7/31
「(庭中ニワの花を詠てよめる歌一首、また、短歌)」
「越にきて五年を独りで丸寝するこんな調子じゃふてくさりたり(おほきみの遠の朝廷ミカドと任マきたまふ官ツカサのまにまみ雪降る越に下り来あら玉の年の五年イツトセ敷妙の手枕まかず紐解かず丸寝マロネをすればいふせみと)」
「撫子や早百合引き植ゑその花のような吾妹子逢えるを想う(心なぐさに撫子を屋戸に蒔き生ほし夏の野の早百合引き植ゑて咲く花を出で見るごとに撫子がその花妻に早百合花ゆりも逢はむと慰むる)」
「このような楽しみなくば雛にいて一日たりと辛抱できず(心し無くば天ざかる夷に一日もあるべくもあれや()」
「おほきみの 遠の朝廷ミカドと 任マきたまふ 官ツカサのまにま み雪降る 越に下り来 あら玉の 年の五年イツトセ 敷妙の 手枕まかず 紐解かず 丸寝マロネをすれば いふせみと 心なぐさに 撫子を 屋戸に蒔き生ほし 夏の野の 早百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに 撫子が その花妻に 早百合花 ゆりも逢はむと 慰むる 心し無くば 天ざかる 夷に一日も あるべくもあれや(#18.4113)」
「撫子が花見る毎にをとめらが笑まひのにほひ思ほゆるかも(反歌二首 #18.4114)」
「撫子の花見るたびにをとめらが笑顔ふりまく様子を見たり()」
「早百合花ゆりも逢はむと下延バふる心し無くば今日も経めやも同じ(反歌二首 #18.4115)」
「さ百合花後で逢おう底深く心がないと今日を過ごせぬ()」
「(〔閏五〕同じ月の二十六日、大伴宿禰家持がよめる。
)」
7/31
森浩一氏の「万葉集に歴史を読む」という本を買った。巻末に歌が載っている。万葉集を考察していて歌の一つでもということだと思う。「上州の達磨の片目墨いれむ萬葉集に歴史読めた日(2010.12.9)」というものだ。この本の肝は有間皇子が斉明天皇と中大兄皇子の謀略によってとらえられ連行されるときの歌と有間皇子の墓かもしれない岩内古墳から万葉集には歴史が読めたという。発掘が基本である森さんの考古学であるから、その視点での萬葉解釈には興味深いものがある。
7/30
「待てないで夫の使い無視をして自分で越に来たとき作る(先モトの妻、夫の君の喚メす使を待たず、自ら来たる時よめる歌一首)」
「左夫流子がいつぎし殿に鈴懸けぬ駅馬ハユマ下れり里もとどろに( #18.4110 同じ月の十七日、大伴宿禰家持がよめる。)」
「左夫流子が仕えた館に鈴つけぬ駅馬ハユマがきたよ里轟かせ()」
「おこがまし神の時代に田道間守タジマモリ常世の八矛持ち帰りたり(かけまくもあやに畏し皇祖神スメロキの神の大御代に田道間守タジマモリ常世に渡り八矛ヤホコ持ち参ゐ出来しとふ)」
「時じくの香久カクの木コの実が植えられて春には彦枝が栄えて伸びる(時じくの香久カクの木コの実を畏くも残し賜へれ国も狭セに生ひ立ち栄え春されば孫枝ヒコエ萌いつつ)」
「五月には咲く初花を楽しんで実は玉にして貫き見よう(霍公鳥鳴く五月には初花を枝に手折りてをとめらに苞ツトにも遣りみ白妙の袖にも扱入コキれ香ぐはしみ置きて枯らしみ熟ゆる実は玉に貫きつつ手に巻きて見れども飽かず)」
「秋なれば時雨で紅葉ちりぬるが橘の実は艶と目を惹く(秋づけばしぐれの雨降りあしひきの山の木末コヌレは紅ににほひ散れども橘のなれるその実はひた照りにいや見が欲しく)」
「霜置けど橘枯れずに神代から栄えるゆえに香久と名付けし(み雪降る冬に至れば霜置けどもその葉も枯れず常磐なすいや栄サカハえにしかれこそ神の御代よりよろしなべこの橘を時じくの香久の木の実と名付けけらしも)」
「かけまくも あやに畏し 皇祖神スメロキの 神の大御代に 田道間守タジマモリ 常世に渡り 八矛ヤホコ持ち 参ゐ出来しとふ 時じくの 香久カクの木コの実を 畏くも 残し賜へれ 国も狭セに 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝ヒコエ萌いつつ 霍公鳥 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて をとめらに 苞ツトにも遣りみ 白妙の 袖にも扱入コキれ 香ぐはしみ 置きて枯らしみ 熟ゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末コヌレは 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いや栄サカハえに しかれこそ 神の御代より よろしなべ この橘を 時じくの 香久の木の実と 名付けけらしも(橘の歌一首、また、短歌 #18.4111)」
「橘は花にも実にも見つれどもいや時じくに猶し見が欲し(反し歌一首 #18.4112 閏五月の二十三日、大伴宿禰家持がよめる。)」
「橘は花や実として見てきたがいやそのままに見ていきたいよ()」
