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あと130首で四巻目が終わる。今やっているところは、万葉集の編者の家持も登場するが、その親、叔父叔母、近い親族、坂上郎女等の歌が登場してくる。最近少し理解が進んでいるのか、参考書にたよらなくても歌意がある程度はわかる。万葉集は古いと思っていたが、詠まれている歌は新しい。感覚が現代とあまり変わらない。雄略天皇の歌から始まり諸天皇、皇子、皇女等の歌も一通り終わり、大伴氏のところに来てふと見上げるとわりと親近感が出てきたように思う。今ちょっと頭をあげている状態なのだが、またすぐ頭を下げて回りを見ずに進んでいかなければならない。なんとなく棟方志功さんが版画を彫っている時の姿を思う。何かに追いたてられるようにガツガツと彫りつづけており、見ていて苦しくなる。苦しさの中身は違うが、万葉集の読解も数が多いだけに、とにかく苦しい。志功さんがゆっくり彫って、彫り跡を味わうようなしぐさをしたり、時々遠くをぼんやり眺めたりする姿を想像するが似合わない。私にとっての万葉集は、別の版画家の彫り姿を想像していきた
い。
あと130首で四巻目が終わる。今やっているところは、万葉集の編者の家持も登場するが、その親、叔父叔母、近い親族、坂上郎女等の歌が登場してくる。最近少し理解が進んでいるのか、参考書にたよらなくても歌意がある程度はわかる。万葉集は古いと思っていたが、詠まれている歌は新しい。感覚が現代とあまり変わらない。雄略天皇の歌から始まり諸天皇、皇子、皇女等の歌も一通り終わり、大伴氏のところに来てふと見上げるとわりと親近感が出てきたように思う。今ちょっと頭をあげている状態なのだが、またすぐ頭を下げて回りを見ずに進んでいかなければならない。なんとなく棟方志功さんが版画を彫っている時の姿を思う。何かに追いたてられるようにガツガツと彫りつづけており、見ていて苦しくなる。苦しさの中身は違うが、万葉集の読解も数が多いだけに、とにかく苦しい。志功さんがゆっくり彫って、彫り跡を味わうようなしぐさをしたり、時々遠くをぼんやり眺めたりする姿を想像するが似合わない。私にとっての万葉集は、別の版画家の彫り姿を想像していきた
い。