13年前、父が他界しました。
悲しくないはずはありません。
でも私は泣きませんでした。
泣けませんでした、の方が正しいかもしれません。
まるでフリーズしてしまったかのように。
でも13年後の先週、
フリーズが不意に解ける日が訪れたのです。
もうすぐ、私の息子が通う中学校で三者面談があります。
そのことを考えていたら、
私が中学生だった頃の三者面談の記憶が、急によみがえってきました。
父は仕事人間で帰りが遅く、
完全なる母のワンオペ育児だったのに
父がなぜか、平日に休みをとり、私の中2の三者面談に同行すると言ってきました。
父も母も来るので、四者面談になります。
そんなキャラではなかったので
びっくりしてしまったことを覚えています。
そしたら当日、ちょっとした事件が起こってしまいました。
担任は、とてもオトナゲのない先生でした。
生徒たちを挑発するようなことを日頃から平気で言う先生でしたが、
私はおだやかな子どもだったので、そんな挑発にまさか自分は乗りはしないと常々思っていました。
でも、おだやかな子ほどキレたら怖いのかもしれません。
私はその日に限って、親の前で先生の挑発に乗ってしまったのです。
進路の話をしている時でした。
教師に歯向かったのは、それが初めてでした。
「そんなこと言うなんて人間的にどうなのか、そんな先生アリなのか」
的なことを言い、一歩も引かなかった記憶があります。
突如キャラ変して激ギレしている真面目なはずの我が子に
両親もさぞ驚いていたと思うのですが
父が突然、流れを変えました。
父が私の頭を押さえつけ、机にギリギリとねじ伏せたのです。
「先生、手前どもの娘が、偉そうなことを申しまして申し訳ありません。
私の教育の至らなさを恥じる次第です。」
…的なことを言い、
そしてわたしに向かい
「ええか、世の全ての先生に何があっても逆らってはいけない。
師は敬うべきもの。よく覚えておけ」
…的なことを言ったのです。
えええ?!
何この流れ?
帰りに、喫茶店に寄りジュースを飲みました。
さっきのあれ、本心? それともパフォーマンス?
何であそこまで言われて黙ってるなんて、それはもう人間でなくなってしまうよ、、
と尾崎豊ばりに青いことを言う14才の私に対し、父は
「いやーほんましょうもない教師やな、
でも、そんな奴は商売してたら山のようにおる、
だからこっちは、クレバーにいかなあかん。
それに、まだ子供のお前に
どんなに理不尽なことがあっても
頭を下げなあかん場面があると言うことを、教える機会やと思った。
無駄にキレるな、
キレたほうの負けや。
だから今日はお前の負けや」
というような内容のことを、笑いながら言ったのでした。
実に納得の1日でした。
しかしながら父もまた
当然ながら至らないところのたくさんある人であり
いろんな失敗をしてきた人でした。
人でなし!とけんかしたことも
どれだけ流そうとしても、私の中に固い小石のように残り続けた父との確執もありました。
父が亡くなったとき、
私はまだ若かったです。
でも、今くらいの年齢になると、
父がどういう気持ちで生きていたのかわかるようになってきます。
冷酷だと思っていた言動にも、
バックグランドがあって、ちゃんと理由があったのだと。
人間らしくて逆にいいじゃんかと。
三者面談のテレビドラマみたいな笑える場面を思い出し、
父が亡くなって以来はじめて、お風呂に入りながらちょっと泣けました。
18歳までしか一緒に暮らさなかった父との、
あまり心の交流を持てなかった父との
数少ない、大事なエピソード、三者面談。笑