そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

ハローウィン

2009年10月31日 | 日めくり帖
10/31
「ハローウィンオレンジ色のカボチャへと目や鼻書きてキャンデーせがむ()」
「カソリック色々いたるセインツを称える祭りそのイブのこと()」
「残念も飲み屋も含めハロウィンの経験はなし今夜なにする?()」
「思い人いればカボチャの面つけて突然ドアをノックもよけれ()」
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万葉集#4.0732-4.0734

2009年10月31日 |  / 万葉集
10/31
「(また大伴宿禰家持が和ふる歌三首)」
「今しはし名の惜しけくも吾はなし妹によりてば千たび立つとも(歌1/3首 #4.0732)」
「今はもう名など惜しくもわれはなしあなたのことで噂になろうが()」
「空蝉の世やも二フタゆく何すとか妹に逢はずて吾が独り寝む(歌2/3首 #4.0733)」
「空蝉の世は二度とないどうしても逢わずにいかに独り寝せんか()」
「吾が思ひかくてあらずば玉にもが真も妹が手に巻かれなむ(歌3/3首 #4.0734)」
「わが思いこんなでなけりゃ玉になりあなたの腕に巻かれてみたい()」
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三遊亭円楽さん逝く

2009年10月30日 | 挽歌もどき
10/30
「笑点で司会をしたる円楽さんとうとう逝けり肺癌という(享年76才)」
「端正な顔ゆえ星の王子様笑点出だしのキャッチフレーズ()」
「落語家もテレビに出るは芸荒れる出なけりゃ芸の存亡も危機()」
「しっくりと落語を聞かぬこの頃も品ある笑いたまに聞きたし()」
「テレビでは下卑た笑いが横行し何とかしてとたまに言いたし()」
「CDやDVDで枝雀とか落語名人出てはいるけど・・・()」
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万葉集#4.0729-4.0731

2009年10月30日 |  / 万葉集
10/31
「噂たち大嬢はきにしたり噂の理由は家持が因?
(大伴坂上大嬢が大伴宿禰家持に贈れる歌三首)」
「玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻き難し(歌1/3首 #4.0729)」
「玉ならば手にも巻けるが現実は人なればこそ手には巻けない()」
「逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵逢ひて言の繁きも(歌2/3首 #4.0730)」
「逢える夜はもっとあったにいかなるかあの夜の噂がえらくひどいが()」
「吾が名はも千名チナの五百名イホナに立ちぬとも君が名立てば惜しみこそ泣け
(歌3/3首 #4.0731)」
「わたしの名いくら噂になろうとも君の噂は悔しく泣ける()」
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一番札所巡礼記

2009年10月29日 | 字余り
10/29
 一番札所である那智勝浦にいく。JRの秋の札所巡りが企画され格安料金(昼飯付き4000円弱)で行ける。家内に話したら私も行きたいという。出発が大阪で朝が早いというので、妻は神戸発の別の企画がないか探した。たまたま阪急交通社の同じような企画で三宮からの出発便があるという。出発日は10月8日だったが、たまたま台風18号がきて、10月27日に延期になった。今回も10月24,25,26日は台風20号が日本に近づいており、雨前線を押し上げるような形で不安定な気候であった。しかし最悪の事態は避けられそうで出発日を待った。
 さて、当日は青空が広がり湿気も台風が連れ去ってくれたようで絶好の日和となった。30分遅れで出発し新宮に向かう。途中、二回の休憩を取り中辺路から168号線に出て熊野川沿いに新宮に向かう。新宮市街にはいかないでスライスして、目的の青岸渡寺に行く。寄り道があるが約5時間の旅である。
 念願の一番札所である。本堂まで467段の石段を登らなければならない。整備されているので比較的簡単に登れた。本尊は如意輪観音という。立て膝をして顎に手を当てて考え込んでいるらしい。秘仏で年三回、公開されるという。2月3日の豆まき大法会、4月の開山祭献茶法要(4月8日がお釈迦さんの誕生日で甘茶が振る舞われるが、ここでもされているのだろうか?)、8月17日のお盆精霊追善大法要の年三回にお目にかかれるらしい。
 青岸渡寺が本来の目的地であるが、ここには熊野那智大社が隣り合わせて建っている。しかしこの神社は少し離れた滝そのものが祭神であり、滝の上にはしめ縄がかけられている。133mの滝の長さは日本一らしい。雄壮というか途中で岩に当たり飛沫になる水はダイナミックである。滝にすぐそばに近づくには300円が必要らしい。皆団体客で時間がないのか、いく人が少ない。しばらくボンヤリと滝を見ていたいがそうもいかず滝をあとにする。
 その昔、藤原兼家に騙された花山天皇が一条天皇に位を譲り、剃髪して仏道にはいる。色々あったようだが、ここ那智まできて滝の奥の円成寺で千日間の修行をする。修行後、書写山の性空上人や弁阿上人の助けを借りて観音巡礼の御礼参りをする。上人の名は忘れたが、この人が巡礼の道を作っていたが、道半ばで病のため挫折したらしい。その遺志をついで33ヶ所の観音霊場を巡拝する。花山天皇が再興したことから有名になり中興の祖と呼ばれている。この青岸渡寺にお詣りする人が絶えなかったことから、蟻の熊野詣でといわれる位だから、一種のブームが起こったのだろう。寺の絵にあったが、偉い人が乗った輿を押す人とか、警護する武士などが長い列を作り歩いている。熊野詣での有名なところでは藤原定家が後鳥羽天皇にお供した熊野詣でがある。これは定家が記録に残しているが、中々大変だったらしい。
 今回の旅行前の想像は、南方熊楠の菌の話しや定家の蛭の話とか、中上の路地の話から、中辺路は湿っぽいように思っていたが、それは杞憂におわった。きれいに舗装された現代の道はなんの支障もなかった。気候が変ったり、ちょっと山道にはいるとどんな風に変貌するのか、見たいような見たくないような・・・
 定家は勿論花山以降であるが、花山以前にも熊野詣ではあったようである。はっきりとは言えないが、それは神の来た道を遡るような意味があったのかもしれない。神武天皇が東遷して、いったんは撤退し、熊野から上陸して大和に入ったことは知られている。そのときの道案内をやた烏がしたといわれている。本宮・新宮・那智熊野と言われるように熊野三山は、大和朝廷成立の昔に遡って祀られているのである。
 今回は西国三十三ヶ所の観音巡りであったが、神社巡りという視点からみればどんな旅になるのか、それはもうやってみるしかない。いずれにせよ、最大の難関である一番札所が終わりほっとしている。
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