阪口直人の「心にかける橋」

衆議院議員としての政治活動や、専門分野の平和構築活動、また、趣味や日常生活についてもメッセージを発信します。

アントニオ猪木議員へキルギスから熱いメッセージ!

2015年02月21日 21時51分24秒 | 政治
 
 今年5月2日には第4回キルギス・シルクロード国際マラソンが行われます。このマラソンは実は私が発案者。天山山脈を望み世界2位の透明度を誇るイシククル湖の周りを走るマラソン大会を開いてみては?という私の提案を、キルギスの有力政治家、サマコフ議員や、事務局のイバラット・サマコワさんが大変な努力で中央アジア初のマラソン大会として実現してくれました。私は国内外のマラソン大会を走った経験からアドバイスをしたりスポンサー探しをしただけですが、サマコフ議員と共に大会実行委員長として上位入賞者を表彰する栄誉を担わせて頂きました。

 その後の大会は国会開会中だったため私は参加することができなかったのですが、今年の第4回大会は何としても参加したいのでと、GW中に日程を変更してもらいました。落選してしまったのであまり関係なくなりましたが、再びランナーとして参加したいと考えています。

 さて、キルギス側はこの大会にアントニオ猪木議員が参加してくださることを強く希望しています。4月下旬にはパキスタンで格闘技大会を実施する予定でものすごい強行軍になりそうですが、是非、参加してください!と、昨日誕生日を迎えたアントニオ猪木議員にビデオメッセージを送ってもらいました。制作はイバラットさんですが、私も少し関わったビデオメッセージですので、その中身を少し紹介します。

 ビデオのクライマックスはキルギス出身の元ボクシング世界ライト級チャンピオンのオルズベック・ナザロフ氏が、恩人であるアントニオ猪木議員に熱いメッセージを送るシーンです。彼はソ連崩壊で才能を生かす機会を失いかけていた時、旧ソ連のキルギス共和国から猪木さんによって日本行きのチャンスを与えられたことで才能を開花させ世界チャンピオンになりました。今や国家的イベントになった『キルギス・シルクロード国際マラソン』に猪木さんに来て頂き、そこで再会しましょう!と訴えています。

 アントニオ猪木議員はプロレスラー時代、ボクシングや空手、柔道家との異種格闘技戦を次々に実現させるなど総合格闘家として新たなジャンルを切り拓き、世界的な知名度がある一方、アントンハイセルという環境事業をブラジルで起業するなど、新しい発想でひとりの人間の可能性を次々に見せてファンを魅了しました。また、スポーツ平和党の党首として当選した参議院議員時代、イラクでの人質救出に尽力したり、北朝鮮で平和の祭典を開催したり、北方領土問題解決のためロシアの首脳に働きかけるなど、独自の外交を展開。私はその活躍ぶりに心を躍らせると同時に、他の議員は何をやってるんだろう!と素朴な疑問を持っていたほどです。

 同じ議員として議員外交を行うようになって実感したのですが、アントニオ猪木議員の議員外交は、格闘家としての世界的知名度と実績があってこそのもの。誰かが真似できるようなものではありません。1990年にはイラクで『平和の祭典』として格闘技イベントを行ったことが当時サダム・フセイン政権下で人質になっていた日本人41人の開放につながりました。外務省が反対する中、自費でトルコ航空の飛行機をチャーターして人質を運んだスケールの大きさに感動したのを覚えています。また、先日ノーベル平和賞受賞者のマララさんと会えたのも彼女のお父さんがアントニオ猪木議員のファンだったことが大きいようです。未だ高校生の彼女は学業優先。また、テロリストに銃撃されたこともあって警備が厳重で簡単には会えない人だけに、アントニオ猪木議員の持つ政治的財産の価値を改めて実感しました。

 オルズベック・ナザロフ氏はアントニオ猪木氏が旧ソ連から『ペレストロイカ・ボクサー』として1989年に日本に連れてきたひとり。その後独立したキルギスが生んだ初のボクシングの世界チャンピオンとして国民的英雄で、元国会議員でもあります。私は1992年にカンボジアに行くまで具志堅用高選手などを生んだ協栄ジムでボクシングを練習していたことがあります。その頃、グッシー・ナザロフとして同じ共栄ジムに所属していたナザロフ選手は一緒に練習した仲間でもあるのです。ハードパンチとテクニック、そして強いハートを兼ね備えた素晴らしい選手でした。私自身が国会議員になり、キルギスの国民議会選挙を支援する活動の中、2010年にキルギスで再会。その時、「恩人である猪木さんに会うことがあったら是非、お礼を言ってくれ」と言われていました。とは言え、猪木さんとはどのように連絡を取ればいいのかわからなかったのですが、2013年には私と同じ『日本維新の会(当時)』からアントニオ猪木議員が立候補して当選。私が局長を務めていた国際局に希望して入って下さったこともあって、その後別の党になってからも是非、キルギスに一緒に行きましょう!とお誘いを続けているのです。

 ナザロフ氏は、世界ライト級のタイトルを6度防衛。網膜はく離の症状を隠しながら闘い続け、キャリア唯一の敗戦になった7度目の防衛戦(判定負け)ではほとんど目が見えない中での闘いだったそうです。その後症状が悪化して片目を取ってしまったそうで今回はサングラスでの出演ですが、恩人への熱い思いを語ってくれました。

 猪木さんには是非、パキスタンからキルギスに来て頂き、私たちランナーに闘魂注入をお願いしたいものです。





オルズベック・ナザロフ氏からアントニオ猪木議員へのメッセージ


マラソン会場で再び再会!


元気があれば何でもできる!


猪木さんへのメッセージビデオが入ったDVD


2010年に再会したオルズベック・ナザロフ氏


ボクサーとして活躍していた頃のナザロフ氏


イシククル湖と天山山脈


イバラットさんとボランティアの女子学生たち


第1回大会でゴールする私