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吉野讃歌とよばれる反歌を伴う長歌がA、B二首ある。長歌は別にして反歌だけあげると
「A:見れど飽かぬ吉野の河の常滑の絶ゆることなくまた還り見む(0036/0037)」
「B:山川も依りて仕ふる神ながら激つ河内に船出せすかも(0038/0039)」
の二つである。長歌は省略したが二首とも「やすみしし わが大王の………()」で始まる。このことから壬申の乱の後、天武天皇が行幸したときの歌である。ではいったいいつか、持統天皇のお抱え歌人だった人麻呂の他には、歌人はいなかったのか、皆で歌うことはなかったのか。滞在した場所は天智末期の671年に持統ととも隠棲した地だったのか、っなどという疑問が浮かび上がってくる。
吉野讃歌とよばれる反歌を伴う長歌がA、B二首ある。長歌は別にして反歌だけあげると
「A:見れど飽かぬ吉野の河の常滑の絶ゆることなくまた還り見む(0036/0037)」
「B:山川も依りて仕ふる神ながら激つ河内に船出せすかも(0038/0039)」
の二つである。長歌は省略したが二首とも「やすみしし わが大王の………()」で始まる。このことから壬申の乱の後、天武天皇が行幸したときの歌である。ではいったいいつか、持統天皇のお抱え歌人だった人麻呂の他には、歌人はいなかったのか、皆で歌うことはなかったのか。滞在した場所は天智末期の671年に持統ととも隠棲した地だったのか、っなどという疑問が浮かび上がってくる。