて世代の差から意見も違う[二人の各々の心中は][]」
「草壁が亡くなり天智の血をつなぐそんな思いの沸き起これるか
[持統の願いは血の存続と父・天智の顕彰。草壁689死][古代史]」
「不比等には不改常典の実現と隠した野望の顕現化なり
[藤原氏の外戚政治の実現と律令や自己正当化のための国史編纂等][古代史]」
「頻繁に持統が吉野に行けるのは彼女の内になに思いしか
[不比等登場で持統は頻繁に吉野行き][古代史]」
「参河に大々的に行く意味はなにを狙いてでかけたるのか
[702年最後の大旅行。三河、尾張等不比等への反発。疲れ出て、
病床へその後死亡。58才。][古代史]」
「道半ば律令作り官僚で天皇制をシステム化せり
[大宝律令700完成、701公布飛鳥浄御原令の反古][古代史]」
「白村江終わり半島統一を新羅がやりて独立す[統一新羅676年。倭は唐に目を向ける。[][古代史]」
「閨房は三千代に任せ着々と外戚政治の実現をせり
[県犬養三千代:天智4(665)-天平5(733)][古代史]」
「豪族の子女の出仕の年令が15歳となりてその頃出るか
[氏女の制:天武8(679)で680ころ中央に出仕][古代史]」
「出仕後に(敏達天皇系皇親の)美努王に嫁し三人の子をなしさらに再婚もせし
[葛城王684、佐為王、牟漏女王を生んでいる][古代史]」
「葛城と文武は一つ違いなり同じお乳で育ちたるかな][古代史]」
「元明の宮に出入りをするうちに不比等は三千代を見初めたるのか
[684年から3人生んだというから23,24才位に不比等の妻か][古代史]」
「不比等からたぶん近づき三千代もつカードも使い絡めとるなり[][古代史]」
「三千代には不比等となした安宿媛のち光明子なる人である[大宝元年701生まれ][古代史]」
「珂瑠皇子後の文武は異例なる14才で即位をしたり
[697年に即位、同年、宮子を妃に。珂瑠皇子は、683年生まれ][古代史]」
「即位後の四年あとには後継ぎの首皇子の誕生したり[701年で安宿媛と同い年][古代史]」
「文武なく幼い首の乳母には三千代がありて母の変わりに
[文武は707年死ぬ。元明に禅譲。首はまだ7才。実母・宮子は幽閉][古代史]」
「一説に宮子は育児ノイローゼ閉じ込めたたるは謀略あるか
[首を親からはなし、三千代を育ての母にするため][古代史]」
「元明と不比等は遷都で対立も708年に遷都の詔が[][古代史]」
「奈良遷都御所の突起が不比等邸目論見今は果たせたるのか
[天武・持統の完全抹殺、浄御原令の否定、新羅中心の外交の否定、
奈良遷都で謀略完成か][古代史]」
「ライバルを一人も殺さぬ不比等とか人麻呂殺しは不比等でないか
[真偽のほどは追々みんか][古代史]」
2020/12/12
「日本書紀は聖徳太子の礼讃を少しやり過ぎ虚飾を纏う[][古代史]」
「日本書紀編纂時には厩戸をベールに包む必要があり
[英雄視して一族の滅亡をごまかす][古代史]」
「犯人はやはり不比等で蘇我系を卑しめ厩戸よいしょをしたり
[個人的な恨みはなかった][古代史]」
「不比等には蘇我の蝦夷や入鹿など悪者にする必要ありし
[世代の劣化はあるが、入鹿はそれほど悪くはないだろう][古代史]」
「推古呼ぶ田村と山背枕辺に辛抱しろと山背にいう[本当か不明][古代史]」
「山背が滅ぼされたる経緯には謀略のあり陰の権威の][古代史]」
「山背を滅ぼし舒明の世になりて皇極は子につながんとした
[厩戸の外交路線も変えたかったのか。][古代史]」
「弟の来米を百済の応援の大将にして援軍たてり
[602年に任じられるも病で603年に死亡][古代史]」
「トロイカと言われたるけど冷静に推古、厩戸の業績あげよ
[馬子と厩戸は正反対の扱い。大山誠一の馬子大王論もある][古代史]」
「境部摩理勢は馬子の弟で山背のために大暴れする[山背が攻められたとき][古代史]」