10/29
この前は釈迦の悟りにかんして彼がどんな問題を設定したのかを考えた。今日は問題について解答がどんなものだったのか、といことを考えたい。仏教学者の増谷文雄氏によると釈迦の悟りは直感であったという。直感ということは、考えている命題に対してヒラメキを得て分かったという状態になるのだろう。かのアルキメデスは王冠を壊さずに本物か偽物かを判別する方法考えていて、答を思いつき『エウレカ!!』と叫びながらはだかで風呂を飛び出した。はだかで飛び出すくらいだから、アルキメデスの直感は電撃的でわれを忘れさすほどのものであった。悟りといっていいのだろう。ニュートンも林檎が庭の樹から落ちるのを見て万有引力の法則を発見した、とされている。しかしアルキメデスほど興奮はしなかったろうが、かれもまた何らかのきっかけとなるヒラメキを得たから、その瞬間に悟ったんだろう、と思う。アルキメデスにしろニュートンにしろひらめいた何かからそれを取り巻く体系に及んでいくが、設定した問題を大きく凌駕していくことがある。ニュートンの成果は二つのものの力の関係を記述するだけでなく、宇宙についての美しい法則にも及んだ。法則というレベルまで整理するのにどのくらいの日をかけたのかわからないが、領域も時代も違う釈迦も同じように、ヒラメキを得てから問題と解答を整理した。悟りを得てからそのまま座り続け、さらに7週間悟りの境地を楽しんだという。こうして整理されたことは、Aが原因でBが起こるというもので、一般的には因果律とよばれるものである。釈迦は人生の苦しさを12の因果律で説明した。QC的でなぜなぜを繰り返せということがあるが、そんな雰囲気である。とは言うもののこの12因縁は表現が今風ではない。
まず始めに〔無明〕というのが来る。いまの言語感覚では明るくない、といったところか。智慧・知識がないということらしい。智慧がないとどうなるか、〔行〕に至るらしい。またまた、この行がわからない。行=意志とあるから、〔智慧〕と〔意志〕の連鎖に思いをはせるが、シナプスがつながらない。こんなペースだと前に進まないので中村元先生に登場してもらおう。『無明によって生活作用があり、*によって識別作用があり、*によって名称と形態とがあり、*とによって六つの感受機能があり、*によって対象との接触があり、*によって感受作用があり、*によって妄執があり、*によって執着があり、*によって生存があり、*によって出生があり、*によって老いと死、憂い・苦しみ・愁い・悩みが生ずる。このようにしてこの苦しみのわだかまりがすべて生起する。(中村元選集・旧169)』と説明されている。この説明でもスッキリしない感じはある。中村先生が悪いのではないので、今はわからないと悟りをもってとりあえず終わることにする。