7/30
いま巷ではかっての日本スタイルが崩れて、年功序列や終身雇用と言う言葉はほぼ死語になったんだろう。大学生になってはみたが卒業を控え就職が決まらない人が増えている。インフレ基調では会社も伸びている感があるから、雇用しようと言う気にもなるが、デフレ基調ではそうもいかないんだろう。こんな中で将来の飯の種をどうすると言うことはわたしの感覚では重大な問題である。わたしの親の世代、わたしの子供の世代では世間の風が全く違う。いまの若者は大変だと思う。総じてのんびりとしていると思うが職業と趣味の融合というかバランスをどう考えているのだろう。「それどころじゃない!」と一喝されるかもしれないが、老いの戯言として聞いて欲しい。(続く)
7/29
「家持の下僚書生に少咋ヲクヒあり男女の法を教え喩サトせり(史生フミヒト尾張少咋ヲハリノヲクヒを教喩サトす歌一首、また短歌)」
「ある条を犯せば離縁できるけどなにもないのに捨てるはだめと(七出の例サダメに云はく、但一条を犯せらば、即ち出サるべし。七出無くて輙スナハち棄サらば、徒ミツカフツミ一年半。)」
「七出を犯すもアカン場合ありただ奸と病は許すと(三不去の例サダメに云はく、七出を犯すとも、棄サるべからず。違へらば、杖一百。唯奸悪疾を犯せれば棄サれ。)」
「妻有りて更に娶らば徒刑する女は杖刑して追放と(両妻の例に云はく、妻有りて更に娶らば徒一年。女家は杖一百にして離ハナて。詔書に云はく、義夫節婦を愍み賜ふ。)」
「かくとだに男の道が決まるのは万葉ころも今にしくなし(先カミの件の数条ヲドヲジを謹み案カムガふるに、建法ノリの基、化道ミチの源ハジメなり。然れば則ち義夫の道、情存して別無く、一家財を同じくす。豈旧きを忘れ新しきを愛ウツクしむる志あるべしや。所以カレ数行の歌を綴作ヨみ、旧きを棄サる惑を悔いしむ。その詞に曰く)」
「大汝オホナムヂ少彦名スクナヒコナの神代より家族愛すは世の理と(大汝オホナムヂ少彦名スクナヒコナの神代より言ひ継ぎけらく父母を見れば貴く妻子メコ見れば愛カナしくめぐしうつせみの世のことわりと)」
「わが身にも花の盛りがきっと来る妻と語らうそれが盛りぞ(かくさまに言ひけるものを世の人の立つる異立てちさの花咲ける盛りに愛しきよしその妻の子と朝宵に笑みみ笑まずも打ち嘆き語りけまくはとこしへにかくしもあらめや天地の神言寄せて春花の盛りもあらむと待たしけむ時の盛りを)」
「離れ居て使いが来るかと待つだろう川の水沫ミナワも寄る辺がないよ(離サカり居て嘆かす妹がいつしかも使の来むと待たすらむ心寂サブしく南風ミナミ吹き雪消ケ溢ハフりて射水川イミヅガワ浮ぶ水沫ミナワの寄る辺無み)」
「左夫流サブルとは居奈呉の海の奥オキ深め妻を忘れる心すべなし(左夫流サブルその子に紐の緒のいつがり合ひてにほ鳥の二人並び居奈呉の海の奥オキを深めて惑サドはせる君が心のすべもすべなさ〈佐夫流ト言フハ、遊行女婦ガ字アザナナリ〉)」
「大汝オホナムヂ 少彦名スクナヒコナの 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子メコ見れば 愛カナしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる異立て ちさの花 咲ける盛りに 愛しきよし その妻の子と 朝宵に 笑みみ笑まずも 打ち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄
せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りを 離サカり居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂サブしく 南風ミナミ吹き 雪消ケ溢ハフりて 射水川イミッガハ 浮ぶ水沫ミナワの 寄る辺無み 左夫流サブルその子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並び居 奈呉の海の 奥オキを深めて 惑サドはせる 君が心の すべもすべなさ 佐夫流ト言フハ、遊行女婦ガ字アザナナリ(#18.4106)」
「青丹よし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか(反し歌三首 1/3 #18.4107)」
「青丹よし奈良の妻にはいいわけができるというの待っているのに()」
「里人の見る目恥づかし左夫流子に惑サドはす君が宮出ミヤデ後風シリブリ(反し歌三首 2/3 #18.4108)」
「里人の見る目恥づかし遊び女に惑える君の後ろ姿が()」
「紅はうつろふものそ橡ツルハミのなれにし衣になほしかめやも(反し歌三首 3/3 #18.4109)」
「紅は色褪せるもの橡ツルハミの馴れた衣になほおよばざり()」
「(右、五月の十五日、守大伴宿禰家持がよめる。)」