阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

「生きているうちに」シベリア強制抑留者の切なる思い

2010年06月22日 22時04分49秒 | 政治
 明日は馬淵澄夫国土交通副大臣が和歌山2区に入ります。

 11:30 橋本市役所前
 13:00 紀の川市・下井阪交差点
 13:40 岩出市・備前交差点
 14:45 JR海南駅前

 私と一緒に島くみこ参議院選挙候補予定者の応援演説をします。馬淵議員は、私がもっとも敬愛する議員のひとり。マンションの耐震偽装問題を徹底的に調べ、歯切れ良く追求した姿を覚えている方も多いことでしょう。私たち新人議員にとっても人情味にあふれたアニキ的存在です。今回、来援くださるのは嬉しい限りです。

 さて、昨日、シベリアで強制労働に従事させられていた85歳の男性が事務所にやってきました。民主党が主体となって元シベリア抑留者の救済法が成立したことへのお礼を言いたいと、不自由な脚と眼にもかかわらずバスを乗り継いでやって来てくださったのでした。

 私は、この問題の解決に力を入れて活動していました。従って、国会最終日に法案が成立した時は心から感動しました。

 私の原点は、子どもの頃から伯父-阪口雄三に度々聞いていた、父の兄弟-阪口彰の話です。生まれながらに心臓弁膜症を持ち、長生きはできないと知っていましたが、少しでも国に貢献したいと満蒙開拓義勇団参加を志願。しかし、異国で大変な苦労を重ね、終戦後、19歳の時に風土病で亡くなりました。健康でさえあったら日本に帰れたのに、異国の地で迎えた終焉、さぞ無念だったことでしょう。

 そんなことから、シベリアでの強制労働についても興味を持ち、それがいかに過酷なものであったか、心に刻みました。そんな私の事務所に前述の男性‐加茂光二郎さんが度々、来て下さり、まだ候補者であった私に度々当時の話をしてくださりました。酷寒の地で衣服も食料もなく、最後は体重が20キロ台にまで落ちてしまったそうです。帰国後も後遺症に苦しみ、思うような仕事ができなかったとのこと。にも関わらず、強制労働に対する未払い賃金の支払いに日本政府は非協力的でした。

 「民主党に勝ってもろて、国に認めささんと死んでも死にきれやん」

 そんな訴えに、政権交代を実現できたら、私もこの問題に取り組もうと決意を固めていました。

 未払い金の支払い義務は本来は旧ソ連にありました。しかし、日ソ共同宣言(56年)で賠償請求権を相互放棄していたため、請求相手は日本政府になりました。ところが16年に及んだ裁判の結果、97年、最高裁で敗訴が確定しました。しかし、民主党が結党されてからは特別給付金を支給する法案繰り返し国会に提出。自公政権の壁は厚く、なかなか成立しませんでしたが、政権交代が実現し、真っ先に取り組んだ法案のひとつが、この救済法でした。

 自民党、公明党、みんなの党が欠席した本会議。法案が成立し、懸命に手を振る方々に、私たちは傍聴席に向かって拍手を続けました。

 抑留期間に応じて、25~150万円が支払われることになりました。60万人中、6万人が飢えや寒さで亡くなる過酷な労働の対価としては十分な額ではないかもしれません。しかし、生存者は約7万人、平均年齢が88歳ですから、一刻も早い解決がまず優先されるべきでしょう。

 「生きているうちに」の願いに、少しでも貢献できたことを嬉しく思います。


 写真:加茂光二郎氏


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