そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

短歌ができるまで・・・

2010年01月31日 | 三十一文字

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短歌を鑑賞していて、歌人が感性で『はっと思った』ことを短歌に仕立てているのだが、仕立て方も難しいが、『はっと思ったこと』をどのように定着させ、仕立てに持っていくのかも難しい。
例えば、家に帰ると「自転車と妻がいなくなった→はっと思った()」としよう。歌人はここで一人を喜んだが、やがて不安になる。喪失感なのか、妻のプチ反逆なのかと疑念が起こってくる。後で知ればたいしたこともないかもしれないが、この瞬間の心の揺れが短歌に成長するのである。この歌人はその時の気持ちを〔晴れのち曇り〕と表わした。全体の仕上がりは次のようである。〔自転車と妻はいづこへ行きしやら土曜午すぎ晴れのち曇り〕
もうひとつ、大人になって時に小さな子どもの手に触れることがある。ポワポワしていて、透き通った肌には血管も見える、骨と言うにはやはらかく軟骨といったほうがよい。いつも誰でも幼子の手には感動するものである。歌人はこの手を透き通ると感じ烏賊と組み合わせた。わたしには想像できない感覚で、なかなかできる芸当ではない。その歌は、〔烏賊を洗ふやうに子どもの手をあらふ軟骨のゆび透きとほるまで〕である。
------はっと思う→伝えたい気持ちの整理→仕立て------簡単に言えばこうなのだろうが言うは易く行うは難いのである。

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万葉集#6.0967-6.0968

2010年01月31日 |  / 万葉集
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「大和道の吉備の兒島を過ぎて行かば筑紫の子島思ほえむかも
(大納言大伴の卿の和へたまへる歌1/2首 #6.0967)」
「大和路の吉備の児島を過ぎ行けば筑紫の兒島思い出すだろう()」
「大夫マスラヲと思へる吾や水茎の水城の上に涙拭ノゴはむ(歌2/2首#6.0968)」
「男子たるわれは泣けない水茎の水城の上で涙ぬぐわん()」

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サリンジャー逝く

2010年01月30日 | 挽歌もどき
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「サリンジャー老衰のため逝ったとか91才になっていたとは()」
「春樹訳『ライ麦畑のつかまえて』昨年読みて再認識を
(ホールデンがしゃべりすぎていた)」
「大人にも子どもたちにも裏切られ閉じ籠りたり高き塀にて()」
「キャッチャーは数限りない版重ね象徴的な小説となる()」
「崖の上ライ麦畑はあるというキャッチャーになり子ども救うと(子どもが落ちないように)」
「スポーツ紙までも彼の死報じたるいかな波紋を広げたるのか()」
「見たくあり見たくもないかサリンジャー青春小説書き手でなくば
(閉じ籠って何してたのか)」
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万葉集#6.0965-6.0966

2010年01月30日 |  / 万葉集
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「万葉のこの頃すでに遊行女ウカレメがいたというのは驚くべしか
(冬十二月、太宰帥オホミコトモチノカミ大伴の卿の京に上りたまふ時、娘子がよめる歌二首)」
「凡オホならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍シヌひてあるかも
(歌1/2首 #6.0965)」
「普通ならあれこれするがかしこみて振りたい袖も堪え忍びたり()」
「大和道は雲隠れたりしかれども吾が振る袖を無礼ナメしと思モふな(歌2/2首 #6.0966)」
「大和への道は遠くて見えないが別れで振る手無礼と思うな()」
「水城にて府家顧みる旅人へと遊行女婦ウカレの兒島コシマ手を振り吟う
(右、太宰帥大伴の卿の大納言に兼任され、京に向ノボらむとして上道ミチダチしたまふ。
此の日水城に馬駐め、府家を顧み望む。時に卿を送る府吏ツカサヒの中に
遊行女婦ウカレあり。其の字を兒島コシマと曰ふ。是に娘子、此の別れ易きを傷み、
彼の会ひ難きを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を吟ふ。)」

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目のつけどころ

2010年01月29日 | 字余り
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「目のつけどころ」ということについて考えてみたい。山田真哉氏の「目のつけどころ」という本がでて、これは!と思い買ってしまった。奥付等からこの著者が、「さおだけや・・・」の著者だと知って驚いた。さおだけ屋がなぜ潰れないかという本は、タイトルからして衝撃的だが、何でこんな本を出すのか不思議でであった。なんか胡散臭くて購入には至らなかったが、氏が会計士で売れる会計の本ということなら、奇をてらうしかない。そういう意図がわかったのでできれば次の機会に読んでみたいと思っている。
さて、目のつけどころについてだが、一部の著名人、具体的には司馬遼太郎さん、高坂正尭さん、堺屋太一さん、等の発言に感心し、目のつけどころが斬新だと感心していた。山田氏は今回この目のつけどころをパターン化して示したといっている。これをどのようにして自家薬瀧中のものにするかということか。
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